夕刊のある地域でも「とらなくていい」と新聞社が公式宣言した背景は?
目次:
◇夕刊の“エモい”記事がやり玉に
◇エモい話は不要?それとも・・・
◇「エモい記事」の背景に夕刊部数減問題
◇新聞社自ら夕刊をないがしろにしている?
◇夕刊の“エモい”記事がやり玉に
5月9日の毎日新聞夕刊1面の大きな記事が印象に残りました。
「瞬間ボランティア、安全つくる 夕刻に女児一人歩き 悩み、ためらい、記者は声かけた」という記事で、1面の半分以上を使っています。記事の筆者は南相馬通信部の尾崎修二さん。2013年入社の若い記者ですが、妻と死別して7歳の子供がいるシングルファーザーです。毎日新聞のPodcast「今夜、BluePostで」にいちどゲストで出ていて、お話を聞いたことがあるので、あああの人だとわかりました。
女の子が住宅街でもない国道を一人で歩いている場面に出会ったら心配になりますよね。でも、声をかけるのもためらうというのも自然です。もしかしたら、知らない人に声をかけられても返事してはいけないよ、と親から言われているかもしれません。尾崎さんも悩んだ末、110番をした上で、声をかけました。尾崎さん自身の子供がいっしょだったことと、もう一組父子が止まってくれたこともよかったようです。
結局、その子は自宅から一人で出ていってしまって1キロ以上も歩いていたようなのです。この記事は、普通のニュースという類いではありません。それどころか、たまたま記者が出会ったことを個人的な体験記として書いているようにも見えます。でも、尾崎さんは、子どもの安全教育に取り組む企業「ステップ総合研究所」の所長清永奈穂さんに取材をして「瞬間ボランティア」という考え方があることを知り、紹介しています。つまり、個人的体験を普遍化しているといえましょう。
◇エモい話は不要?それとも・・・
社会学者西田亮介さん(掲載当時東工大准教授)が、朝日新聞デジタルのRe:Ronというコーナーで、「その「エモい記事」いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言」と指摘しました。つまり、日々起きている出来事や事件などのニュースを適宜報じていくのでなく、「エピソード主体の『ナラティブで、エモい記事』」が多すぎるという趣旨です。
※Re:Ronにおける西田亮介さんの意見→ https://digital.asahi.com/articles/ASS3W319WS3WULLI003M.html?linkType=article&id=ASS3W319WS3WULLI003M&ref=commentplus_mail_top_20240406&comment_id=23835#expertsComments
それに対して「コメントプラス」メンバー十数人がコメントを寄せています。その中で江川紹子さんは、特に夕刊1面の「エモい記事」をやり玉にあげて、これが続くようなら夕刊をやめると言っています。
メンバーの中には朝日の記者もいて、エピソード型の記事の有用性を延べ、要はバランスではないかと主張しています。
ちなみに、「エモいエピソード記事」に関しては、在英ジャーナリストの小林恭子(ぎんこ)さんのコメントにおおいに共感します。小林さんは「書き手及び、コメンテーターの方の中に、「新聞=上に存在するもの」、「高みから国民に必要な情報を出す媒体」という概念・イメージがあるのではないでしょうか」とまず延べ、次のように書いています。
「新聞はもっと地に足のついた、下世話な話やエモい話「も」掲載する、雑多な媒体ではないでしょうか。経済の先行き、国際情勢の把握、貧困問題の解決、政治の現況などについての知識を得ると同時に、ほっとする、安心する、笑うなどの記事も混在した媒体では?
そういう点からは、エモい話も、そしてそれが大きく掲載されることも「あり」ではないか」と(2024年4月3日投稿)。私はおおいに同感です。
◇「エモい記事」の背景に夕刊部数減問題
コメントを寄せたみなさんが指摘していないひとつの要素に夕刊読者の減少があります。朝夕刊をセットで販売するたてまえになっている地域(セット版地域)で、夕刊をやめて朝刊だけを取る人が年々増えています。
トップに挙げた表は3年前のデータですが、東京の読売、朝日、毎日は夕刊比率が5割前後にまで落ちています。この状態のもと、東京のようなセット版地域で速報的なニュースを載せると、夕刊をとってない人はその記事を見られないことになります。反対に、夕刊に速報記事を載せると翌朝の朝刊に同じ記事が重複して載ることになります。そういうことから、夕刊には翌朝の朝刊に再度載せなくてもすむ速報性のないエピソード記事を載せたくなるわけです。
セット版地域では、本来朝刊だけをとることはできない建前でした。ですから、新聞社としては朝刊のみの月額料金は掲げていませんでした。しかし、実際には夕刊はいらないという読者は増え続けていて、3大紙の東京都内の場合、いまや半数前後が朝刊しかとっていません。
ここで興味深いのは、全域セット版が原則の東京都において、夕刊1面の編集方針が読売・日経と朝日・毎日でかなり違うことがわかります。読売・日経はホットなニュース優先の方針で、朝日・毎日は話題モノ(時事ネタではあるが、その日でなくてもよい企画記事)中心です。それは、セット版のうちの夕刊比率の大きさが反映しているためではないかとにらみました。
しかし、その予想はややはずれました。確かに日経は夕刊比率が76%と高いので理解できますが、読売は朝日と同じ48%です。毎日は57%で、3紙の差はそんなにありませんでした。(日本ABC協会調べ、2020年後半期)つまり夕刊比率が同じ程度でも編集方針が異なるということがわかりました。
<主要紙の夕刊4日分を見る>
◇新聞社自ら夕刊をないがしろにしている?
このようなすっきりしない現状を改善するには、セット版地域の夕刊を廃止してしまえばいいわけです。実際、昨年(2023年)には、朝日と毎日が名古屋での発行をやめました。(1975年に初めて名古屋に進出した読売はそれ以来名古屋方面では朝刊のみなので、夕刊を出しているのは中日だけになっています。)
もともと夕刊のない統合版では、セット版の夕刊に載っている記事、たとえば金曜の夕刊の映画評は朝刊に載っています。夕刊をやめても、そのすべての記事が朝刊に移行するわけではないでしょうが、全地域が統合版になるということですっきりするでしょう。
私は夕刊の廃止は時代の流れとしてやむをえないと思っています。また、通常のニュースとは異なる前出尾崎さんの記事が載る場所が夕刊でなければという必然性もないでしょう。しかし、どこに載ろうが、この記事はとてもよい“スローニュース”だと私は評価しています。
日経は一般紙よりはましな状態ですが、昨年の値上げの時に、(セット版地域の)社告の中で朝刊のみの場合は4800円(セット料金5500円)でいいよと堂々と?宣言しました。販売店でなく社としておおっぴらに“公式価格”を宣言したのは初めてではないでしょうか。
東京新聞はそれより以前から「朝刊だけなら3200円」というチラシをまいています。これは販売店独自ではなく会社が出しているチラシです。
<日経の社告>
<東京新聞のポスティングチラシ>
<毎日の折り込みチラシ。朝刊のみの値段は販売店側があとから追記印刷したように見える。>
◇今こそ新たなメディアのカタチを!
おそらく現在夕刊を出している社も遅かれ早かれ廃止の方向に行くのでしょう。ただし、もはやそれだけで済むとは思えません。日々のニュース報道のほか、調査報道やテーマ型の報道などを従来にも増してきちんと行っていけるメディアの形を改めて設計していく必要があるでしょう。ここで言うテーマ型の報道とは、前述したエモい記事のことで、調査報道と合わせてスローニュースと私は位置付けています。
読売新聞は「新聞withデジタル」というキャッチフレーズで、紙をとっている読者だけにデジタル版を開放するという路線をとっています。私はデジタル版だけの販売もしてほしいという気持ちを持っていますが、紙の新聞を第一とする姿勢には共感も覚えます。紙の新聞の価値は将来も消えないと私は考えています。小林恭子さんの言われる雑多な情報が箱庭のように限られたスペースに大小を付けて配置されており、私は「紙面文化」と呼んでいます。ただし、たとえば、日々の配達は夕方でよいし、また週刊新聞の形で残すこともありえましょう。紙の新聞はそれ自体価値を持つと同時にデジタル版への道しるべともなりえます。それは日刊である必然性はないかもしれません。日刊は場合によってはデジタルに移行して、週にいちど紙の新聞が配達され、そこには、週の振り返り記事や調査報道記事、そして“エモい記事”が満載されており、加えてデジタルへの道しるべとしてQRコードが並んでいるというイメージです。
この記事のコメント
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コメントありがとうございます。夕刊を独立の別媒体として位置付けるという発想が30年以上前に出ていたとは驚きです。
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30年あまり前ですが、朝日新聞の編集局内にできた紙面改革委員会(こうした委員会はしょちゅうできるのですが)で、夕刊編集部の設置という提案があり、当然のごとく採用されませんでした。朝刊と夕刊の一貫性を維持するためです。やや時期が早かったかもしれませんが、朝刊とは独立した夕刊編集部をつくれば、たとえば、月曜は映画、火曜日は本、水曜日は映画…といった紙面づくりで、夕刊読者を定着させることができたのではないかと思っています。もう間に合いませんが、夕刊という貴重な媒体を持ちながら、知恵と工夫と、そして何よりも決断が足りなかったと思います。我が家では、朝刊を郵便箱から取り出すと、なぜか夕刊がくっついてきます。