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大巻伸嗣のインスタレーションに魅了

2023.11.03 Fri

東京・六本木の国立新美術館で12月25日まで開催されている「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」を“体験”してきました。体験と記したのは、この企画展の柱が「インスタレーション」だったからです。私にとっては初耳だったこの言葉は「ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術」(ウィキペディア)だそうで、それなら鑑賞ではなく体験というわけです。

 

会場に入った瞬間、度肝の抜かれた、という言葉がぴったりの体験をしました。長さ50m、幅8m、高さ8mの大きな空間に、高さ7m、直径4メートルの巨大な「壺」(下の写真=大坂惠撮影)があったからです。「Gravity and Grace」(重力と恩寵)と名付けられたステンレス製のこの壺は、花鳥の文様が彫刻刀で彫られたようにつくられていて、壺の中心を上下する強力なLEDライトが文様を壁に映し出しています。

壺に近づいてみれば、金属だとわかるのですが、離れてみると、巨大なクリスタルのデカンタのように見えます。その花や鳥の文様を見ていても飽きないのですが、光源の動きが壁に移す影に目を移すと、ときにはっきりと文様を映したり、ときに陽炎のように文様を崩して壁を立ち上ったり、私たちに「ゆらぎ」を体験させてくれます。

 

開幕前日の内覧会で、作者の大巻氏は、「世界中のあらゆるものを文様に収めることで、地球そのものを示す壺になっている」と、説明していました(下の写真=大坂惠撮影)。広報資料やこの企画展の図録によると、「Gravity and Grace」は、2016年の「あいちトリエンナーレ2016」に初めて発表されたシリーズの作品で、このシリーズが生まれた経緯について、大巻氏は図録で次のように語っています。

「震災(東日本大震災)の前に私たちは、当たり前のように恩寵を受け、人間中心の世界を生きていたけれど、震災により、実はそれが当然の恩寵ではなかったことが判明しました。(中略)そして、その当たり前のものが何だったのかと考えたときに、やはり電気やエネルギーに行きつきました。それらが無くなってしまうことは、私たちの世界から太陽が無くなったに等しい。だから、当たり前にあるものが失われたらどうなるのか、疑問を投げかけるような風景を創りたいと思いました」

 

私たちは、その大きさに度肝を抜かれ、文様の美しさに見ほれ、強力な光が壁に映し出す影に揺らぎを覚えたのですが、大巻氏の言葉を読むと、「危険なものほど美しい」というメッセージも込められているようです。

 

巨大な壺の部屋を抜けて、壺の文様を写し取ったフォトグラムの作品群の廊下を通り、真っ暗な空間に入ると、再び、度肝を抜かれました。夜の砂浜に迷い込んだように思ったからです。打ち寄せる波の飛沫が月光に輝いています。海の向こうには何も見えないので、不気味なのですが、引いていく波が私たちを海の中に誘っています。

 

この空間は、「Liminal Air Time―Space 真空のゆらぎ」と名付けられています。長さ41m、幅24m、高さ8mですから、壺のある空間よりも、さらに大きく、波は大きな布(約37m×15m)をファンで揺らして波を作っているのだそうです。これだけの大きさですから、広い砂浜にいるような感覚になるのも自然のことなのでしょう。天井からの月光のような淡い光は、寄せては砕け散る波を見事に表現しています。この空間に流れる波の音を聴きながら、絶えず変化する波を見ていると、私たちの心には、いろいろな海が思い浮かんできます。

 

内覧会では、フランス在住の詩人、関口涼子さんの自作の詩の朗読とともに、ダンサー鈴木竜によるパフォーマンスも披露されました。波のなかから上がってくる鈴木のパフォーマンス(下の写真=大坂惠撮影)を見ているうちに、私は柳田国男の『遠野物語』の幽霊譚を思い出しました。大つなみで妻と子を失った人が夜の渚で、霧のなかから出てきた男女に出会い、女は亡くなった妻だったという話です。

夜の波は、こちらから何かを考えなくても、向こうからさまざまな思い出やイメージを運んできてくれます。この部屋の後ろの壁はベンチになっていて、いつまでも海を眺めていられるようになっています。静かに座る人もまた作品の一部なのでしょう。

 

図録に収められた関口涼子さんの詩「Liminal Air」の一節に、こんな言葉が書かれています。

 

波はメッセージなのです

物質が動いているのではなく、

メッセージが流れてきているのです。

 

まだまだ見るべき、語るべき作品はあるのですが、私は「度肝を抜かれた」二つのインスタレーションを紹介するにとどめます。一言付け加えるなら、「百聞は一体験に如かず」です。

 

(冒頭の写真は企画展の公式ポスター。掲載した会場内の写真はプレス内覧会で撮影したものです)

 


この記事のコメント

  1. 中山昇一 より:

    「真空のゆらぎ」という表現は非常に面白いですね。
    西洋でははるか昔から「真空」とはなにかを追求し続け、東洋では「無」を追求しつづけました。近代では、真空中にエーテルが充填されているという仮説になりましたが、真空中には光を伝搬させる物性(波動)があるということで決着しました。空間とは光がある場所、真空にも光を伝える電磁媒体があるということでした。関口さんの詩はあらためて真空を思い起こさせ、新鮮に感じました。

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