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ドイツ・ウーラント紀行⑤

2023.06.28 Wed

シュトゥットガルトでポルシェ博物館やヴァイセンホフ住宅群を見学したあと、私たち「別動隊」は「本隊」に合流し、ウーラントの生まれ育ったテュービンゲンに向かいました。列車で50分足らずで、テュービンゲン駅に到着しました。ここもネッカー川沿いの町で、シュトゥットガルトより上流ということになります。あらためて今回の旅行を振り返ると、フランクフルトからハイデルベルグに南下し、そこからネッカー川をさかのぼるようにシュトゥットガルト、そしてテュービンゲンまで来たことになります。

 

◆ネッカー川で舟遊び

 

テュービンゲンの町はずれにあるホテルに荷物を預けると、タクシーで向かったのは旧市街のネッカー川にかかるエバーハルト橋です。そこから川沿いの狭い道を歩いて進んだところにある船着き場から、シュトッハーカーン(Stocherkahn)という観光用の木造ボートに乗りました。船頭は、長さ7mはあろうかという長い棹(さお)を川底に立てて、ボートを押し出すようにして進みます。

棹で船を操縦するのは、古来、どこの国にもあるようですが、私は、船頭の様子を見ながら、ウーラントが乗った渡し舟もこんな感じだったのだろうと思いました。というのも、ホーヘンの案内板に掲載されている1930年の風景(下の写真)でも、船頭が長い棹を持っていたからです。

ホーヘンで渡しに乗ることはできませんでしたが、同じネッカー川で、同じような木の小舟に乗って、船頭も同じような長い棹を持って、という環境で、少しでもウーラントの気分になってみようという趣向です。情に棹さして、流されてみようというわけです。

 

舟はゆるやかなネッカーの流れをのぼっていきます。真っ先に目に着いたのがヘルダーリン塔と呼ばれる古い建物です。ドイツ・ロマン派の詩人として知られるフリードリヒ・ヘルダーリン(1770~1843)がここに住んでいたというのです。ヘルダーリンは、テュービンゲン大学神学校で学びましたが、聖職に就くことを拒否し、家庭教師の道を選びました。そのかたわら、詩を書いたり、『ヒューペリオン』(Hyperion)という小説を書いたりしました。

ヒューペリオン(英語読みはハイペリオン)は、ギリシャ神話に登場する太陽神で、「ギリシャの青年が祖国解放戦争や女性への愛などを経て祖国の自然に目覚めるまでを描く物語」(ウィキペディア)で、第1巻が1796年に出版されます。題名からしても、ドイツ・ロマン派が影響を受けた古代ギリシャへの傾注があるようです。1796年から97年にかけては、神学校で同級生だったヘーゲルやフリードリヒ・シェリング(1775~1854)と「ドイツ観念論最初の体系計画」という論文を共同で執筆しました。

 

若きヘーゲルが共鳴したヘルダーリンの「合一哲学」について、前述の『ヘーゲルとその時代』は、次にように説明しています。

 

「主体と客体の合一という(ヘルダーリンの)目標は、『ヒューペリオン』では『一なる生』の思想として表現されている。(中略)そして、ヘルダーリンやシラーによれば、古代ギリシャ人こそ、自分を世界と結びつける美の能力を備えていた」

 

ヘルダーリンの家庭教師生活は落ち着かなかったようで、1806年ごろから異常な行動が目立つようになり、テュービンゲン大学医学部精神科で回復の見込みがないと診断され、ヘルダーリンの熱心な読者だったひとの家に引き取られます。そこで亡くなるまで27年間過ごしたのがこの塔ということになります。

 

ヘルダーリンの詩集で生前に発表されたのは1826年に出版されたものだけですが、編集したのは同郷の詩人で交友のあったウーラントらでした。ウーラントは、ヘルダーリンの7つ下ですから、彼の詩に大きな影響を受けたのだと思います。

 

ヘルダーリン塔を過ぎた小舟はさらに上流までさかのぼり、Uターンしてエバーハルト橋をくぐったところで再び逆転して、元の船着き場に戻りました。所要時間約1時間の楽しい舟遊びでした。ウーラントの「渡し」を思い浮かべながら、情に棹さして流されてみたのですが、ホーヘンと違って、古城が見えなかったせいか、雲白く遊子悲しむ、という心境には至りませんでした。

 

◆朝市

 

テュービンゲンのホテルに一泊し、翌朝はシュトゥットガルトと同じように、「本隊」はウーラントめぐり、「別動隊」は旧市街で開かれている朝市の見学です。朝市は、月、水、金の午前中、旧市街の真ん中にあるマルクト広場(文字通りの市場ですね)からシュティフト教会にかけて開かれています。(下の写真は、シュティフト教会前とマルクト広場の朝市)

朝市で目に付いたのは、ホワイトアスパラガスを売る店です。下の写真は、シュティフト教会前のお店です。これだけ並んでいると、まさに壮観です。ドイツ語ではシュパーゲル(Spargel)と言うそうで、緑色のアスパラガスもシュパーゲルですが、春にシュパーゲルといえば、ホワイトアスパラガスだそうです。

今回の旅行に行く前、妻に同行を求めたところ、ビールは飲めないし、ソーセージも好きではない、と乗り気ではなかったのですが、5月のドイツはホワイトアスパラガスがおいしいと、説得しました。そんなこともあって、どこのレストランに入っても、シュパーゲルは必ず注文しました。茹でたアスパラガスにバターソースというのが定番のようでしたが、やわらかな歯ごたえとじわっと染み出す草汁のみずみずしさは素晴らしく、妻も「まったく飽きることはなかった」との感想でした。(下の写真は、ミュンヘン新市庁舎の地下にあるラーツケラーで注文したシュパーゲル)

そもそもアスパラガスとは、などと考えたことはなく、トウモロコシやジャガイモと同じように、「コロンブスの交換」で新大陸から欧州に伝播したものかと思ったら、なんと欧州が原産地でした。この稿を書くので、フランドル他編『食の歴史』(藤原書店、全3巻)を開いたら、ローマ時代の野生の野菜としてアスパラガスが登場し、「あくまで悲惨という状態に置かれた人間の食料」(1巻)と書かれていました。

 

同書(2巻)によると、アスパラガスが食材として見直されたのは、近代になってからで、肉や魚よりも野菜の消費量が増加する「食材選択の革新」が背景にあったようです。同書には、近代のアスパラガスについて次のような記述があります。

 

「アーティチョーク、カルダン、アスパラガスがメロン、オレンジ、レモンと競い合う」

 

メロンなどと競うのですから、ローマ時代と比べれば大出世です。同書(3巻)で、食材の域を超えた「空間におけるフォルムの勝利者」と評されたのは、エドゥアール・マネ(1832~1883)の「アスパラガスの束」という絵画でした。たしかに写真を見ると、おいしそうという感想の前にシュールだね、と言いそうです。とはいえ、この絵を収蔵しているのはドイツ・ケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館ですから、地元の鑑賞者は、この絵を見て、今晩の食卓はこれ、と決めているかもしれません。

蛇足ですが、マネが1880年に描いたこの絵に付けた値段は800フランだそうで、いまの日本なら40~80万円といったところでしょうか。なぜ、値段がわかるかというと、この絵を買ったひとがすばらしい絵だからと1000フランを支払ったところ、マネは「あのアスパラガスの束から1本抜け落ちてました」というメッセージとともに、1本のアスパラガスを描いた絵(下の写真)を贈った、という逸話が残されているからです。こちらのアスパラガスも私から見ると、あまり食欲はわかないのですが、パリのオルセー美術館で鑑賞するパリのグルマンはどう思うのでしょうか。

◆ウーラントの生家

 

朝市からアスパラ談義になってしまいましたが、朝市を見学したあと、テュービンゲン城に行こうと、旧市街の道を歩いていたら、ウーラント通りという看板を見つけ、さすが地元だと感心しながら、その道をたどっていったら、ウーラントの生家(下の写真左)という大きな家が建っていました。父親は大学事務長などを務めた人だったそうですから、上流の市民階級だったのでしょう。家のすぐ近くにあるのが寄宿神学校(下の写真右)で、ウーラントは14歳で入学し、18歳からはテュービンゲン大学で法学を学びました。この神学校の5年先輩がヘーゲル、ヘルダーリン、シェリングということになります。

私たちは、テュービンゲン城(下の写真左)に入り、そこにあるテュービンゲン大学の博物館で、石器時代の象牙の彫刻(下の写真)や古代エジプトやローマの土器、彫像(下の写真)などを見学して、本隊に合流しました。テュービンゲン大学は1477年創立という歴史がありますから、たくさんの宝物を保有していても、おかしくはないのでしょう。いろいろな分野のコレクションを持っているという点では、欧州でも最大規模だとパンフレットには書いてありました。

ミュンヘンに向かうため、「本隊」と合流したときに、ウーラントの生家は見つけた、と自慢しました。しかし、その後、釜澤さんの報告を見たら、「本隊」は生家はもちろんのこと、テュービンゲンの市営墓地にあるウーラント夫妻の墓、ウーラントが5歳から通ったギムナジウム、そこに隣接するウーラント記念碑などを見学していました。やはり、「本隊」の生産性にはかないませんでした。(下のウーラント夫妻の墓、ギムナジウム、ウーラント記念碑の写真は、すべて釜澤克彦さん撮影)

 

(冒頭の写真は、シュティフト教会前の朝市。正面の赤い建物は旧ヘッケンハウアー書店で、ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)が若いころ働いていた書店で、現在はヘルマン・ヘッセ記念室があります)


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