小さな叫びの大きな波紋、映画『ヤジと民主主義』を観る
2019年7月の参院選で、応援のため札幌市内で街頭演説をした安倍首相(当時)に対して、「安倍辞めろ」、「増税反対」と叫んだ人たちが警察官によって「排除」される出来事がありました。この「ヤジ排除事件」を追ったドキュメンタリー映画が『ヤジと民主主義 劇場拡大版』で、12月9日から、ポレポレ東中野(東京)やシアターキノ(札幌)ほか全国で順次公開されます。市民の抗議の声を権力が排除することを許せば、民主主義の根幹である「表現の自由」が奪われることになる。この映画はそれを丁寧に伝えています。「たかがヤジ、されどヤジ」なのです。
◆過剰なヤジ排除
街頭の聴衆の中から「安倍辞めろ」と叫んだ男性、大杉雅栄さんは、大勢の警察官によって引きずり出されるように、演説から離れた場所に移動させられます(下の写真©HBC/TBS)。別の場所で「増税反対」と叫んだ女性、桃井希生さんも女性警察官に腕をつかまれ、演説からと遠ざけられます(同)。さらに別のところでは、「年金100年安心プラン どうなった?」と書かれたプラカード(同)を安倍首相に見せようとした女性も警察官によって押し戻されます。
映画は、演説を聞いていた市民やHBCの通信員らが個人的に撮っていたスマホなどの映像を集めて、こうした排除の状況を示します。街頭という公共に開かれた空間で、抗議のヤジやプラカードが警察権力によって排除される光景は、過剰というよりも異常な警備というしかありません。しかも、どの場面でも警察官がすぐに排除に動き、排除する人に「任意」とか「ジュース買ってあげる」とか、犯罪の摘発ではないことを示唆する発言をしています。犯罪性がなくてもヤジがあれば排除するという組織的な打ち合わせが事前にできていたのでしょう。
なぜ、札幌の警察官が異常ともいえる組織的な行動に出たのか、その背景には、2017年7月の都議選で、安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言した「事件」があったのだと思います。秋葉原駅前の街頭演説で、「安倍辞めろ」という抗議のコールに反応した安倍首相の発言は、「首相は批判する人たちの声を聴かないのか」という批判を引き起こしました。警察にとっては、首相の警護だけではなく、首相を「こんな人たち」から遠ざけるという暗黙の任務も背負わされることになったのでしょう。
日本記者クラブで開かれたこの映画の試写会のあと、監督の山崎裕侍さんとともに会見したジャーナリストの青木理さんは、「安倍政権が警察権力と接近した政権だったことを忘れてはならない」として、警備・公安畑を歩いた警察官僚の杉田和博氏を官房副長官に抜擢したことをあげていました。たしかに安倍政権は、特定秘密保護法(2013年)や「共謀罪」法など検察・警察権力の“活動”範囲を広げるような法案を成立させる一方で、テレビの言論を委縮させるような放送法の解釈を変更するなど、公権力を使っての情報の管理や統制に躍起だったように思います。
◆表現の自由を守る戦い
ヤジで排除された大杉さんと桃井さんは、警察官に排除されたたことで精神的苦痛を被ったとして北海道警察本部が属する北海道に対して、それぞれ損害賠償を求める裁判を起こします。ソーシャルワーカーの大杉さんにとっても、大学生だった桃井さんにも、提訴というのは勇気のある行動だったと想像します。映画を見ると、ふたりとも社会的な弱者に寄り添おうとする意志を持っている人のように思えました。ふたりのヤジは、社会的な弱者に目を向けようとしない政治への抗議でもあったと思います。
2022年3月、札幌地裁は、ひとつの裁判になったふたりの訴えを認め、北海道に対して約88万円の支払いを求める判決を下します。判決要旨を読むと、判決の論理は次のようなものでした。
被告(北海道)は、警察官職務執行法(警職法)に基づいて、ヤジによって聴衆との間でトラブルが起こり、生命や身体に危険が及ぶおそれがあったので、原告を移動させたと主張している。しかし、撮影されていた動画などを見ると、警職法に規定されたような危険な状態にはなかった。したがって、警察官の行為は違法である。
また、憲法で保障される表現の自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であり、とりわけ公共的・政治的な事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない。原告のヤジは、公共の福祉などからこれを制限する合理的な理由はなく、原告の表現の自由は警察官によって侵害されたとみるべきである。
わかりやすい判決だと思います。ところが、北海道の控訴で2023年6月に札幌高裁が出した判決は、大杉さんの訴えを退ける一方、桃井さんの訴えは認めるものになりました(下の写真©HBC/TBS)。大杉さんへの判断が逆転したのは、大杉さんがヤジを飛ばしているときに、近くの聴衆がこぶしで大杉さんを押すような映像が警察側から出されたことなどから、危険を防ぐための警察官の行為は妥当だった判断したからです。
地裁判決は、仮に警職法の要件が充たされるような危険な状態であれば、警察官が原告に危害を加えようとする人に警告したり、割って入ったりすれば事足りるのに、警察官はそのような行為はしていない、と指摘しています。私たちの感覚では、ヤジっている人に暴力を加えようとする人がいれば、その人を排除するのが警察官の職務だと思うのですが、高裁の判事は、そう思わなかったのでしょう。
地裁判決と高裁判決の間に、大きな事件がありました。2022年7月に起きた安倍元首相への銃撃事件です。こうしたテロを防ぐには、警察官が危険だとみれば何でもできるようにする必要があるし、それが違法となれば、現場の警察官の行動を委縮させる、という判断が加わったのではないかと推測します。ヤジを叫ぶ人は危険人物の可能性があるというのかもしれませんが、本当の暗殺者なら、日の丸の小旗を手に標的に近づくのだと思います。安倍元首相の襲撃犯も事件を起こすまでは無言でした。高裁の判決は、桃井さんについては、警察官の行為が違法という判断をしました。これは「表現の自由」も考慮していますよ、というバランス感覚だったのでしょうか。
高裁判決に対しては、原告の大杉さんが自分の主張が認められなかったことに対して、被告の北海道は桃井さんへの賠償が認められたことに対して、それぞれ最高裁に上告しました。最高裁の判断は、まだ出ていません。
◆政治家とヤジ
この映画で、個人的なヤジは公職選挙法の「選挙の自由妨害」にならないということを知りました。最高裁の判例(1948年)で、演説の妨害は「聴衆がこれを聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」となっていて、街宣車から大音量で演説を妨害するような行為でなければ、選挙妨害での立件は難しいというのです。現場の警察官が大杉さんや桃井さんに「選挙妨害」という言葉を口にしていないのは、そのあたりの知識があるからでしょう。
北海道警も当初、排除行動について、「ヤジが公選法違反になるおそれがある」と説明したのですが、すぐに「事実確認中」と見解を変え、裁判でも公選法違反は持ち出しませんでした。安倍首相からも「選挙妨害」と言う声が出なかったのは、秋葉原の「こんな人たち」発言で懲りたうえ、ヤジはお互いさまという認識があったからでしょう。だいたいヤジでたじろぐようなら、国会の本会議で演説することは到底できないですよね。
街頭演説のヤジをうまく取り込んでいるのは、れいわ新選組の山本太郎さんです。山本さんは、ヤジが入ると、その人にマイクを手渡して、ミニ討論会に切り替えています。相手が納得するとは思いませんが、山本さんの巧みな話術で、ヤジった人が論破されたような印象を聴衆に与えています。「こんな人たち」と罵倒するのではなく、マイクを渡すのも街頭演説の民主主義だと思います。
◆メディアの役割
この映画を制作したHBCは、街頭演説でのヤジ排除を最初に報じたメディアではありませんでした。「最初に報じたのは朝日新聞で、我々は恥ずかしながら5番手くらいだった」と、HBCの企画デスクで監督の山崎さんは、この映画の「プロダクションノート」で語っています。それでも「おかしいことはおかしいって言わないとこのままだったら、怖い、危なくなる」(同上)と思い、山崎さんはこの問題の報道を続けたと言います。
山崎さんらが編集し、HBCが2020年2月に放送した「ヤジと民主主義~警察が排除するもの」は、2019年度のギャラクシー賞報道活動部門の優秀賞を獲得しました。また、同年4月にHBCが放送した「ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に」は2020年度の日本ジャーナリスト会議JCJ賞を受賞しました。こうした高い評価を得たことが映画化につながったのでしょう。
試写会後の会見では、「放送にあたっては、会社の上からの圧力はなかったのか」といった質問がありました。ヤジ排除の場面を撮影している放送メディアもあるのに、事件を「表現の自由」の問題としてフォローする放送メディアが少なかったからだと思いますが、山崎さんは「まったくなかった」と語っていました。HBCが「ヤジと民主主義」を番組として何度も放送し、映画化にも踏み出したのは、放送メディアとしての矜持があるからでしょう。
ヤジの排除は、逮捕者が出たというような「事件」ではなく、ささいなことに見えるかもしれませんが、札幌地裁判決が述べているように、憲法で保障された表現の自由という基本的人権にかかわる問題です。メディアがこうした問題を取り上げなくなれば、警察官によるヤジ排除が日常化することにもなりかねません。公権力の乱用をチェックするのはメディアの役割であり責任です。
放送記者の山崎さんがこの問題を深堀りし、会社がそれを支えたことは高く評価したいと思います。ただ、権力にものを言うことをためらっているように見える昨今のメディア状況を考えると、HBCが突出、孤立しているように思え、メディア全体は大丈夫だろうかと不安を感じないわけにはいきません。その意味でも、この映画が興行的にも成功することを期待したいと思います。
岸田首相は「増税メガネ」と揶揄されているようですが、米国のジョージ・ブッシュ大統領もジョークのタネにされることの多かった国家元首でした。ブッシュ大統領が現職のころ、以下のようなジョークが流れました。
ブッシュ大統領がある小学校を訪ねたときに、ボブという子どもが三つの質問をした。「なぜあなたは何でもテロだと言うのですか、米国は2度も原爆を落としたのになぜ道徳的に優れた国だと言うのですか、あなたはフロリダ州の票の数え直しでどうやって大統領になれたのですか」。大統領が答える前に授業終了のベルが鳴り、休み時間のあと次の授業が始まったときに、こんどは別の児童が大統領に質問しました。「五つの質問があります。最初の三つはボブと同じです。四つ目はなぜ終了のベルが20分も早く鳴ったのですか、最後にボブはどこに消えてしまったのですか?」
街頭演説で、ヤジをした人たちが排除され、支持者からの拍手と声援だけが響く、そんな国には、なってほしくないものです。
(冒頭の写真©HBC/TBS)
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素晴らしい記事、ありがとうございます。励みになります。