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「安宅コレクション」を東京で見る

2023.03.22 Wed

東京の泉屋博古館東京で、「大阪市立東洋陶磁美術館 安宅コレクション 名品選101」と題した特別展を見てきました。かつて経済記者だった私にとって「安宅コレクション」の名前は、経営が破綻して1977年に伊藤忠商事に吸収合併された安宅産業の乱脈ともいえる経営を象徴するものでした。だから、たとえ立派な美術品であっても、その収集が多くの社員の人生を狂わせることにつながったことを忘れるわけにはいかないと、ちょっと身構えて入館しました。

 

しかし、入場して最初に目に入った中国唐時代(8世紀)の「加彩 婦女俑」(下の写真1)を見て、「それはそれ、これはこれ」と思い直しました。当たり前ですが、美術品に罪はありません。美しいものは美しいのです。

ふくよかな身体にふっくらとした顔、細い手を胸の前に置いて少し首をかしげた様子は、なんともかわらしく、「あなたはだれ、何をしているの」と、しばらくこの女性像との対話を楽しんでいました。

 

展示された101点の写真と説明が付いた解説書『大阪市立東洋陶磁美術館 安宅コレクション 名品選101』(青幻舎、以下『解説書』)には、「もともと片手に小鳥を乗せ、それに触れ慈しんでいたのだろうか」と書かれていました。なるほど、それならこの愛らしい表情もわかる、と思いました。『解説書』には、それぞれの作品に学芸員たちが考えたキャッチコピーがつけられているのですが、この像は「MOCOのヴィーナス」。MOCOはどこの地名かと思ったら、大阪市立東洋陶磁美術館の英語名(The Museum of Oriental Ceramics, Osaka) からでした。

 

博古館東京の森下愛子学芸員によると、この像は柔らかい粘土でできていて移送のリスクが大きいため、MOCOが貸し出すのは最後かもしれないとのこと。東京で拝顔できる幸せをかみしめました。1982年に開館したMOCOは、エントランスの増築と施設の改修工事のため現在、閉館しているため、大規模な貸し出しが可能になったのです。MOCOのリニューアルオープンは2024年春頃と告示されています。

 

森下学芸員によると、安宅産業の会長だった安宅英一(1901~1994)のコレクション全体に流れるのは「品性と品格」であり、その審美眼は「茶の湯などの伝統的な概念を超越している」とのこと。とはいえ、審美眼とは無縁な私の目に入るのは、作品よりもキャプションボードに書かれた「国宝」とか「重要文化財」のお墨付きです。

 

この特別展には2点の国宝、重文11件が展示されています。国宝は、中国・元時代(14世紀)の「飛青磁 花生」と南宋時代(12~13世紀)の「油滴天目 茶碗」です。

 

飛青磁(下の写真2)の「飛」は、赤褐色の鉄班が飛んでいる模様で、日本では茶人に愛されてきたそうで、この瓶も大阪の豪商、鴻池家に伝来したもの。『解説書』には「国内外に類品が数点知られるが、飛青磁花生の最高傑作といえる」とあります。茶人は、大空を風に吹かれて飛んでいく雲などと見立てて、その飛模様を楽しんだのでしょう。私には、空を舞う鳥のようにも見えました。

油滴天目(下の写真3)は、「茶碗の内外の黒釉にびっしり生じた油の滴のような銀色の斑文」がその名の由来で、この茶碗は日本に伝来後、関白・豊臣秀次、西本願寺、京都三井家、若狭酒井家に伝えられ、「伝世の油滴天目の最高傑作」と『解説書』には書かれています。器の内側(見込み)を見ていると、油滴が青みがかっていて、息を泡にしながら深海にもぐっていくような気持ちになりました。

「国宝」もすばらしいものだと思いましたが、デザインの斬新さという点では、「重文」の「木葉天目 茶碗」(下の写真4)に目を奪われました。南宋時代(12~13世紀)の吉州窯(江西省吉安)の産で、「茶碗に木葉が舞い落ちたかのような斬新な意匠」(『解説書』)が特色で、この作品では、虫食いの跡もある桑の枯れ葉が使われているそうです。わび・さびの美意識を持つ日本文化には、ぴったりの茶器だったようで、この作品は加賀藩主の前田家に伝えられてきたと書かれています。

『解説書』によると、安宅英一氏が会社の事業の一環として美術品の収集を始めたのは戦後の1951年ですが、安宅英一がやきものに興味を持つようになったのは、戦前の1934年に朝鮮工芸会の展覧会に行ったのがきっかけとの説があるそうです。実際、初期の収集は朝鮮半島の陶磁がほとんどで、次第に中国の陶磁に広げていったそうです。

 

101点のなかで40点を占める朝鮮半島の作品のなかで、巧みな技の中に素朴な味わいを感じさせたのが朝鮮時代(18世紀前半)の「青花 窓絵草花文 面取壺」(下の写真5)です。朝鮮・李朝の青花磁器のなかで、楚々とした野の草花を描いたものを「秋草手」と呼ぶそうですが、『解説書』によると、この八角の面取りがされた壺は、「『秋草手』屈指の名作」と述べられています。

朝鮮半島の美術を「東洋文化のなかで卓越したもの」と位置付けて、日本に紹介した先駆者は、柳宗悦(1889~1961)です。柳は、14世紀末に始まる李朝時代の焼き物について、子どもが描いたもののように奔放な味わいを示している、と評しています(1922年「李朝陶磁器の特質」)。名もない職人たちがつくる実用品にこそ美あるという「民芸」を提唱した柳が朝鮮の焼き物にひかれたのは、朝鮮の陶磁器が官窯でつくられた「上手物」であっても、美術品とはみなされず、実用品として取り扱われたからで、このため民窯でつくられる「下手物」と差異がないと考えたからです(1932年「朝鮮陶磁號序」)。

 

『解説書』によると、この壺は、岩崎家が所蔵していたものを長期にわたる交渉の末に安宅英一が獲得したそうですが、「類品がもう一点知られている」として、柳の民芸運動に大きな影響を与えた浅川巧(1891~1931)が所蔵していたものとのこと。自宅にある『新装・柳宗悦選集』の第4巻「朝鮮とその芸術」(1972年、1922年に刊行された同名の書物の再録)を引っ張り出してみると、同じような形と模様の壺の写真が口絵にあり、柳が書いた挿絵の註には「浅川巧旧蔵」と書かれていました。この註を読むと、秋草手は「いかにも朝鮮人の心が示されている模様だと言ってよい」とあり、この壺は「絶品と讃えてよい」と絶賛されていました。この壺も安宅英一が手に入れたようで、収集家のこだわりが見えるようです。

 

『解説書』には、MOCO名誉館長の伊藤郁太郎氏の安宅英一の美意識について、語った次のような言葉が引用されています。

 

「安宅氏が排除したのはつくろいの心の見え過ぎるものであり、素直で自然なものは、その美しさを見落とすことはなかった」

 

柳の朝鮮美術に対する美意識とよく似ていて、既成の概念を超越した安宅英一の美意識の原点が「秋草手」にあるように思えてきました。

 

蛇足ながら、私が気に入ったのは、明・永楽帝時代(15世紀前半)の「青花 龍波涛文 扁壺」(下の写真6)です。『解説書』には、「荒波を背に飛翔する白龍」とありますが、私には、飛翔というよりも、荒波をぬうように泳ぐ白龍に見えました。白いしぶきを散らしながらさかまく波のあいまには、白龍がいてもおかしくないと思ったからです。コバルトブルーの海に白龍はよく似合うのです。

「虎は死して皮を残す」といわれますが、安宅産業は死してコレクションに名を残した、ということでしょう。この特別展は、5月21日まで泉屋博古館東京で開かれています。

 

(冒頭のポスターは泉屋博古館提供、文中の写真1~4は「大阪市立東洋陶磁美術館 写真:六田知弘」、写真5~6は、高成田惠撮影)

 


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