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連載⑪ 近世起源説を射抜いた 素朴で鋭い子どもの質問

2023.02.23 Thu

イデオロギーの怖さは「決めつけること」にある。「すべての歴史は階級闘争の歴史である」とマルクスは唱えた。そして、「人間の社会は原始共産制から奴隷制、封建制、資本主義を経て社会主義、共産主義に至る」と決めつけた。

それは「歴史の発展法則であり、必然である」として、資本主義を暴力革命で打倒するよう呼びかけた。イデオロギーは「自由な発想」を許さない。それに異を唱える思想や思考を排斥した。

日本では戦前、共産党は非合法とされ、過酷な弾圧を受けた。天皇制の下で戦争に突き進み、破局を迎えると、獄中で非転向を貫いた共産党員は釈放され、マルクス主義が急激に広まった。彼らは一貫して「天皇制の廃絶」と「侵略戦争反対」を訴えていたからだ。戦後社会、とりわけ知識層に大きな影響を与えた。

被差別部落の解放をめざす運動と理論は、こうした歴史のうねりの中で展開され、構築されていった。「部落は戦国末期から江戸時代にかけて、支配階級が民衆を分断統治するため新たにつくり出したもの」という近世政治起源説も戦後、マルクス主義を基盤にして成立し、広まった。

けれども、一人ひとりの人間が織り成す歴史は「階級闘争」という観点だけで説明できるものではない。「資本主義は革命によって打倒され、社会主義の世になる」というテーゼ(命題)はロシアの地で現実のものになり、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生した。だが、そこで人々が経験したのは、どのような圧政も及ばないほどのすさまじい粛清であり、収奪だった。

やがて社会システムは機能不全に陥り、ソ連は崩壊した。そして、その中核だったロシアは今、ウクライナに攻め入り、「ならず者国家」と指弾されている。

歴史の審判は峻厳で冷徹だ。その審判に耐えられないイデオロギーは葬り去られる。被差別部落の起源に関する近世政治起源説も破綻し、「歴史のゴミ箱」に打ち捨てられていく。

   ◇     ◇

とはいえ、その破綻が明白になるまで、学校教育では「同和教育」の名の下で近世政治起源説が長い間、教え込まれた。大阪府では『にんげん』、兵庫県では『友だち』という副読本が作られ、小中学生に無償で配布された。

大阪府の副読本『にんげん』は1970年から発行が始まった。小学6年生用の『にんげん』には、被差別部落の起源について次のように記してある。

「いまの部落につながるものは、戦国時代の終わりごろから江戸時代のはじめにつくられた。豊臣秀吉は、武士に抵抗する農民をおさえつけるために検地や刀狩をし、ねんぐのとりたてをきびしくすると同時に、身分を法によって決めていく。徳川が全国を統一するようになると、鎖国をして諸大名や商人の力をおさえ、キリスト教もとりしまり、身分制度をいっそうきびしくする。今日まで尾をひく部落差別は、ここで形づくられたのである」(1973年、三訂版)

副読本を編集したのは「全国解放教育研究会」である。研究会の当時の代表は部落解放同盟の上田卓三(たくみ)大阪府連委員長と中村拡三・近畿大学教授で、現職の教師たちが編集にあたった。

この研究会が編集した『解放教育読本 にんげん 指導の手びき』という教師用の手引書には、解放教育がめざすのは「解放の学力」の涵養であり、それには「三つの柱」がある、としている。

第一は「集団主義の思想を確立すること」、第二は「科学的認識・芸術的認識を深めること」、そして第三は「子どもたちに部落解放、解放の自覚をもたせること」である。イデオロギー教育の推進を公然と唱えている。私のように東北で生まれ、同和教育を受けたことのない人間にとっては、唖然とするような指導方針だ。

おまけに、「科学的認識を深める」と言っておきながら、教えていたのは一学説にすぎない「被差別部落=近世政治起源説」であり、その後、研究が進むにつれて否定され、破綻した学説だった。

子どもたちは学び始めてまだ日が浅く、未熟である。だが、愚かではない。多くの子どもは「部落は戦国末期から江戸時代初めに新しくつくられた」という教師の説明を素直に受け入れたが、中には「どういう人たちが部落民にされたの」と尋ねる子がいた。「部落民にされた人たちは反対しなかったの」と問う子もいた。

素朴だが、鋭い質問である。それは、近世政治起源説のアキレス腱を射抜く質問だった。同和教育を担った教師たちはうろたえ、シドロモドロになったことだろう。

   ◇     ◇

学問の世界でもこれと同じ疑問が発せられた。イデオロギーに囚われた学者たちはそうした疑問を封じ込めようと躍起になったが、日本中世史の研究者たちはそれを打ち破っていく。

連載(9)で紹介したように、鎌倉時代にはすでに「穢多」という言葉を使った絵巻物があることが分かっており、室町時代の文献には「非人」という言葉も頻出する。それらがどのような文脈でどのように使われているか、彼らは丹念に調べ上げていった。そして、中世の賤民たちが江戸時代の穢多、非人へと連綿とつながっていることを実証していったのである。

桃山学院大学の横井清教授は著書『中世民衆の生活文化』で、鎌倉時代の絵巻物『天狗草紙』に描かれた「穢多童(えたわらわ)」とその詞書(ことばがき)を詳細に論じ、すでにこの時代に穢多は「強度の賤視の対象とされていた」と記した。

さらに、室町時代の辞典『下学(かがく)集』などを引用しながら、穢多という蔑称と皮革業という職業、河原という居住環境が密接に結びついていることを明らかにした。それは、「近世の部落の特徴は身分と職業、住所の三つが切り離せないものになった点にある」という、近世政治起源説の根幹とも言うべき「三位一体」が中世から成立していたことを示すもので、近世起源説を根本から掘り崩すものだった。

文献の研究に民俗学などの視点も加えて、「部落の形成史を学際的に考察すべきだ」と唱えたのは、中世史研究者の網野善彦・神奈川大学教授である。

網野は、従来の歴史学が「天皇をはじめとする権力者やそれを支える農民」を軸に歴史を捉えてきたことを批判し、漁民や狩猟民、手工業者や芸能民、遊女や漂白する人々にも光を当て、中世の賤民もそうした文脈から捉え直すことを提唱した。

著書『無縁・公界(くがい)・楽—-日本中世の自由と平和』で、網野は京都の蓮台野(れんだいの)が中世を通して葬送を担っていたことを詳しく論じた。蓮台野は代表的な被差別部落の一つであり、近世、明治を通して差別にさらされてきた。「部落は近世に新たにつくられた」などという学説が成り立たないことを疑問の余地なく明らかにしたのである。

また、『中世の非人と遊女』では、京都・清水坂の非人が「天皇に直属する存在」であり、平民とは「異質な存在」であったことを示した。中世においても、部落は天皇制と密接に結びついていたと主張し、「戦後の歴史学の主流は(その実証的、科学的な研究のために)どれほどのことをしてきたか」と痛烈に批判した。

1980年代になると、中世史の研究者による近世政治起源説への批判はさらに鋭く、厳しいものになった。やがて「部落史の研究者でこの説を信じる者はほとんどいない」という状況になり、今日に至っている。

振り返って、破綻した学説を唱えた人たちはどう思っているのか。大阪市立大学の原田伴彦教授は、1980年の第2回部落解放研究者会議で次のように語っている。

「部落の起源を中世、古代にさかのぼらせる見解は戦前からあり、昭和20年代においてもあった。近世の賤民身分に入れられた人々の個人的ルーツをたどってみると、中世の賤民身分の人々の血をひいているケースが多々あるわけです。当然、古代までさかのぼります。そうなりますと、結局は(中略)原始時代まで部落の起源をさかのぼらせる、ということになってくる」

「それから、もし部落の起源を古代までさかのぼらせるとすると、(中略)天皇を歴史の中核にすえる考え方になってきます。そこに重点を置きすぎると、何か割りきれない面が沢山うまれてくるのではないか」

「部落の起源を古い時代にもっていくことは、結局日本人そのものと部落問題が不可分の関係にある、日本人がなくならない限り部落問題がなくならないという考え方になるわけです。こういう考え方は、運動にとってマイナスにこそなれ、少しもプラスにならないと考えています」

運動にとってプラスかマイナスかで考える――それはイデオローグや活動家の発想であり、研究者がとるべき態度ではない。長い目で見た場合、そうした考えに立って誤った学説を唱え、次の世代に伝えることが何をもたらすか。そこに思いが至らなかった。罪深い人たちである。

(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)

*初出:調査報道サイト「ハンター」 2023年2月23日
https://news-hunter.org/?p=16639

≪写真説明≫
大阪府が作成して配布した同和教育の副読本『にんげん』(副読本の無償配布は2008年度で終了した)

≪参考文献≫
◎『共産党宣言』(カール・マルクス&フリードリヒ・エンゲルス、岩波文庫)
◎『経済学批判』(カール・マルクス、大月書店国民文庫4)
◎大阪府の小学6年用副読本『にんげん』(全国解放教育研究会編、明治図書出版、1972年三訂版)
◎『解放教育読本 にんげん 指導の手びき』(全国解放教育研究会編、明治図書出版、1973年)
◎『中世民衆の生活文化』(横井清、東京大学出版会)
◎『無縁・公界・楽—-日本中世の自由と平和』(網野善彦、平凡社選書)
◎『中世の非人と遊女』(網野善彦、講談社学術文庫)
◎『部落解放研究 第21号』(部落解放研究所編集・発行)

*連載「東北の蝦夷(えみし)と被差別部落」の各回は次のサイトの末尾参照
▽ウェブコラム「情報屋台」

連載① 東北の蝦夷(えみし)と被差別部落  菊池山哉が紡いだ細い糸


この記事のコメント

  1. 春は遠く より:

    「ドグマ」に拘泥しないで、ひとつ一つの事象を解き明かすことが欠かせないことと思いました。「不可分」で逃れられないならば、困難を少しでも克服すべきなのは私たちです。

  2. 長岡昇 より:

    「春は遠く」さんへ 日本人=単一民族説は歴史的な事実に反しており、幻想です。数万年前、大陸と陸続きだった日本にはさまざまな人間集団がやって来たはずです。それらが時には争い、時には溶け合って、長い年月をかけて「民族的な集団」を形成し、後に「日本民族」と呼ばれるようになった集団が主導権を握るに至った、と考えられます。古代の東北を生活圏としていた蝦夷(えみし)もそうした「民族的な集団」の一つであり、畿内を拠点とする朝廷勢力と長い戦争の末に敗れ、賤民にされた、と私は考えています。西日本や関東に配流された蝦夷(俘囚)こそ、被差別部落の源流の一つ、と唱える在野の民俗学研究者、菊池山哉(さんさい)の仮説はきちんと検証されるべきであり、それを黙殺してきた歴史学者や民俗学者は怠惰のそしりを免れない、と考えます。

  3. 春は遠く より:

     日本語もまたアマルガムですね。大野晋さんが発見した日本語の源流のひとつ、タミル語。海外の碩学はその近縁性を認めましたが、国内では猛反発された。いまも、このタミル語からは離れていたいようです。多様であることが生存の可能性を高める。モノトーンよりもカラフルであってほしいと思います。日本書紀ですか、「撃てば草に隠れ、追へば山に入るときく。故、往古より以来、未だ王化に染はず」とある。記紀や万葉集の世界からは遠いところに、また世界がさらに広がっている、と。『未だ王化に染はず』という小説も、ありました。「混血は今も進行しており日本人は、渡来した北東アジア系と 在来の東南アジア系の二つの集団からなる二重構造が考えられる」と埴原和郎さんは説きました。最近では東大の研究者らがゲノム解析によって、この混血のことを解明すべく進んでいます。
     街を歩いていても、テレビを見ていても、日本に生まれし人の多様性は、さらに先へと飛躍しているようです。

  4. 長岡昇 より:

    「春は遠く」さんへ 懐かしい本に触れていただき、ありがとうございました。『未だ王化に染(したが)はず』は、朝日新聞の元同僚の外岡秀俊氏(元東京編集局長)が社会部の司法クラブに在籍していた頃(1986年)、中原清一郎というペンネームで福武書店から出した小説です。古代東北の蝦夷(えみし)をめぐる謎の追究がテーマの一つになっています。今回の「東北の蝦夷と被差別部落」の連載を始める前に外岡氏と連絡を取り合い、見解を尋ねたりしていましたが、彼は2021年12月23日に急逝してしまいました。良き助言者を失い、茫然としましたが、気を取り直し、その直後からポツポツとこの連載を書き始めました。折に触れて感想をお寄せいただき、ありがとうございます。励みになります。

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