映画『フィシスの波文』で考える自然と文様
私たちの身の回りにあふれる文様とは何か、あらためて考えさせるドキュメンタリー映画です。京都で江戸時代から唐紙をつくる「唐長」から始まり、アイヌの舞踊で終わる文様をめぐる美しい映像の旅は、文様がこれまで人類が続いてきた命の歴史を写し取ってきたものだと気づかせます。
タイトルのフィシス(physis)は、古代ギリシャ語の「自然」を元にした言葉だそうです。映画が映し出した「唐長」の「枝桜」、「鬼雲」、「細渦」など、どれも自然を巧みに取り入れた文様であることがわかります。どれも「唐長」に伝わる板木から擦られたもので、自然の営みや動きに、心を動かされてきた日本人のありようが現れているようにも思えます。(写真は、「唐長」の唐紙「枝桜」、「鬼雲」、「細渦」=©2023 SASSO CO.,LTD.)
映画は、唐紙の模様だけでなく、板木から和紙に模様を擦る「唐長」11代目の千田堅吉さんと妻、郁子さんの姿を映し、唐紙ができる過程を丁寧に見せています。「唐長」に伝わる板木は650枚もあるそうで、千田夫妻の厳粛ともいえる作業を見ていると、唐紙が自然とともに歴史を今に再生しながら伝えていることがわかります。文様は、浜に打ち寄せる波のように、繰り返しながら、その意味を静かに密かに伝え続けているのでしょう。(写真は、唐紙を擦る千田堅吉、郁子夫妻=©2023 SASSO CO.,LTD.)
この映画のプロデューサーである河合早苗さんは、唐紙は、日本人の自然観、宗教観と深く結びついているものだとして、映画の「プレス資料」のなかで、次のように語っています。(写真は、2024年4月1日に日本記者クラブで行われた試写会後の記者会見で語るプロデューサーの河合早苗さん(右)と監督・撮影・編集の茂木綾子さん=筆者写す)
「森の精気を含んだ板木、万年の記憶を砕いた岩絵の具、水と太陽によって白く晒された和紙。自然の記憶と手との対話から、文様は和紙へと反転され唐紙となる」
映画は、「唐長」から一転して、葵祭や祇園祭などの祭礼、寺社や茶事、イタリア・カモニカ渓谷のヴァルカモニカ岩絵群、ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会のモザイクと映像の旅を渦巻のように広げ、北海道アイヌの文様にたどり着きます。
アイヌ模様の衣装をまとったアイヌ猟師、門別徳司さんの雪景色のなかでの舞踊は、生きとし生きるものが自然そのものであることを風景に溶け込んだ衣装とともに鮮やかに見せています。(写真は、アイヌの舞踊を見せる門別徳司さん=©2023 SASSO CO.,LTD.)
人類は、自然のなかで命を与えられ、自然の恵みに感謝し、ときには自然の猛威を恐れながら、長い歴史をつくってきたはずです。しかし、「産業革命」以降の人類は、自然を命ではなくお金の道具として支配することばかり考えてきました。その結果がわずか200年ばかりの間に地球の自然は破壊され、人類の生存すら脅かされる時代を到来させました。
現代人が崇拝する文様は、自然に根差したものではなく、高級ブランドのロゴや高級車のエンブレムでしょう。私たちは、自然を写し取った文様から生命力を受ける時代から、ブランドを物神化してあがめるフェティシズムの時代に生きるようになりました。『フィシスの波文』は、私にとってそんな思いを想起させる映画でした。
(冒頭の写真は『フィシスの波文』で、唐紙を擦る「唐長」の11代目、千田堅吉さん=©2023 SASSO CO.,LTD.)
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