イスラム教徒はすべて捜査の対象、だって?
キリスト教は異国の宗教である。唯一絶対の神を信じており、やおよろずの神々をあがめるわが国の精神風土に合わない。過激な信徒もいる――こんな理屈で警察が日本にいるキリスト教徒全員を監視の対象にしたら、大変な騒ぎになるでしょう。メディアも黙っていないはずです。ところが、これと似たことが起きているのに、日本ではほとんど騒がれることがありません。監視の対象がキリスト教徒ではなく、イスラム教徒だからです。
2010年10月に警視庁公安部の国際テロ捜査に関する情報が大量に流出する事件が起きました。流出した文書にはテロ関連の捜査対象者の情報に加えて、テロとは何の関係もない在日イスラム教徒の情報(名前や生年月日、住所、旅券番号、出入りしているモスクの名前など)が含まれていました。それが流出したのです。流出した情報を『流出「公安テロ情報」全データ』と題して本にする出版社(第三書館)まで現れました。その結果、銀行口座が凍結されたり、インターネットのプロバイダー契約を解除されたりした人もいたといいます。
とんでもない事件です。翌2011年5月に日本人と外国人のイスラム教徒17人が政府と東京都に計1億5400万円の損賠賠償を求める裁判を起こしたのは当然でしょう。裁判は東京地裁、東京高裁とも東京都に賠償責任があることを認め、最高裁判所も5月31日付で高裁の判断を支持する決定を下しました。東京都は被害者に9020万円支払うことになりました。が、問題なのは「すべてのイスラム教徒を対象とする警視庁の捜査は違法ではない」という地裁と高裁の判断がそのまま最高裁でも認められたことです。
あきれました。「こうした情報収集は国際テロ防止のためやむを得ない」と裁判所が認めてしまったのです。なんという人権感覚、なんという時代認識であることか。イスラム過激派によるテロは日本にとっても深刻な脅威であり、捜査に全力を尽くすのは当然のことです。ですが、どんな捜査であっても、憲法と法律に基づいて行うのが法治国家というものです。ある特定の宗教の信者すべてを監視の対象とするような捜査が許されるはずはありません。それなのに、最高裁判所は「やむを得ない」とする下級審の判断を支持して判決を確定させてしまったのです。
これは大ニュースです。メディアが「とんでもない判決が確定してしまった」と大騒ぎすべき事件です。なのに、日本の通信社も新聞も「ベタ記事」扱いで報じました。私は見逃してしまい、つい先日(6月4日)、東京で開かれた自由人権協会の70周年プレシンポジウムに参加して、井桁(いげた)大介弁護士からこの最高裁の決定を聞きました。決定の内容に仰天し、それにも増して、メディアがそれをベタ記事扱いしたことに驚いてしまいました。
日本の憲法は第14条で「法の下の平等」をうたい、「人種や信条、性別などで差別されない」と規定しています。第20条では「信教の自由」を保障しています。宗教を理由に差別することは許されないのです。これらの規定が日本国民だけでなく、日本で暮らす外国人にも適用されることは言うまでもありません。「情報が流出して損害を受けたから賠償しなさい」と言って済む話ではないのです。
自由人権協会によれば、アメリカでも同じように捜査機関がすべてのイスラム教徒を監視の対象にしていることが発覚して大問題になりました。9・11テロを経験し、さらなるテロにおびえる国です。捜査当局としては「あらゆる手段を駆使して次のテロを防ぐ」といきり立ったのでしょう。ところが、裁判でこれが「違法」として争われ、今年の1月17日に連邦控訴審で和解が成立しました。
その内容は「ニューヨーク市警は今後、宗教や人種に着目したプロファイリング捜査はしない」「警察の内部に民間の監督官を入れ、人権侵害的な捜査についてチェックさせる」というものです。つまり、すべてのイスラム教徒を監視の対象にして一覧資料を作るようなことはしない、と約束したのです。テロの脅威と向き合わざるを得なくても、法治国家として人権保障の大原則をゆがめるわけにはいかない。捜査する側もそれを認めたということです。まっとうな判断、と言うべきでしょう。
なのに、なぜ日本の裁判所では「当たり前の判断」が下せないのか。憲法判断に踏み込むのを避ける体質。警察を含む行政府のすることを追認する癖が染みついており、波風を立てるような判決を嫌がる――いくつか理由は考えられるのですが、要は日本という社会に「法とはいかにあるべきか」という根本的なことが根付いていない、ということなのではないでしょうか。
明治の憲法はドイツの憲法の焼き直し。今の憲法は戦争で負けてアメリカに書いてもらったもの。私たちの国は一度も「悶え苦しみながら、みんなで憲法を練り上げる」という営みをしたことがありません。それがこういう時に滲み出てくる、ということなのかもしれません。メディアも右へ倣え。「畏れ多くも、最高裁判所が下した判断なのだから妥当なのだろう」と思い込む。それがいかに重大な憲法問題を孕んでいるかを考えないから、「ベタ記事扱い」になってしまうのです。
イスラム過激派によるテロの脅威を過小評価するつもりはありません。日本国内でも起きる恐れは十分にあります。捜査当局は全力を尽くすべきだし、一市民としてそれに協力する心構えもあります。けれども、犯罪の捜査はしかるべき根拠に基づいて、テロを犯す疑いのある人物を対象にして行うのが鉄則です。モスク(イスラム礼拝所)に出入りする人たちを監視する必要も出てくるでしょう。が、その場合でも、出入りするすべての信徒の個人情報を調べ上げ、それを一覧リストにするようなことは許されないはずです。
そうした捜査そのものが「イスラム教徒はすべて危険だ」という差別感を助長し、一人ひとりの人権を守るという法治国家の大原則を掘り崩すことになるからです。日本に住むイスラム教徒はごく少数です。けれども、彼らの人権を守ることを怠れば、それは自分たち自身の厄災となって跳ね返ってきます。ある特定の宗教を信じる人たちすべてを捜査の対象にする。そんなことは法治国家で許されることではありません。
最高裁判所がどんな理屈をこねくり回そうと、おかしいものはおかしい。それを「おかしい」と指弾しないメディアは職務怠慢ではないか。このままでは、職を失う危険を冒してまで警視庁のファイルを暴露した、勇気ある内部告発者が浮かばれない。
≪参考サイト≫
◎警視庁のテロ情報流出事件に関する最高裁判所の判断(共同通信のニュースサイトから)
http://this.kiji.is/110662350981809661?c=39546741839462401
◎警視庁国際テロ捜査情報流出事件(ウィキペディアから)
◎アメリカのイスラム捜査事件の概要と和解内容(ムスリム違法捜査弁護団のサイトから)
http://k-bengodan.jugem.jp/?eid=56
◎日本国憲法第14条、第20条(政府の公式サイト「電子政府」から)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html
≪写真説明とSource≫
◎ 自由人権協会70周年プレシンポジウム。シンポジウムでは、米英政府による広範な個人情報収集活動を告発したエドワード・スノーデン氏がネット回線を通して講演した(6月4日、東大本郷キャンパス福武ホール。長岡遼子撮影)
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