築地魚市場は豊洲で再生できるのか
築地の魚市場が10月6日の競りを最後に83年の歴史を閉じました。その夜、市場の周辺を歩きながら、朝日新聞に勤めていたころに、深夜まで飲み歩いた思い出に浸りました。有楽町に本社があった朝日新聞が築地に移ったのは1980年、以来、場内や場外の食堂、飲食店、喫茶店には、ずいぶんお世話になりました。
築地市場閉鎖についてのメディアの取り上げ方も、私が築地を散歩したのと同じような動機なのでしょう、ノスタルジー一色でした。しかし、涙の仲卸と、築地のしきたりである「一本締め」の場面ばかりを見せられると、あまのじゃくな私としては、これでいいのか、と言いたくなりました。築地魚市場がたそがれたのは、閉鎖されたからではなく、魚の流通が大きく変化したからです。そのことを指摘する報道が少なかったからです。
と思っていたら、8日付の朝日新聞の「MONDAY解説」欄に、「卸売市場 生まれ変われるか」と題し、やっと納得できる記事が掲載されました。それによると、80年代半ばの築地市場の水産物取扱量は年間80万トンに達したものの、商社や食品メーカーが市場を通さず安価な輸入加工品を直接仕入れるようになったり、産直販売やネット取引が広がったりした結果、取扱量は減ったことが示され、「市場は過去のものになりつつある」というスーパー業界の幹部の発言が記述されていました。
東京都の統計によると、2017年の築地市場の取扱量は38万トンですから、最盛期の半分以下になっているのです。つまり、築地で食べていける仲卸の数は、最盛期の半分ということで、実際、築地市場の水産物の仲卸業者数は1989年に1080社だったのが2014年には651社まで減っています。上記の記事では、水産物の総流通量のうち、全国の中央・地方卸売市場を経由した比率を示す「市場経由率」は、70~80年代に7~8割台だったのが今は5割台まで低下している、と書かれています。
築地市場の場内にある仲卸の店は、鮮魚店や料理店などのプロが買いに来るところでしたが、午前10時以降などの制限をつけたうえで、一般の人たちも買うことができるようになっていました。これは仲卸を救済するための方策で、仲卸のなかには、「昔は、プロの人たちとの相対取引だったので、魚に値札をつけることはなかったが、このごろは“しろうと”にも売るため、値札をつけるようになった」と、嘆いている人もいました。
漁業者―産地市場―産地仲卸―消費者市場(卸売業者)―仲卸-鮮魚商―消費者という流通の流れは仲介者が多く、生産者である漁師は、自分が売ったときの値段に比べて、鮮魚店でみる魚の値段が高いのに驚くというよりは、あきれていました。そんな流通の流れを合理化してきたのが大手スーパーです。産地市場の仲卸と組んで、産地から直接、仕入れるようにしたのです。品ぞろえを整えるために、築地のような中央卸売市場からの仕入れルートを閉ざしたわけではなりませんが、消費者市場を中抜きして価格を下げようとしたわけです。
こうした流通合理化の流れは、ネット時代に入って、さらに加速しています。ネット通販のアマゾンのページを開いたら、ちゃんと鮮魚も売っていました。単品で買うことができるのはマグロやカニなどに限られていますが、ネットを利用することで、消費者市場を中抜きして、産地と消費者を結ぶ役割を果たしています。アマゾンだけでなく、「サンマ」「通販」で検索すれば、北海道や三陸から「直送」で、サンマが買えるチャンネルは大きく広がっている時代なのです。
そう考えると、築地市場の1.7倍の敷地面積に開設される豊洲市場の将来性が気になります。上記の記事では、新しい設備によって、温度管理や衛生管理を強化して、輸出にも耐える品質の向上をめざす豊洲市場が紹介されています。
こうした豊洲の努力は評価されるとしても、流通の合理化という根本は解決されていないというか、そのことを突き詰めれば、消費者市場の存在が問われるということに、豊洲はどれだけ真剣に向き合っているのか疑問です。
全国の産地市場に水揚げされる魚と、全国に散らばる鮮魚店や飲食店などとのマッチングをいかに効率よく行うか、という課題を出せば、現在のネット技術を駆使した方法は、豊洲のような現実としての消費者市場ではなく、仮想空間としてのバーチャル魚市場でしょう。
仲卸の店で、いちばんだと思う魚を仕入れて、お客に出す高級料理店やすし店にとっては、築地も豊洲も必要でしょうが、そんな目利きができない店は、それよりも鮮度を重視して、これからも産地との直接取引をふやしていくでしょう。豊洲のたそがれは、思っているよりも早いのではないかと思います。魚のテーマパークとして、築地が再生されるのなら、そのほうが将来性もあると思いますが、その姿は流通のかなめとしての魚市場ではなく、観光のかなめとしての魚市場でしょう。
築地魚市場を観光の対象ではなく社会人類学の対象としてとらえたハーバード大学のテオドル・ベスター教授は『築地』(2007年、木楽舎)のなかで、築地の取引を、その社会的・文化的コンテクストから切り離すことはできないとして、経済環境の変化を築地にかかわる人々が文化も含めた対応で乗り切ってきた歴史を評価、次のように述べています。
「市場という場は、果てしない自己再生サイクルを社会的に繰り返しているのである」
場外市場も含めた築地という文化空間から離れた豊洲という官製の場で、「自己再生サイクル」を回転させることができるのか、それが築地の終幕と豊洲の開幕に問われている課題だと思います。(冒頭の写真は10月6日の夜、高成田惠が撮影した築地魚市場です)
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日本の食生活で、魚と肉の消費量が逆転し、肉が上回るようになったのは2010年で、2016年度には、一人当たりの肉の年間消費量が31.6キログラムだったのに対して、魚は24.6キログラムで、急速に魚離れが進んでいます。魚市場の整備だけではなく、「魚食」への取り組みが大事だと思います。