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ウクライナからの俳句

2023.08.22 Tue

日本記者クラブの「著者と語る」というシリーズ会見に、ウクライナで俳句を詠むウラジスラバ・シモノバさんが8月21日、ウクライナからのオンラインで登場し、今月末に日本で刊行される句集『ウクライナ、地下壕から届いた俳句-The Wings of a Butterfly-」(集英社インターナショナル)について語りました。世界最小の文学といわれる俳句を通じて、戦争が日常というウクライナの人々の生活を表現する、それが「戦争に立ち向かう自分の武器」だと、著者は語りました。

シモノバさんは、1999年にウクライナのハルキウで生まれ、14歳のころ、心臓疾患で入院しているときに、日本の俳句に出会い、「五七五の17文字のなかに、人生や自然が表現されていることに驚き、これは神様が私に俳句をつくれと教えてくれている」と思い、俳句をつくりはじめと語りました。シモノバさんがこれまでにつくった俳句は700首を超え、今回の句集は、そのなかから50首を選んだものだそうです。

 

著者が生まれ育ったハルキウはロシア国境に接する都市で、昨年2月、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまると、真っ先に激しい市街戦となりました。ウクライナ軍がロシア軍を押し戻してからも、ミサイル攻撃は続いています。シモノバさんは家族とともに地下壕での不自由な暮らしを強いられたのち、親類の住む別の町に避難し、現在もそこで暮らしています。作句は続けていますが、戦争によって、自分の詠む俳句も変化したと、次にように語っています。

 

「戦争が始まる前は、自然のうつろいが主な主題で、木々や花々、川や空を観察して、そこからのインスピレーションで俳句をつくってきました。戦争によって、人生がまったく変化し俳句も変化しました。俳句をつくることで、精神的に落ち着くことができたので、俳句が自分を助けてくれたと思っています」

 

 記者クラブの会場には、この本の監修者で、シモノバさんのロシア語の俳句を日本語の俳句にした俳人の黛まどかさんも出席し、本の制作経過や著者について話をしました。日本語の俳句にするにあたっては、日本語に直訳したロシア語の句をみながら、黛さんを含む12人の俳人が日本語の俳句にしたそうです。そのいくつかの具体例は、とても興味深いものでした。(下の写真は日本記者クラブで会見する黛まどかさん=オンライン画像から)

  • さくらさくら離れ離れになりゆけり

 

これが本に掲載されている俳句ですが、出版社の報道資料によると、著者の原句は

Разлетаются/ как цвет вишни на ветру/ близкие люди.

私はロシア語が読めないのですが、シモノバさんは五七五の音節を基本に考えて、指を折りながら詠んでいると語っていました。だから、ロシア語で読むと、五七五の17音になっているのだと思います。日本語に直訳すると、

飛び去る/風に乗る桜のように/親しい人たち

となります。これを黛さんたちが原意に沿ってひとりよがりにならないように、そして読者である日本人の心に響くような俳句に仕立て直したと語っていました。

  • 引き裂かれしカーテン夏の蝶よぎる

 

この俳句の原文は

Ветер колышет/разорванныешторы/ Полёт бабочки.

直訳は、風に揺れている/引き裂かれたカーテン/蝶が飛ぶ

です。蝶の季語は春ですが、この句のカーテンは、春風に揺れるカーテンではなく、ギラギラした夏の陽が差し込んでくるというイメージで、実際に潮の場さんが詠んだのも夏だったので、「夏の蝶」と、あえて夏を加えたとのことでした。(上の写真は出版社が提供した著者撮影の映像)

 

  • いくたびも腕なき袖に触るる兵

 

原句は

В скверике солдат/раз за разом трогает/ свой пустой рукав.

(直訳)公園に兵士/何度も触れる/からっぽの袖

戦争の句には、季語を加えることをせず、無機質に仕上げることで、戦争の過酷さを表現するようにしたとのことでした。

 

  • 祈るかに悼むかに夜のつづれさせ

原句の直訳は

夜中ずっと/コオロギが哀悼を捧げ続ける/戦争の被害者に

日本の俳句になったら、コオロギが消えたと思ったのですが、ツヅレサセコオロギ(別名コオロギ)は、エンマコオロギなどと同じようにコオロギの種類だそうで、調べたら俳句では、「ちちろ」、「つづれさせ」などがこおろぎを示す秋の季語でした。つづれは、破れをつぎあわせた着物で、ウィキペディアによると、コオロギの鳴き声を「肩刺せ、綴れ刺せ」と聞きなし、冬に向かって手入れせよとの意にとったのが由来とのこと、日本語は奥が深いですね。

 

黛さんは、戦争が日常生活に溶け込んでいるものとしてシモノバさんのこの句を取り上げ、同じような句として渡辺白泉(1913~1969)の次の作品を紹介しました。

 

戦争が廊下の奥に立ってゐた

 

渡辺白泉は、私にとっては未知の人と句だったので、またウィキのお世話になったら、白泉は昭和初期の新興俳句運動で活躍した俳人のひとりで、新興俳句弾圧事件に連座して、戦争中は執筆活動ができなかったとありました。私と同じ小学校(中村草田男の「明治は遠くなりにけり」の句碑があります)だとわかったので、親しみを感じましたが、それにしても明日の日本、いや今の日本にあてはまるようなぞくっとくる俳句です。

 

シモノバさんの話で印象深かったのは、ロシア語で書くことへの「心の痛み」を感じるようになり、最近はウクライナ語で俳句をつくる一方、古い俳句もウクライナ語に直す作業をしていると語っていたことです。ハルキウの日常語はロシア語だったそうで、ウクライナ語と似ているのですが、音節が異なるものが多く、ウクライナ語の俳句にすると、五七五の音節からはずれてしまうのでしょう。戦争が作家の命である言語も奪っていることになります。

 

黛さんの話で印象的だったのは、シモノバさんの俳句が具象的で、観念的抽象的でないので、俳句にしやすかった、と語っていたことでした。たしかに日本の俳句は、花鳥風月に、自分の心のありようを写そうとするので、描かれているものは具象的になっているのだと思いました。人間を神の相似形として特別視するキリスト教の世界では、草花や動物に心を寄せるなどというのは、苦手かもしれませんね。

  • 地下壕に紙飛行機や子らの春

 

これもシモノバさんの句ですが、一刻も早く平和が訪れて、子どもたちの紙飛行機が大空に舞ってほしいと心から思いました。(上の写真は、出版社から提供されたシモノバさんの映像)

(冒頭の写真は日本記者クラブでのオンライン会見の映像)


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