力作「原爆を落とした男たち」のうったえるもの
「原爆を落とした男たち」のうったえるもの
副題--マッドサイエンティストとトルーマン大統領--
平成28年(2016)3月
仲 津 真 治
大変な労作です。私は著者の「本多 巍耀(たかあき)」氏とは友人の御縁ですが、その人の、実に豊富な資料・情報の収集・分析と、英語、独語など各国語の読解、そして透徹せる見方に裏づけられた筆致には、かねてより感嘆して参りました。また、理工系大学の理学部ご出身ですので、核物理に係わる御理解は本格的なものがあり、民間企業での御経験も、それを更にブラッシュアップするものがあったものと思われます。
この労作の表題は掲出の通りですが、念のため記しておきますと、著者「本多 巍耀」、発行所は(株)芙蓉書房出版、定価 本体2,700円+税 で、初版は2015年10月となっております。御関心の在る方には是非と存じます。
原爆神話
ところで、良く言われる「原爆神話」は、著者によれば、その開発に関し、実質的にルーズベルト米大統領に次ぐポストに居たスティムソン米陸軍長官の次の発言に由来すると申します。曰く、「我々が原爆を使わずに日本上陸作戦を実行していたならば、米軍だけで百万の死傷者を出していただろう。原爆投下は戦争終結を早め、米兵だけでなく、多くの日本人の命をも救ったのだ」、と。
著者は、この発言について、特に「日本人の命をも救った」との部分に胡散臭いものを感じ、これを契機に、発言の主「スティムソン長官」の伝記本を手に入れ、その氏素性から知ることから始めて、この著作に取り掛かったと言います。
そして、その後、様々な資料に目を通した結果、この原爆発言はこじつけであること、また、こう言う神話をこしらえた最大の理由は「実際に投下したB-29搭乗員、あるいはロス・アラモス研究所の科学技術者とその家族、そしてクライスラー社などの協力会社従業員から、テニアン島の基地の従軍牧師に至る、五十四万人もの原爆関与者に免罪符を与えることだった」と理解したとの事です。
原爆判決:この事に関連があるので、原爆を違法とした判決に触れる
懸かる原爆神話に対し、投下を受けた日本では、原爆の国際法上の違法性を明瞭に確認した所謂「原爆判決」が出ています。著者はこの事に触れていませんが、関連性に鑑み、要点を記しておきましょう。
判決の日付は昭和38年(1963)12月7日で、東京地方裁判所が言い渡したものです。裁判では、広島、長崎における原爆被災者、下田隆一ほか4名の原告が訴え、原爆投下が国際法違反であるにもかかわらず、対日講和条約第19条(a)により日本国が国民の請求権を放棄したため、対米賠償請求が不可能となったから、国が賠償すべきであると主張しました。
これに対し、判決は、日本国民のこの種の対米賠償請求権は、講和条約第19条(a)の規定と関係なく、そもそも存在しないものとして、原告の請求を退ける一方、原爆投下が国際法に違反することを明快に肯定したのです。すなわち、国際慣習法および各種の国際法の基礎となっている諸原則に照らして、原爆投下は、その破壊、殺傷の無差別性に鑑み、確立した軍事目標主義の原則に反し、さらに非人道的兵器の禁止の原則とも両立しないと判示しました。これは、日本の国内裁判所による原爆投下の違法性に関する世界で初めての判決として、国際的にも注目されたところです。
この判決に対し、原告は「原爆の違法性が確認された」とし、また被告の国は「賠償請求が否定されたため勝訴した」として、何れも控訴せず、判決は確定しました。
この判決趣旨は、所謂「原爆神話」とは好対照を成しています。
本当の原爆投下理由
さて著者は、百万の米兵の死傷がこじつけであって、それが原爆投下理由でないとすると、「アメリカはなぜ原爆を広島と長崎に落としたのか?」との問いについて、最大の理由は「ソ連に日本の惨劇を見せることによって、ソ連を中核とする共産主義勢力の危険で強引な膨張政策を封じ込めること」としています。すばりの直言だと思われます。
因みに、長崎に二発目の原爆が投下されたのは昭和20年(1945)の8月9日でして、その直前に、ソ連はなお有効である日ソ中立条約を突如侵犯、満州、朝鮮、樺太、千島などへの軍事侵攻を開始しています。
ソ連の膨張政策を例示する遣り取り
著者は、この関連で、注意しておくべき史実として、トルーマン米大統領(ルーズベルト米大統領が1945年4月12日急死したことに伴い、副大統領から昇格)とスターリン大元帥との間で交わされた六通の電文を紹介しています。それらは、スターリンによる、危険で強引な膨張政策とその明からさまな言動を良く示したものでした。
この内、典型は1945年(昭和20年)8月14日の電文で、スターリンがトルーマンに対し、「北海道の釧路市から留萌市の間に境界線を引き、その北半分をソ連側が、その南半分を米側が分割占領統治する事を要求して来た」ことに現れています。それは、「ロシア革命の時に、日本のシベリア出兵により、ウラジオストックから沿海州等一帯に掛けて占領された事から、日本の敗戦に当たり、北海道の半分も獲れないようではロシア人民が怒るだろう」と言う趣旨のものでした。
これに対するトルーマンの回答は8月16日に示されています。その骨子は「アメリカが対日戦争を三年八ヶ月も戦ってきているのに対し、ソ連は直前に参戦したに過ぎず、また、対日占領軍の99%は米軍が占め、マッカーサー元帥はその最高司令官であるから、司令官の二人制など不要である。日本対しては対ドイツのような分割統治はしない。」との趣旨になっていました。
これで、この問題は結着がつきました。斯くて良く知られて居るように、日本も米ソで分割統治される恐れがあったわけですが、ソ連の膨張政策は辛うじて封じ込められたと言えるでしょう。際どかったのですね。
原爆について:多くの科学技術者の姿勢はどうであったか?
さて、懸かる原爆について、科学技術者の中には、積極評価が結構ある一方で、原爆使用反対の嘆願書に多く署名した事も証言されているようです。しかし、著者が胸が痛むとしているのは、大半の科学技術者が「やればどうなるか、よく知っていた」のに、沈黙と無関心を決め込んだことでした。「人間はいかに清く正しく行い澄ましていようとも、何かの拍子でボタンを掛け違えてしまえば、簡単にヒトラーまで行ってしまう。」と著者は記しています。この事の深い反省と、そこからの立ち上がりや取組みこそ、著者が、膨大な資料・情報の収集・分析と、深い思索で得たもののような感じがします。
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原爆の効果については、米政府当局がロスアラモスで木造の日本家屋まで配置し、原爆の効果を徹底的に調査していた。広島原爆投下に続く第2の投下地は小倉だっだが、曇天のために目標が定かでないので、急遽、投下目標を長崎に変更したと聞いたことがある。要するに、日帝が既に戦闘能力を喪失し、密かにスペインやスイスを介して和平工作を模索していたのを探知していたが、ソ連がポツダム宣言も無視して旧満州に雪崩れ込み、危機感を募らせた米国が原爆の効果をソ連に見せつけたかったということだろう。
また、朝鮮戦争で中共軍が参戦する事態になり、米軍が後退に後退を重ねる有様となったが、こてに対してマッカーサー元帥が原爆使用を口にしたのを捉え、時の「トルーマン大統領は彼をウエ-キ島に呼びつけ、連合国最高指令官としてのマッカーサー元帥を首にしてしまった。マッカーサー元帥はその後、名誉回復を狙って大統領候補に名乗りあげたが、ヨーロッパ戦線で勝利を収め、アイゼンハウア大統領にまで登りつめたアイゼンハウア元帥のようにはならならなかった。