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杉原千畝展で「任務を越えて」を考える

2019.08.01 Thu

7月29日のgoogleのロゴは、杉原千畝(1900~1986)でしたね。第2次世界大戦中、ドイツによる迫害で欧州各地から逃れてきたユダヤ系の人々に、駐リトアニア領事代理として、「命のビザ(査証)」を発給し続け、多くのユダヤ人の亡命を助けた人物です。杉原の命日にあたる7月31日、「ホロコーストと正義の外交官」と題した特別展が9月1日までの予定で、東京都中央区にある「杉原千畝Sempo Museum」で開幕しました。

 

開会式では、特別展の共同主催者であるイスラエル大使館のヤッファ・ベンアリ駐日大使が出席、「任務を越えた」杉原の勇気を称賛するスピーチをしました(冒頭の写真参照)。「外交官の任務は、自国民の保護ですが、杉原さんは自らに及ぶ危険をかえりみず、自分の任務を超えて自国民ではない難民を助けました」と語っていました。感動的なスピーチで、大使自身も「母はホロコーストの生き残り」だと述べていました。ホロコーストとは、ナチスドイツによるユダヤ人に対する組織的虐殺のことで、その数は600万人といわれています。

 

「任務を越える」(beyond the duty)と言う言葉は、“go beyond the call of duty”といった言い回しで、自分に課せられた義務や責任を超えた勇気ある行動などに使われる慣用句のようです。たしかに杉原の行動を振り返ると、「任務を越える」という言葉がぴったりだと思います。

 

杉原は1940年7月中旬、ポーランドなど欧州各地からドイツの迫害によってリトアニアに逃れてきた多数のユダヤ系難民が日本の通過ビザを求めて領事館の前に押しかけました。杉原は、人道上の理由から拒否できないとしてビザの発給を本国の外務省に求めましたが、外務省からは、ビザ発給の条件(正式なパスポート、渡航費用の所持など)を満たさない者への発給は認めない、という訓令が返ってきました。当時、日本は日独防共協定を結んでいて、この年の9月には日独伊三国同盟が結ばれるという日独の蜜月時代であり、ユダヤ人の排斥というナチスドイツの政策に反するような行動を日本の外務省は容認できなかったのでしょう。

 

杉原は悩んだ末、7月29日からビザの発給をはじめ、ソ連によるリトアニア併合によって領事館の閉鎖が決まり、杉原がリトアニアを去る9月5日までの間、休むことなくビザを書き続けました。特別展の会場におられた千畝の長男、弘樹氏(故人)の夫人である美智さんに、どのくらいのビザを発給したのですか、と尋ねたら、「義父は生前、4500枚くらいと語っていました」と答えました。外務省の記録などで確認できるビザは2000枚を超え、その家族を含めると、「命のビザ」を受け取った人は6000人以上にのぼるそうです。

 

今回の特別展は、杉原だけではなく、迫害されたユダヤ人の亡命などを助けた杉原を含む、いろいろな国の外交官9人を紹介するパネルを展示していました。その多くの外交官が本国の訓令などに抗して人道的な立場からユダヤ人を助けていました。イスラエルは、ユダヤ人をホロコーストから救った異邦人を「諸国民の中の正義の人」として顕彰しているそうですが、ベンアリ大使によると、そのなかで外交官は36人いるとのことで、特別展では、そのなかの9人に光をあてた、と説明していました。私は、ユダヤ人を助けた外交官は杉原だけかと思っていたのですが、外交官という「任務」よりも人間としての「人道」を重んじる人は、何人もいたというわけです。

 

杉原は戦後、外務省から退職を強いられ、商社などで働いたあと、引退生活を送ったそうです。杉原の業績が知られるようになったのは、1980年代になってからで、杉原の存在を無視していた外務省=日本政府が杉原の名誉回復を行ったのは、2000年に河野洋平外相(当時)が杉原への謝罪を含めた顕彰演説で、杉原の死後14年後でした。

 

ひごろの仕事のなかで、「正義」に反すると思うようなことをさせられている人は、たくさんいると思います。いま、ニュースになっているのは、かんぽ保険の「不適切販売」ですが、契約を変更すれば利用者に不利になるのはわかっていながら契約変更を押し付ける「任務」に、疑問を持ったり、抵抗したりした職員もいることと思います。特別展というよりも杉原の生き方そのものが提起している「任務を越えて」というテーマは、多くの人たちに共感できるものだと思います。

 

最後に、我田引水的なコメントですが、いまの外交官だけではなく役人のなかに、「任務を越えた正義」を貫く人がいるのだろうか、と特別展を見て思いました。というのも、このごろの役人をみていると、「任務を越えた正義」ではなく、「任務を越えた忖度」に熱心で、「国民全体の奉仕者」という任務すら忘れている人たちが多いように見受けられるからです。この点について、いろいろ書きたい気もしますが、ひいきの引き倒しになって、杉原千畝の業績をかえって貶めることになってはいけないので、ここで筆を置きます。

 


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