安田さんが会見で語ったこと
日本記者クラブで11月2日に開かれた安田純平さんの記者会見に出席しました。関係者へのおわびと感謝を表明して、深々と頭を下げたあと、自分に課せられた「説明責任」を果たすかのように、3年4か月余に及ぶ拘束生活について、2時間近く説明したのち、記者からの質問に丁寧に答えました。
長期間の拘束生活を送れば、ふつうの人なら神経がずたずたになってしまうところですが、少なくとも会見での安田さんの話し方は冷静で、虐待された日々を語る場面でも、感情に流されるようなことはありませんでした。虐待のなかには、体を動かすことを禁じる「いやがらせゲーム」があり、関節を動かしたり、寝息を立てたりすることも禁じられたそうですが、それに対して安田さんが取った対抗措置は、ハンストとイスラム教徒への改宗という驚くものでした。
ハンストでは、骨と皮だけになったそうですが、20日間の絶食をしたところで、日本へ帰すからと言われ、別の場所に移されたとのこと。解放は空約束だったようですが、体を動かしてはいけないという拷問ゲームからは、いったん解放されたようで、ハンストの成果があったのでしょう。また、イスラム教への改宗は、体を動かすのが目的だったそうで、イスラム教徒になると、1日5回の礼拝が許されるので、そのときに体を動かすことができたそうです。ハンストというのは相当に強い精神力がなければできませんし、それとともに、イスラムに改宗して体をうごかすというしなかやかさも備えていたわけです。「強靭な精神力」というのは、まさに安田さんのような人にあてはまる言葉でしょう。日本記者クラブでの会見では、事前にサイン帖に書いたメッセージが最後に紹介されるのですが、安田さんが書いた言葉は「あきらめたら試合終了」。バスケ漫画「スラムダンク」で、監督の安西先生の言葉だそうですが、拘束中もこの言葉をかみしめていたのかもしれません。
会見で安田さんが作成した「拘束から解放までの経緯」という資料が配布されました。日付が特定されている出来事が多かったのは、拘束した武装勢力から与えられたノートに記録していたからだそうです。2017年は、10月17日に「動画撮影」とあるのみで、何も記載がなかったのですが、会見のあとのテレビ局とのインタビューでは、この時期はノートが与えられず何も書けなかったと語っていました。ジャーナリストにとって、メモを取るというのは、たとえ発表の機会がなくても、大きな励みになるものだと思いますが、その意味では、2017年は、何も記録できない、という拷問を受けていたわけで、安田さんにとって最もつらい時期だったのではないかと想像しました。
日本では話題になった「自己責任論」について、会見では、「政府を含めて、ご迷惑をおかけしたので批判されることは当然」、「紛争地に入るので自業自得」などと述べて、自己責任であることを認め、「今回、外務省がとった行動などに不満はない」とも語っていました。
安田さんは、拘束中に妻にあてたメールのなかで、「houchi」(放置)といった言葉をしのばせることで、身代金の要求には応えるなというメッセージを出したと報じられています。会見のなかでは、ハンストをしたり、相手側のリーダーと面談したりするなかで、自力解放の糸口をさぐっていたことがわかりました。安田さん自身は、自己責任の範囲で自力解放の努力してきたという自負もあるのでしょう。
また、身代金による解放であれば、必須であるはずの「生存確認」が解放前にはなかったことから、安田さん自身は、帰国するまで、身代金を含む交渉はなかったと理解していたのではないかと思います。安田さんへのバッシングを助長したと思われるのが、解放されたあと、日本に帰国する機中で、「日本政府が動いたので、解放されたとは思いたくない」という発言ですが、これも、安田さん自身は「自力解放」だと思っていたからでしょう。
会見では、冒頭の謝罪と感謝に続けて、「私自身の行動によって、日本政府が当事者になってしまった点については、大変申し訳なく思っています」と、あらためて日本政府へのおわびを述べていました。帰国後、身代金の話はさておき、日本政府が「当事者」として動いたことを知ったということだと思います。会見では、身代金の話は出ませんでしたが、その後のテレビとのインタビューでは、身代金の話を全否定しませんでした。カタール政府あるいはトルコ政府が武装勢力と日本政府との間に入ることで、日本政府が直接には身代金を払っていないという原則は守られる一方で、武装勢力には何らかのお金が渡された可能性はあるということかもしれません。
私は新聞記者でしたし、いまもジャーナリストと名乗ることがあります。2001年の9・11事件時には米国に駐在していたり、ボリビアでコカインのもとになるコカを密かに栽培している地域に入ったり、恐怖を感じた経験がないわけではありませんが、戦闘地域に入った経験はありませんし、その勇気もありません。だから、「社命」ではなく、自分の意志でシリア取材をしようとした安田さんには、率直に敬意を表します。と同時に、自分は安全地帯に身を置いたまま、自己責任といった論理で、安田さんを批判する人たちがいるのは悲しいことだと思いますし、そういう論調を展開するジャーナリズムやジャーナリストがいるのなら、それは外野席から声をあげるだけの「野次馬ジャーナリズム」だと思います。
イラク戦争のさなかの2004年、イラクに入ったボランティアなどの日本人3人が武装勢力に誘拐され、自衛隊の撤退などの要求を出されたときに、日本では「自己責任」論によって、かれらを批判する政治家やメディアが出てきました。帰国後もバッシングの嵐が続くなかで、その動きに待ったをかけたのは、イラク戦争の当事者である米国のパウエル国務長官(当時)でした。長官は、日本のTBSのインタビューに答えるかたちで、日本の自衛隊の派遣を評価するとともに、「イラクの人々のために、リスクをおかして現地に入った市民がいることを日本は誇りに思うべきだ」と発言しました。
パウエル発言は、欧米の日本の捉え方に大きな差があることを示したものだったと思いますが、あの発言でバッシングの嵐がおさまったことから、もうあのときのような自己責任論は起こらないものだと思っていました。しかし、また同じような議論が出てきていることに驚くとともに、会見で垣間見せたしなやかな精神力で、安田さんがジャーナリストとして早く「現場復帰」することを期待したいと思います。
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安田さんの記者会見の様子もYouTubeで見ました。その上で、高成田さんの論考も説得的でした。