『重信房子がいた時代【増補版】』を読む
日本赤軍の重信房子さん(76)が20年の刑期を終えて出所したというニュースは、世界にも流れました。私がチェックした範囲では、英BBC、中東アルジャジーラ、仏ル・モンドなどのウェブページが釈放のニュースを報じました。アルジャジーラは彼女を次のように紹介しています。(写真はアルジャジーラの2022年5月28日のウェブから)
「重信房子76歳は、1970年代から80年代にかけて、左翼組織がパレスチナの大義を支持して世界中で攻撃を実行していたときに、世界でもっとも悪名高い女性のひとりだった」
日本赤軍は、そう名乗る以前も含め、パレスチナで武装闘争を展開したパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などと連携しながら、1972年のテルアビブ空港乱射事件(リッダ事件)やハーグ仏大使館占拠事件(ハーグ事件)、1975年のクアラルンプール米大使館など占拠事件(クアラルンプール事件)など、世界各地で武装闘争を起こしました。重信さんはその「最高幹部」でしたから、「世界でもっとも悪名高い」と報じられるのも大げさではないのかもしれません。パレスチナの国際的な運動体と称しているパレスチナ青年運動(Palestinian Youth Movement、PYM)はツイッターで、重信さんの釈放を次のように「祝福」しています。(写真はPYMのツイッターから)
「日本の自由の戦士である重信房子が釈放された。彼女はパレスチナ人民とその闘争にとっての終生の同志である」
世界に悪名をとどろかせ、パレスチナでは英雄視されてきた重信房子さんですが、出所後は「普通の人」として生きるようです。刑期を終えたのですから「受刑者」から「普通の人」になったわけですが、それだけでなく、出所にあわせて発表された手記では、
「私や、日本赤軍の闘いの中で政治・軍事的に直接関係の無い方々に、心ならずも被害や御迷惑をおかけしたこと、ここに改めて謝罪します」
として、パレスチナ解放闘争は否定していませんが、日本赤軍の行動で被害を受けた人々に謝罪しています。また、日本で武装闘争を起こした赤軍派についても、
「赤軍派は、闘い、失敗を重ね、弾圧の中で、うまく闘うことが出来ませんでした。『武装闘争路線』が間違っていたからです」
と、総括しています。そして、今後については、
「社会に戻り、市民の一人として、過去の教訓を胸に微力ながら何か貢献したいという思いはありますが、能力的にも肉体的にも私に出来ることは、ありません」
と書いています。もはや運動を起こす力は残っていない、というのですから、「活動家」ではなく「普通の人」として生きるということでしょう。
私は、全共闘世代という意味では重信さんと同じなのですが、パレスチナ解放闘争に加わった「戦士」という知識しかない私にとっては、縁遠い人と思っていましたが、出獄にあわせて発売された由井りょう子著『重信房子がいた時代 増補版』(世界書院)を読むと、同じ空気を吸っていた、という思いになりました。
この本は、重信さんと大学のサークル「文学研究会」で親しくしていた著者が大学生だったころの「房子」の実像を手掛かりに、子ども時代から今日までの半生を丁寧にたどったノンフィクションです。どのエピソードも、ほのぼのとしていて、これが「革命家」の素顔なのかと思いました。
本書の第1章は、大学時代から41年ぶりに東京拘置所で著者が重信さんに面会した場面からはじまります。
「『国際テロリスト』として、重信房子の名前は知れ渡っている。けれども、私をはじめ文研のころの房子を知るものにとっては、あの部屋にいたちょっと目立つ学生が、相応に年を重ねただけの房子でしかない。重信房子はあのときと変わっていない……」(第1章「戦後民主主義の申し子」)
私が同じ空気を吸っていた、と思ったのは、第2章「学生運動の季節」で描かれている学生運動や大学祭の雰囲気がよく伝えられていたからです。1968年の「神田カルチェ・ラタン闘争」では、房子らが大学の学生会館から長い机を持ち出して、大学前の大通りに並べてバリケードを築いたエピソードが描かれています。そういえば、私は、明治大学の屋上から「解放区」となった大通りを眺めていたことを思い出しました。
本書に描かれた重信房子像は、面倒見のいい「房子」がいつのまにか組織の面倒を見る立場になっていた、という感じですが、重信さん自身は、もっと主体的に「日本赤軍兵士」の道を選んできた、と言いたいところでしょう。重信さんは、本書の「あとがき」を書いているのですが、そのなかで、次のように語っています。
「本に書かれた姉や友人の証言を読みつつ、うーん、もうちょっと私だって政治意識を持ち、葛藤克己しながら、社会・政治・世界を生きてきたのですぞ! 私が抱えていた内在的問題意識が抜けているなあ……といいたいところが多々ありました」
とはいえ、本書の「由井史観」に浸りながら、このあとがきを読むと、こうした言葉もほほえましいエピソードになってしまうところが本書の面白みといえるでしょう。
本書を読むきっかけは、『「全共闘」未完の総括』(世界書院)に重信さんが寄稿していて、私の拙文も入っていたので、席を同じくしたような気持ちになり、あらためて重信さんに興味を持ったのです。『未完の総括』は、2019年に刊行された『続・全共闘白書』(情況出版)を読み解くとして2021年に出版されたもので、私は『続・全共闘白書』の書評をある雑誌に寄稿したことがあり、拙文はそれが転載されたものです。
出所に際しては、「私に出来ることはありません」と書いた重信さんですが、まだまだ言葉として伝えるべき仕事は残っていると思います。『未完の総括』には、歌人でもある重信さんが次の短歌を載せているのですから。
「蚕のごと貪(むさぼ)り喰らいし経験の 糸を紡ぎぬ山動くまで」
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拙著を取り上げてくださいまして、まことにありがとうございます。御茶ノ水周辺で60~70年代を過ごしたとはいえ、学校もアタマも雲泥の差がある当方ですが、お目通しいただき、感謝です。
石巻でおつとめだったとのこと、私は『石巻赤十字病院の100日間』を書いたものとして、少々ご縁を感じて、勝手にうれしがっております。今後、楽しみに拝読させていただきます。