「逃げる」とは何か。映画『私の見た世界』を見る

約15年の逃亡生活の末、時効寸前に逮捕された福田和子(1948~2005)の物語は、これまでドラマやドキュメンタリーなどで映像化されてきました。女優の石田えりさんが脚本を書き、監督し、自ら逃亡者の役を演じた映画『私の見た世界』も、「松山ホステス殺害事件」の関連作品のひとつになるのでしょうが、私の感想は、これまでの福田和子物語とは一味違う作品だというものです。7月26日から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムなどで公開されるのに先だって、日本記者クラブで行われた試写を見ました。
一味違うと思ったのは、映像のほとんどが逃亡者である主人公の視点で撮られていることです。主人公の顔が最初に出てくるのは、鏡に映った包帯だらけの顔です。逃亡者の視線で見ると、フツーの雇い主だったり、仕事仲間だったり、同棲相手だったり、好色な客だったりした人たちが、指名手配の犯人ではないかと疑いを持った瞬間から、その目つき、顔つき、素振りが変化していきます。「私」からすれば、それはまさに恐怖です。(写真は、鏡に映った包帯だらけの主人公)
世間から見れば、指名手配犯の疑いがあるなら、見る目が違ってくるのは自然のことですが、見られる側からすれば、昨日までと同じ人間なのに、という思いでしょう。指名手配されることは、そうないでしょうが、ある日、「私の見た世界」が一変するのは、珍しくないことです。職場や学校で起こるいじめも、ささいなことがきっかけで、突然、無視されたり、陰口をたたかれたりする例がほとんどでしょう。
この映画で石田監督が伝えたかったことは何か、映画のオフィシャルHPでは、次のようなエピソードを語っています。
「生きていれば、どんな人でも、できれば逃げ通したいものに出会う。考えるのが面倒なこと。過去にしでかした罪や受けた傷。どうすることもできないと思っている性癖。トラウマ。しかし、『逃げる』ということは、『追われる』ということだ。いったいどうしたら「解放」されるのだろう?ある日、その答えのヒントになる夢を見た」(映画のオフィシャルHP)
https://watashinomitasekai.com/
どんな夢を見たのか、このHPの監督インタビューで、石田さんは、「お化けに追いかけられる夢」だと明かしています。逃げても逃げても追いかけられるので、もうこれ以上は怖すぎると観念して振り向くと、お化けは消えていたそうで、「自分の嫌なこととか恐怖っていうのは、見ればいいんだ」というメッセージだと感じたのだと語っています。恐怖の元を直視せよ、ということなのでしょう。(写真は、何かに追われ逃げる主人公)
この映画は、事件そのものを再現するドラマではありませんが、「逃げる」とはどういうことなのか、福田和子の逃亡劇を一人称の私小説にした映画として余韻を残す作品になっていると思います。石田えりというと、映画『釣りバカ日誌』シリーズで、主人公の浜ちゃんの妻を演じた女優という知識しかなかったのですが、映像作家として挑戦する意欲を感じました。お化けに追いかけられる夢から福田和子の物語を思い付くなんて、凡人のできる技ではありません。(写真は、映画の脇を固める大島蓉子と佐野史郎)
私が現役で働いていた時期に、繰り返し見た「怖い夢」は、大学を卒業していない夢でした。もう働いていて、家庭もあるのに、卒業資格がないために仕事を辞めなければならない、という事態になるのです。どこかの市長さんもいま、この恐怖を現実に味わっているようですが、私は夢の中で、そういえば卒業式に出ていないとか、出席が必須の授業に出ていなかったとか、後悔しているのです。実際は、なんとか卒業したのですが、「学園紛争」の時代で、卒業式がなかったり、授業がなかったりした現実がトラウマになって夢に現れるようです。
現役を退いてからは、卒業資格の夢は見なくなりましたが、締め切り時間を過ぎているのに原稿が書けない、という夢はいまだに見ます。締め切り時間が迫っているなかで、絶望的になるのは、記事にする取材を全くしていないということに気づくからです。いい加減な取材で記事を書いていた報いが悪夢になってでてくるのでしょうか。我が悪夢からは、文芸作品は生まれそうにありません。
「福田和子」が私にとって悪夢になりそうな出来事がありました。福田和子が逮捕された1997年当時、私は「ニュースステーション」というテレビ番組のMC(メインキャスター)、実質はコメンテイターとして毎晩、いろいろな出来事について意見やら感想を述べていました。この事件についても、MCの久米宏さんからコメントを求められた私は、逮捕のきっかけが彼女が通っていた料理店主からの通報だったということについて、「料理店の店主は、職業倫理にもとるのではないか」と発言した記憶があります。おいしい料理を出すのが料理店主の仕事であって、お客を指名手配犯だと通報するのは職業倫理に反するのではないかと思ったのです。
犯罪者とおぼしき人物を警察に通報するのは、一般市民の社会的責務ですから、私の発言は「炎上」してもおかしくはありません。いまならそんなコメントは口にしないと思いますが、当時の指名手配ポスターというと、東アジア反日武装戦線の桐島聡(1954~2024)ら過激派が並んでいる印象があり、福田和子を含め、警察権力に抗して逃げている人をわざわざ通報しなくてもいいではないか、という気になったのでしょう。
私のコメントが舌禍事件にならなかったのは、あと3週間で時効になったのに、という福田和子への同情論も世間にあったからかもしれません。社会秩序に反する発言だと「炎上」していれば、「福田和子」の悪夢から生涯逃れられないことになったかもしれません。
あらためて考えると、時効を前にテレビが福田和子を何度も取り上げたため、彼女があぶり出されることになったわけで、この事件は、テレビがこぞって取り上げるような話題なのか、彼女が何度も整形手術を受けていたなどの面白さに飛びついたメディアのありようこそ批判すべきだったと思います。
いろいろと思いをめぐらせ、自分が背負っている「業」を考えさせてくれる映画でした。
(冒頭、及び文中の映画の写真は、すべて©2025 Triangle C Project)
前の記事へ |
コメントする