21世紀の100冊、『パチンコ』を読む
ニューヨークタイムズ紙(NYT)が「21世紀の100冊のベストブック」という記事を掲載しました(2024年7月7日)。503人の作家や評論家など“本のプロ”が2000年1月以降に出版された本のなかから10冊のベストブックを挙げるという方法で選んだのだそうです。まだ四半世紀も経っていないのに大げさなと思いましたが、私が知っている本はあるだろうか、などと考えて記事を読みました。
知っている本があるとすれば、村上春樹の作品しかないと思ったのですが、残念ながら、村上の作品は100冊から漏れていました。私の知っている本は、妻が題名に魅かれて買ったという79位の“A Manual for Cleaning Women”(ルシア・ベルリン著『掃除婦のための手引書』=講談社文庫)以外は、やはり何もありませんでした。
もっとも、プロが選んだ100冊とは別に「読者が選んだ100冊」のなかには、村上の”Kafka on the Shore”(『海辺のカフカ』)が78位、”1Q84”(『1Q84』)が79位で選ばれていました。プロの世界では、村上は21世紀ではなく20世紀の作家なのかもしれませんが、本好きの人たちのなかでは村上は健在でした。
ネット版のNYTで、100冊の本の題名と作者名をスクロールしているときに、15位の『Pachinko』で目が留まりました。あのパチンコだろうか。著者はミン・ジン・リーという韓国系と思われる名前で、2017年に出版されたとありました。調べてみると、『パチンコ』という題名で2020年に単行本として文藝春秋社から翻訳(池田真紀子訳)が出され、2023年には文春文庫に上下2冊になって収録されていました。なぜこの本がベストブックなのか、夏休みの課題図書だと勝手に決め込んで、この長編小説読むことにしました。(写真上は、NYTが「100冊のベストブック」で紹介した”Pachinko"の記事、写真下は日本で文庫になった『パチンコ』)
◆在日コリアン4代の物語
小説は、日本の統治下にあった朝鮮半島の釜山(プサン)に隣接する影島(ヨンド)で、下宿屋を営む貧しいフニとヤンジン夫婦の娘として生まれたソンジャと、その子どもや孫の4代にわたる物語です。ソンジャは、ヨンドの市場を仕切る仲買人のコ・ハンスと恋をして妊娠しますが、ハンスが妻帯者であったことを知り決別します。ソンジャは彼女の境遇に同情した牧師パク・イサクと結婚し、ふたりはイサクの兄に誘われて大阪に転居、そこで、ハンスの子である長男ノアを産みます。やがて、ふたりの間には次男モーザスが誕生しますが、牧師のイサクが日本の神社参拝を拒んだことでイサクは投獄されてしまいます。
終戦後、モーザスは大阪でパチンコ店に就職、繁盛するパチンコ店の経営を任されるようになります。ノアは早稲田大学に入学しますが、出生の秘密を知ると家族から身を隠して長野県のパチンコ店で日本人として働くようになります。日本人と結婚したモーザスには長男ソロモンが生まれ、ソロモンは米国の大学を卒業すると米国の投資会社に勤め、東京に転勤します。
ソンジャのたびたびの苦境をひそかに助けてきたのは、大阪で実業家になったハンスでしたが、モーザスがパチンコ店で働くようになり、ノアも居所を隠したまま母への仕送りを続けるようになると、ソンジャの生活は次第に楽になっていきます。ソンジャの家族を経済的に支えたのはパチンコということになります。作者は、日本社会で差別されている在日コリアンが経済的な成功を得られる限られた職業としてパチンコを描いています。在日コリアンを象徴するのがパチンコというのでしょう。
◆パチンコが象徴するもの
この小説の主題は、日本ではさまざまな差別を受け、北朝鮮に帰っても生活や生命の保障はなく、韓国に帰っても「半日本人」として差別される在日コリアンという存在です。韓国で生まれ、子どものころに米国に移住し、イェール大学などで学び弁護士になったのちに作家になったという著者は、大学で在日コリアンの存在と歴史を知ります。彼女は「人生の大半をさげすまれ、否定され、忘れられてきた在日コリアンの物語を何らかの形で世に伝えるべき」という信念から、在日コリアンを題材にした物語をいくつも書いたと、この本の「あとがき」で明かしています。(写真は、2017年2月5日のNYTに掲載された"Pachinko"の書評記事)
著者は2007年から2011年にかけて夫の転勤で東京に住むようになり、多くの在日コリアンから直接、話を聞く機会を得ました。その結果、在日コリアンは歴史の犠牲者かもしれないが、それほど単純な話ではない、ということに気づいたと、「あとがき」で、次のように語っています。
「日本で会った(在日コリアンの)人々の寛容さと複雑な心理を目のあたりにして自分がいかに間違っていたのかを知り、それまでの草稿をすべてくず入れに投げこんで、同じ物語を一から書き直し始めた」
この小説が米国でベストセラーになり、「アップル+」で連続ドラマ化され、21世紀のベストブックに選ばれたのは、差別される移民の物語を犠牲者という視点だけではなく、そこに土着するうえでの寛容さや複雑な心理を描いたことが米国の読者の共感を呼んだからだと思います。
米国で差別と言えば、黒人差別が頭に浮かびますが、米国の移民の歴史を振り返れば、ニューカマーと呼ばれる新参者は、多かれ少なかれ差別を受けてきました。北米大陸に最初に移民として定住したのはイングランドで宗教的な迫害を受けた新教徒たちで、WAPS(White、Angro-Saxon。Protestant)と呼ばれる人たちです。その後、世界各地から移住してきた人々は、先住者から新参者と差別されるなかで、社会を形成してきたのです。
NYTの「日本と韓国との複雑な関係に立ち向かう小説家」という記事(2017年11月6日)によると、著者がごみ入れに投げこんだ草稿は、東京で偏見と裏切りに遭うソロモンが主人公でした。それでは在日コリアンを描けていないと、新たに書き直した物語では、主人公をソロモンから祖母のソンジャに変えて、ソンジャの物語をふやしたそうです。たしかに、この小説を成功させたのは、在日コリアンの歴史を体現するソンジャの存在だと思います。
小説の書き出しは、次の文章で始まります。
「歴史が私たちを見捨てようと、関係ない」
“History has failed us, but no matter.”
フニとヤンジンからソロモンにいたる4代の物語は、歴史に翻弄された人々の姿を描いているのですが、この家族の多くは、それに押しつぶされそうになりながらも、どっこい自分たちは生きていく、という生きざまを見せています。パチンコ経営で成功したモーザスが、刑事になった日本人の友人を励ます場面があります。友人は、差別を苦に自殺した在日コリアンの高校生の事件を担当して、差別のひどさに打ちひしがれていたからです。
「おまえに何ができるわけでもないやろ。どうせこの国は変わらへんのや。俺みたいなコリアンは、この国から出られへんのや。ほかに行くところがあらへんからな。それに、半島にいる同胞だっていまのまま変わらんやろう。俺みたいな人間はさ、ソウルに行けば日本人って言われるし、どれだけ金を稼ごうと、どれだけ親切にしようと、日本にいれば薄汚いコリアンの一人にすぎひん。いちいち気にしてられへんわ。北に帰国した人はみんな、飢え死にしかけてるか、怯えながら暮らしているかのどっちかや」
歴史に見捨てられようと関係ない、という小説の書き出しの言葉をモーザスは「いちいち気にしてられへんわ」と表現しています。忍耐強いソンジャなら「仕方がない」と言うでしょう。
この本が出版されてすぐに世界各国で翻訳されたのは、この家族の真摯で忍耐強い生き方への共感が広がったからでしょう。とはいえ、日本人の読者としては、なかなか辛い物語でもあり、それがすぐに日本で翻訳されなかった理由でもあるのでしょう。ソンジャたちの母国である韓国を力ずくで併合したのは日本であり、移住してきた韓国人を戦前も戦後も差別してきたのが日本社会であるからです。モーザスの「どうせこの国は変わらへん」という言葉には、胸を突かれる思いがしました。
◆在日のアイデンティティー
「私は何者なのか」というアイデンティティーの問題は、だれしもが抱くものですが、移民という存在にとっては、アイデンティティーは、より深刻な問題かもしれません。とくに、移民や難民の受け入れをほとんど認めず、「在日」や「ガイジン」に対する差別や偏見が固定化し、就職や結婚などにも深く影響する日本では、定住した人々にとってアイデンティティーの問題は、次の世代にもわたって長く尾を引きます。
小説のなかで、モーザスは「いちいち気にしてられへん」という対応をしますが、それができないノアは日本に帰化し、日本人として生きる道を選びます。読者としては、ノアにも日本人として幸せな人生を歩んでほしと願いながら読み進むのですが、母ソンジャが訪ねてくることで、ノアは「在日」の宿命から逃れられないことを悟ります。
◆『パチンコ』はまさに課題図書
人口減少が激しい日本は、今後、労働者不足などさまざまな困難が出てくるでしょう。少子化対策とともに、外国人の受け入れがこれからの必須な課題です。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(2023年)では、2020年の日本の総人口が1億2615万人だったのに対して、2070年には8700万人になるとしています。そんなに減るのかと思いますが、このうち939万人は外国人になると推計しています。
半世紀後には外国人が約1000万になると見込まれているのに、日本の政府はいまだに「移民」という用語を行政用語として認めようとしていません。さまざまな政治的、社会的リスクを抱えながら移民や難民を受け入れている欧米諸国とは、きわだった違いで、いうまでもなく国際社会で先進国としての責任を果たしているとはいえません。私から見れば、政府は、外国人差別をなくすどころか、温存し固定化しているとしか思えません。
日本が開かれた国家として、外国人を迎え入れるようになるには、もっとも身近な存在である在日コリアンについても知る必要があるでしょう。『パチンコ』は、米国人ではなく日本人にとってこそ「課題図書」であり、それが健全な日本人のアイデンティティーの形成につながるものだと思いました。
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映画化され、appleTV+で人気トップです。その理由が分かりました。今度、視てみます。