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『青いカフタンの仕立て屋』を彩るペトロールブルー

2023.05.03 Wed

『青いカフタンの仕立て屋』(英題The Blue Caftan、フランス・モロッコなどの合作、2022年)は、モロッコの古い町サレで、伝統的な衣装であるカフタンを縫製する仕立て屋のハリムとミナの夫婦、それに若い職人ユーセフが織りなす人間模様を描いた作品です。言語はアラビア語なのですが、登場人物の表情やしぐさから言葉を超えるメッセージが自然に伝わってくるので、なじみのない言語や文化の映画という違和感はありませんでした。

 

映画を見終わってから、この映画を象徴するものだったとわかったのは、オープニングのタイトルバックに映された青いサテンの映像でした。この布地をハリムがゆっくりとなぜたり、裁断して縫製用のマネキン(トルソー)に着せたりしています(下の写真、© LES FILMS DU NOUVEAU MONDE-ALI N’PRODUCTIONS-VELVET FILMS–SNOWGLOBE)。布地の美しさとともに、ハリムのしぐさには官能的な印象を受けたのですが、このカフタンに込められた意味を考えると、その印象は間違ってはいなかったようです。

青いサテンの素材は絹なのでしょう、その光沢は妖しげです。青色はやや緑がかっていて深い気品があります。そして、少しくすんだ感じは神秘的です。映画が物語に入ると、お客の女性がこの青いカフタンを見て、「あのロイヤルブルーの布地がいい」と言ったのに対して、ハリムが「ペトロールブルー」と言い返す場面が出てきます。この色へのハリムのこだわりは、映画の全体を貫く基調になっています。この映画をひとつの色で表すなら「ペトロールブルー」なのです。

 

この映画のマリヤム・トゥザニ監督は、プレス用資料のインタビューで、次のように語っています。

 

「影の主人公的存在の青いカフタンは、あの形になるまでとても時間がかかりました。まず、私が思い描いたペトロールブルーの生地が見つからなかったのです。あの色合いを求めて探し回り、パリの布地街、マルシェ・サンピエールで理想の生地を見つけたのです! 次は刺繍のデザインです。ストーリーに合うデザインが思い浮かばず、途方に暮れていたある日、ふと、大切にしまっていた母のカフタンを取り出してみました。その瞬間、私が探していた刺繍はこれだ! と気づいたのです。すぐに(仕立て職人の)ララアミさんに母のカフタンをお見せして、このデザインを再現してほしいと相談しました」

 

青いカフタンを「影の主人公」と呼ぶくらいですから、相当の思い入れがあることがわかります。カフタンは、アラブ世界では、スルタンなど権力者の衣装として用いられてきましたが、アルジェリアやモロッコなどでは、結婚式やパーティーなどに切る女性用の衣装としても使われるようになりました。金糸の縁取りや刺繍など手工芸を生かした高価なものですから、母から娘へと伝わっていくものなのでしょう。

 

wikipediaによると、トゥザニ監督(42歳)は、モロッコ出身で、英国でメディア・コミュニケーションやジャーナリズムを学んだのち、映画ジャーナリストになり、その後、映画をつくる側に転じ、脚本、監督、女優をこなしています(下の写真はwikipediaより)。言葉よりも心模様を映像に写し取る手法は、言葉による説得よりも共感による納得を大事にする日本的な感性に通じると思いました。前述のインタビューとは別の記事では、刺激を受けた女性監督として河瀨直美の名前をあげていました。時間をかけて登場人物に思いもよらぬ表現をさぐっていく河瀨のリズムが好きだというのです。

物語は、青いカフタンが仕立てられていくのと並行して、ミナの病気が悪化、その一方で、ハリムとユーセフの秘められた恋も高まっていく、という展開のなかで、劇的なエンディングに向かいます。凛とした演技で、まるでペトロールブルーのような、と言いたくなるのがミナを演じたでルブナ・アザバルです。ときに気丈に振る舞い、ときに奔放となり、ときにハリムに甘える役を見事にこなしています(下の写真、©は上記)。

「愛の三角形」は、どろどろとした人間関係のなかで、愛よりも憎悪が色濃くなるものですが、この映画の登場人物は、それぞれが相手を思うなかで、愛情と友情と信頼の関係を築いていきます。ミナに尽くす寡黙な職人ハリムを演ずるサーレフ・バクリ、ハリムへの尊敬と愛を秘めたユーセフを演じるアイユーブ・ミシウィも、アザバル劣らずペトロールブルーのような深みのある表情の演技を見せています。(下の左写真は、ハリムを演じたサーレフ・バクリ、右写真はユーセフを演じたアイユーブ・ミシウィ、©はいずれも上記)。

ホモセクシャルが法律で厳しく罰せられるイスラム社会のモロッコでは、性的な自由というメッセージをあからさまに映画で表現できないのだと思います。しかし、政治的メッセージの沈降させていることが、逆に自由を欲する人間賛歌、愛の賛歌を浮き出させているように思えました。ペトロールブルーという色が好きになる映画です。6月16日から、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で公開されます。


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