EU離脱は「思慮のない行為」なのか
社会がさまざまな人によって構成されているように、新聞社もさまざまな記者や社員によって構成されています。読売新聞の記者が全員、渡邉恒雄主筆(90)に心酔しているわけではないように、朝日新聞の記者も全員が「朝日の社論」で統一されているわけではありません。英国の国民投票でEU(欧州連合)離脱が決まったことを報じた25日の朝日新聞を読むと、そのことがよく分かります。
「これが朝日新聞の社論なのだろう」とすぐに分かるのは、1面のコラム「天声人語」でした。自分の家が独立国家だと妄想している男の姿を描いたSF作家、星新一の短編『マイ国家』から説き起こし、最後はチャーチル元首相の次の言葉で締めくくっています。「築き上げることは、多年にわたる長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった1日の思慮のない行為で足りる」
その言わんとするところは明白です。英国がEUから離脱するとの選択は「思慮のない行為」であり、愚かな選択、ということです。欧州統合は「戦争のない欧州」を築き上げるという崇高な理念に基づく営みであり、その道から外れるような選択は危うい、と言いたいのでしょう。社会面はもっと率直で、情緒的です。「英国よ まさか」の見出し。前文には「日本国内では今後の暮らしへの影響に不安が広がった」とあります。「これはポピュリズムの勝利であり、偏狭なナショナリズムの台頭を示すものだ」と言いたいのでしょう。社説はそうした見方をこぎれいにまとめ、「内向き志向の連鎖を防げ」という見出しを掲げました。
「相変わらずのワンパターン。昔の歌を歌い続けているなぁ」というのが率直な読後感です。EU離脱=偏狭なナショナリズム=右翼の選択、というワンパターン。欧州を中心に起きている複雑極まりない世界の動きを理解するのには、何の役にも立たない思考です。これだけなら、新聞を即ゴミ箱に投げ込むところですが、救いがありました。「偏狭な社論」に与(くみ)しない、骨のある記者もいるからです。
1面の左肩に掲載されたヨーロッパ総局長、梅原季哉(としや)の解説は骨太でとてもいい。欧州統合の理想が崇高なものであることは認めつつ、「だが、EU本部は選挙による審判を経ない形で各国の閣僚を経験したエリートらが牛耳っている。人々の手の届かない、そんな『遠い場所』で決められる政治は、強い反発を招いている」ときちんと書いているからです。ブリュッセル支局長として、EU官僚の実態をつぶさに見てきただけに、思いも深い。離脱派=民族主義=右翼と割り切れるような、そんな単純な事態ではないことをはっきりと書いています。
梅原の解説を肉付けするように、ブリュッセルの吉田美智子は国際面の記事で、EU官僚3万人の実態をえぐり出しています。平均月給は75万円、局長クラスなら190万円。さらに、子供1人につき毎月4万3000円の手当が上乗せされ、所得税も免除される。役人の厚遇きわまれり、と言っていいでしょう。英国では多くの人が、東欧や中東から流れ込んだ移民に仕事を奪われ、苦しい生活を強いられています。治安にも不安が募ります。こうした人たちが「おかしい」と異議を申し立てるのを「愚かだ」の一言で済ませられるわけがないのです。左翼か右翼かといった物差しで測れる問題でもありません。
戦争が起こらないような政治・経済体制をどうやって築いていくのか。同時に、東欧や中東、アフリカの人たちの苦境に手を差し伸べるためにはどうすればいいのか。その狭間で、英国だけでなく欧州の多くの人たちが煩悶しているのです。悩み抜いた末に1票を投じた人たちの選択の結果をワンパターンの思考で報じる記者を私は信用しません。共に悩み、苦しむ心があるならば、それが行間に滲み出るはずだからです。社論は社論として、新聞記者である前にまず一人の人間として、自分の信ずるところに忠実でありたい。
日本の憲法改正についても、朝日新聞の記者たちの意見は昔から統一などされていません。ずっと、揺れ動いていました。私が論説委員室に在籍していた2001年から2007年ころは、護憲派、改憲派、中間派(日和見)がそれぞれ3分の1の状態だったと理解しています。私を含め、国際報道を担った記者には改憲派が多く、「戦後の長い歩みを踏まえて憲法を現実に沿った形に改めるのは自然なこと」と考えていました。編集担当の幹部や論説主幹は護憲派から出てくるので、社説は護憲一本やりでしたが、論説委員室では憲法に関する社説案を議論するたびに激論になっていました。
安倍晋三首相や自民党が唱える憲法改正は、少し前の選挙スローガン「日本を、取り戻す。」に象徴されるように「古い日本は良かった」がベースにあり、私にはとても受け入れられません。けれども、護憲を唱える朝日新聞の社論も受け入れがたい。素直に読めば、自衛隊が違憲となるような条文をそのままにしておいていいはずがない、と考えるからです。後に続く人たちのためにも「未来に耐えうる憲法」に変革していく必要がある、と考えるのです。
英国の有権者は苦しみながら、幅広い議論を積み重ねて、この結論に達しました。私たちの社会はそれに匹敵するような広く、深い議論をしているのか。世界経済と政治の地殻がギシギシと音を立てて軋み、変わろうとしている時代にふさわしい挑戦を試みているのか。苦しむ覚悟がなければ、私たちは時代に置き去りにされ、やがて忘れ去られてしまうでしょう。
*山形県のわが家に配達される朝日新聞は「13版▲」という統合版です。夕刊はありません。
≪写真説明とSource≫
◎EU離脱派の集会で演説するジョンソン前ロンドン市長(ロイター=共同、東京新聞のニュースサイトから)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016062301000915.html
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朝日と読売
朝日と読売の社説を比較すると、双方、国の重要事項に関し、異なる意見を出していることが多い。社としての方針を決めると、皆がその方針に従って論説を展開するように見える。ご意見にあるように、各社にそれぞれ、色々の考えの人達がいるはずであるから、これは不自然ではある。私は、これは、一種のディベートと考えている。ディベートとは、論客たちをくじで2グループにわけ、あることに賛成と反対の立場から、議論して、どちらのグループが説得力のある意見を出すかを競うことであろうか。このような方法で、勝ったほうの意見がより正しいと考えることになろう。このように考えると、少なくとも、気が楽になります。