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東京都心で観る如意輪観音像の安らぎ

2023.11.25 Sat

東京都千代田区の半蔵門ミュージアムで、平安時代の作と伝えられる如意輪観音菩薩坐像と二童子像の公開がはじまりました。このミュージアムは、鎌倉時代の運慶作と推定される大日如来像が常設展示されていることで知られています。新たな像の展示で、ストレスの多い人々に心の安らぎを与える「都会のオアシス」がさらに充実したものになりそうです。

 

新たに展示された如意輪観音菩薩(下の写真)は、平安時代の10世紀後半ごろに制作された木像で、平安初期の874年(貞観16年)開闢とされる京都・醍醐寺に伝来していました。江戸初期の1669年(寛文9年)に修復され、醍醐寺の三宝院持仏堂に安置されたのち、下醍醐の大講堂(現観音堂)を経て、1935年から霊宝館に置かれていました。

2019年に醍醐寺から半蔵門ミュージアムを所有する宗教法人、真如苑に寄贈され、修理を施して、今回の展示になりました。今回の修理では、後世に盛られていた木屎漆(こくそうるし)を除去し、ミュージアムの山本勉館長によると、もともとの面貌をよみがえらせた結果、その面貌はふくよかで中国風であることが判明した、とのことでした。

私は仏教美術には縁なき衆生なので、観音菩薩像の価値も意味もよくわかりませんが、頬杖をつきながら静かに思いをめぐらせている佇まいは、観る人たちの心にも伝わり、おだやかな気持ちになると思いました。

 

六本の腕は「六臂」(ろっぴ)と呼び、奈良・興福寺の阿修羅像は顔が三つあるので「三面六臂」、その言葉から派生して大活躍する人は「八面六臂」です。この観音菩薩像は顔がひとつなので、「一面六臂」となります。右足を左腿(もも)の上に跏(か)した「半跏像」ですが、左足は椅子に座っているように踏み下げていて、「六臂」でこうした形は極めて珍しいと山本館長は説明していました。

 

デジタル時代の現在は、腕や顔を動かした連続画像を結合することで、八面六臂どころか千手観音も画像にできますが、昔の人は六臂に何を思い、何を託したのでしょうか。ウィキペディアなどで調べてみると、衆生は生前の業因により、天道、人間道、修羅道の三善道と、畜生道、餓鬼道、地獄道の三悪道の六世界を輪廻転生します。如意輪観音は、六つの手で、この六界に生きるすべてを救おうとしています。そして、「如意」とは如意宝珠、「輪」とは法輪で、右手の第2手は如意宝珠を持ち、左手の第3手は法輪を支えているとのことでした。

 

となると、残りの手が気になります。調べてみると、右手の第1手は頬に当てて「思惟」の相を示し、第3手は外方に垂らして数珠を持ち、左手の第1手は横に下げて体を支え、左手の第2手は蓮華を持っています。これだけあれば、六界の人たちも救われるというのでしょう。

 

今回の修復では、如意輪観音像を支える台座の修復が難しく、台座は新しくしたとのこと。醍醐寺霊宝館に置かれていた当時の写真(下の写真)を見ると、台座もなかなか趣がありそうですが、この如意輪観音像の千年を超える歴史の重荷には耐えかねたのでしょう、完全な修復とならなかったのは残念です。

二童子も醍醐寺から寄贈されたもので、不動明王に随侍する矜羯羅(こんがら)童子(下の写真の右)と制多迦(せいたか)童子(同左)です。このミュージアムは醍醐寺から贈られた不動明王坐像を展示していますが、この二童子とは別の一具です。とはいえ、この不動明王坐像と二童子が醍醐寺の霊宝館に安置されていた時には、この二童子が不動明王に脇侍していたそうで、再開を果たすことになりました。(下の写真)

童子というわりには、かわいいという印象を持たなかったのですが、不動明王の「慈悲」を表したのが矜羯羅童子、「忿怒」を表したのが制多迦童子で、不動明王のいろいろな思いを表しているのが童子であるなら、かわいらしさばかりを求めてはいけないのでしょう。

仏法を守る随侍となると、奈良・東大寺南門の金剛力士像のように強さがいうような気がします。不動明王のそばにいるのが二童子だけでは、頼りないように思えたので、無知を承知で、山本館長に「童子は二人だけですか」と尋ねたら、不動明王はこの二童子を随侍させることが多いが、不動明王に使える八童子というのもある、とのことでした。調べてみると、高野山霊宝館には、不動明王に使える八童子が収納されているそうです。

 

こうした仏像に接すると、いろいろな疑問が生まれ、その答えを知ると、仏教美術は奥が深い世界なのだなと思います。如意輪観音菩薩に魅かれ、またミュージアムに立ち寄りたくなりました。

(写真は、醍醐寺霊宝館時代の如意輪観音像を除き、すべて半蔵門ミュージアム提供)


この記事のコメント

  1. 春は遠くに より:

     芝の増上寺には、鎌倉時代に菅山寺の専暁が中国から持ち帰った宋板一切経や、伽耶山海印寺からの高麗八万大蔵経、杭州普寧寺由来の元版大蔵経があります。年に一度は経蔵の一般公開もあるようです。宋板一切経だけでも五千巻以上あり、これら三つの大蔵経が、いまの仏教経典の基礎になっています。

  2. 中北 宏八 より:

    半蔵門ミュージアム、ちょっと時間があってたまたま21日に前まで行ったのですが、公開前日で入れませんでした。

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