映画『桜色の風が咲く』を観て
東京大学先端科学技術研究センターでバリアフリーなどを研究する福島智教授は、盲ろう者(視覚と聴覚の重複障がい者)として世界で初めて大学教授となった人物です。その福島さんの幼児期から大学受験までの半生を、母と子の物語として映画化したのが11月4日から全国で公開される『桜色の風が咲く』(監督・松本准平)です。
1962年に兵庫県で生まれた福島さんは3歳で右目、9歳で左目を失明、東京の盲学校(筑波大学附属盲学校高等部)に在学していた18歳のときに聴力も失いました。盲学校を卒業後、東京都立大学に入学、盲ろう者として日本で初めての大学入学者でした。その後、都立大の修士、博士課程に進み、博士号を東京大学で取得したのち、都立大助手、金沢大学助教授を経て、2001年からは東大の先端研に移り、現在は教授として活動しています。
この映画は、視覚と聴覚を失った子どもと母親の物語ですから、劇場で一般公開される映画としては、とても重いテーマだと思います。しかし、逆境を乗り越えて人生を切り拓こうとする主人公と、それを励まし支えていく家族や友人たちの様子を、ときにユーモラスに描いたこの作品は、重苦しいというよりも、題名が示唆するように、さわやかな印象を与えています。光と音のない世界にあっても、人間には無限の可能性があることを私たちに伝えているからだと思います。
智役の田中偉登、母親役の小雪、父親役の吉沢悠ら出演者は、それぞれの苦悩を観客に押し付けるのではなく、抑制しながら演じているのに好感を持ちました。とくに母親は「関西のおばちゃん」ですから、ゴテゴテといった演技も可能だったかもしれませんが、どこにでもいる母親のように自然に演じているところに俳優としての巧みさを感じました。松本監督は演出で大切にしているのは「その人の嘘のないところが映るようにしたい」ということだそうで、出演者たちは、その「嘘のなさ」を出しているように思いました。
私は10月14日に日本記者クラブで行われた試写会で、この映画を鑑賞したのですが、映画の上映のあと、モデルになった福島さんの記者会見がありました。その席で、福島さんは、小雪さんと最初に会ったときの印象を次のように語っていました。小雪さんは、大学の研究室に点字や指点字の練習もかねて、訪れたそうです。
「握手したときの感じは、とても感触が美しく、指が細くて長く、肩を触ったら、背も高く、言葉もすっきりした標準語で、だいぶおふくろとはちゃうよなと思いました。しかし、話をしたり、点字や指点字をなさっている様子を見たりして、まず思ったのは(子どもを思う)母親だなということでした。そして、点字や指点字などチャレンジ精神があると思いました。生きるうえでのパワーがあるということは、おふくろと共通しています。外見は関西のおばちゃんではなくても、その生きるパワーという根っこの部分はおふくろと似ていると思いました」
実は、福島さんの記者会見に出席するに際して、目が見えず、耳が聞こえない福島さんとの問答はうまくできるのだろうかと考えていました。しかし、会見がはじまると、福島さんは隣席した指点字の通訳者から記者の質問を理解すると、即座に応えるので、外国語の同時通訳が付いた会見と同じように、スムーズなコミュニケーションができているのに驚きました。
この会見の様子は、日本記者クラブのウェブページ(https://www.jnpc.or.jp)で見ることができるので、映画だけでなく、この会見映像もぜひ見ていただきたいと思います。福島さんの語り口に魅了されるとともに、指点字の威力にびっくりすると思います。
指点字は、両手の親指と小指を除く6本の指を使って、相手の同じ6本の指をタップすることで、六つの点で表す点字と同じように文字を伝えていく仕組みです。点字によるコミュニケーションだと、点字を打つ時間があるのですが、指点字だとほとんどリアルタイムに言葉を伝えることができます。驚いたのは、この指点字を考案したのが福島さんの母親の令子さんだということでした。映画では、点字を打って伝える余裕がなく、ふと子どもの指を取って、指を点字タイプライターに見立てて、「さ、と、し、わ、か、る、か」とタップする場面になっていました。
日本には約1万5千人の盲ろう者がいるとのこと、この指点字は、こうした人たちのコミュニケーションにとって画期的な技術革新になったそうです。福島さんの会見で、私が感動したのは、18歳で光と音を失ったときの話でした。
「なんでオレだけこんな目に遭わなあかんのかと、はじめは思いました。目も見えないうえに、耳も聞こえなくなって、神か仏か運命かわからないけど、オレをこういう状況にした存在はひどいじゃないかと思いました。だけど、そもそもオレが生きているってことは何なんだろうと考えると、なぜ生きているのかわからないけれど、ひとつだけはっきりしているのは、自分の力で生きているわけではない。つまり、なんだかわからない大いなる存在が私に命を与えていると考えたときに、生きていることにもし意味があるとすれば、この苦悩にも意味があると思いました。あるいはそう思おうとしたんです。ある時点で、自分には使命があるかもしれないと、ふと思い、その使命を果たすためには、この苦しい状況を経験する必要があると思って、そうやって自分を納得させていたんです。ここまで考えたときに、内面的に落ち着きました」
福島さんは、こうした内面での「思索」とともに、指点字という外界とのコミュニケーションの手立てを得ることで、「生きていこうという気持ちになった」と語っていました。
私は、福島さんの話を聞きながら、旧約聖書の「ヨブ記」を思い出しました。ヨブの神への信仰を試すため、サタンによってヨブは財産や子どもたちを次々に失い、自分も皮膚病に侵されます。「神を呪って死になさい」と言う妻に対してヨブは言い返します。「私たちは神から幸いを受けるのだから、禍いも受けようではないか」。
会見で、私は情報化社会についての福島さんの見解を尋ねました。私たちは、あふれんばかりの情報を目や耳から得ています。一方、目や耳からの情報を閉ざされ、点字という限られた文字情報で生活している福島さんには、情報過多の現代社会がどう映るのか、知りたいと思ったからです。福島さんの応答は次のようなものでした。
「私は文字情報で多くの情報を得ているのですが、コミュニケーションには文脈情報と感覚的情報とが必要だと思っています。どういう背景で語っているのかという文脈と、どんな表情や口調で語っているのかという感覚情報です。ネット空間のように、言葉が空中を飛び交っているだけでは、人はきちんとコミュニケーションができないのではないかと思います。情報化社会で情報は重要ですが、言語と感覚に訴える文脈がないと、お互いに何を言っているのかわからないことになると思います」
私たちは多くの情報をテレビやネットで得ていますが、その言葉や映像の情報がどういう文脈で出てきたのかということを無視して、情報を判断していることも多いと思います。情報化社会とは、情報を自分のなかに取り込み消化することができず、空中を飛び交う情報のなかに自分も漂っている社会かもしれません。感覚と文脈で情報を読み取ることの大切さを福島さんからあらためて学んだ気になりました。
試写会と記者会見の翌日は、私の住む地域にある小学校の学校公開日だったので、この小学校の学校運営委員会(法律上は学校運営協議会)の委員として、授業を参観することにしました。この世田谷区立の小学校には、弱視の児童が学習する「目の教室」があるので、前日の映画に感化されて、教室に行きました。この日は、授業がなかったので、担当する教員から、「目の教室」について概要を教えていただきました。
この教室に通う児童は週1回、通常のクラスから離れて、弱視を補助する拡大読書器などの器具の使い方を学んだり、同じハンディを持つ子ども同士で話し合ったり、教員から心のケアを受けたりしているそうです。在籍する児童18人のうち、この小学校の児童は6人で、ほかの子どもたちは他校から保護者が送り迎えしています。他校からの児童が多いのは、東京都内にある弱視指導学級は9学級しかないからで、自校の6人も、この学級に通うため、他の地域から転居してきた家族だそうです。映画にも描かれていましたが、ハンディを持つ子どもを抱える家庭のご苦労は、並大抵ではないと推察しました。
この日、学校公開とは別に、「目の教室学習会」があり、これも見学しました。目の教室に通う児童や教室の卒業生が保護者とともに参加して、講師の話を聞いたり、集団活動をしたりという催しです。今年度の講師は、慶応大学経済学部教授の中野泰志さんで、低学年向けには「びょうどう」(平等)という考え方を、高学年向けには「夢を実現するために大切こと」について話をされていました。
中野さんは心理学が専門で、障害者福祉にも詳しく、東大先端研の福島研究室に3年間、在籍した経歴もありました。福島さんをモデルにした映画を観て、記者会見に参加した翌日、福島研究室で研究された学者の講和を聴くという偶然に、私は驚きました。
この学習会に参加した保護者のひとりと話をしました。目の教室に子どもを通わせるために神奈川県から転居したとのことで、「こういう学級があることは、子どもにとって、とてもありがたい」と語っていました。お子さんは、弱視が進んでいるようで、白い杖を手にしていました。私が映画の話をすると、ぜひ、観たいと言っていました。この家族にも桜色の風が咲くといいなと思いました。
映画は、11月4日から、シネスイッチ銀座、ユーロスペース、新宿ピカデリーほか全国順次ロードショーされます。
(冒頭の写真は、映画『桜色の風が咲く』の場面、©THRONE / KARAVAN Pictures)
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映画と人間心理と生活保護者と本人天性の脳の良さ、などを考えました。五体満足の90歳の人間からです。