難民の子が白銀の世界で光り輝く時
韓国で開かれているピョンチャン・オリンピックが佳境を迎えています。フィギュアスケートの羽生結弦選手はけがを克服して堂々の二連覇、スピードスケートの小平奈緒選手はオランダでの修行を経て大輪の花を咲かせました。スノーボードの平野歩夢選手の妙技には「トップアスリートはこんなことまでできるのか」と目を見張りました。
日本選手の活躍に一喜一憂しつつ、大好きなアルペンスキーのテレビ中継も楽しんでいます。根が単純な性格なものですから、一番好きなのは猛スピードで斜面を駆け抜ける滑降なのですが、今回は男子大回転の生中継をまじまじと見てしまいました。優勝したオーストリアのヒルシャー選手らの滑りが見事だったこともあるのですが、それ以上にアフリカから複数の選手が参加していることに驚いたからです。
エリトリアのシャノン・アベダ選手とモロッコのアダム・ラムハメディ選手です。「炎熱の大陸アフリカになぜスキーの選手がいるんだ」と一瞬、戸惑ったのですが、テレビのアナウンサーがすぐに「2人ともカナダ生まれで二重国籍」と解説してくれたので納得しました。どのような生い立ちなのか、ネットで調べてみました。カナダの地方紙フォートマクマレー・トゥデイによると、アベダ選手の両親はエリトリアからの難民でした。
エチオピアとイエメンの間にあるエリトリアは、かつてはアフリカと中東を結ぶ交易地として栄えたこともあったようですが、私の記憶にあるのは「凄惨な飢餓の戦争をくぐり抜けてきた国」というイメージです。イギリスとイタリアの支配を受けた後、エリトリアはエチオピアに編入され、1960年代から30年にわたって分離独立を求めて戦い続けました。エチオピア政府軍との戦いに加えてエリトリア人同士の内戦も勃発、数多くの餓死者と難民が出た紛争でした。
私がエリトリアの独立戦争と内戦の記事を読んだのは、駆け出し記者だった1980年代のこと。自分がその後、似たような紛争を取材することになるとは考えてもいない時期でした。アベダ選手の母親が16歳で戦禍を逃れて海を渡ったのはその頃です。父親も若くして難民になり、2人は避難先で知り合って結婚、カナダ西部のアルバータ州フォートマクマレーで3人の子どもを育てました。アベダ選手は末っ子。ロッキー山脈にあるスキー場で兄や姉と3歳から滑り始めたのだそうです。上記のカナダ紙のインタビューにアベダ選手の母アリアムさんは語っています。
「アベダは小さい頃、オリンピックの表彰台に立つ絵を描いたりしていました。その後、カルガリーに引っ越しましたが、フォートマクマレーでの暮らしは私の人生で最高のものでした。信じられないような友情を育むことができました。今でもお付き合いが続いています。子どもたちはスポーツでもほかのことでも、生き生きとしていました」
エリトリア初の冬季五輪選手となったアベダ選手は同紙の取材に「自分の力量は分かっています」とメダルには手が届かないことを認めつつ、こう語りました。「エリトリアの人たちはきっと『誰かが自分たちの代表として出ている。私たちの存在を知らせてくれている』と思うはずです。だから、全力を尽くします」。結果は2回目の試技に進んだ85人中、67位。メダルには遠く及びませんでしたが、その姿は光り輝いていました。
モロッコ代表のラムハメディ選手もカナダ生まれ。父親がモロッコ人の大学教授、母親がカナダ人です。アベダ選手と同じく二つの国籍を持ち、オーストリア・インスブルックの国際ユーススキー大会で優勝したこともある実力者です。4年前のソチ・オリンピックに続いて2回目の五輪参加で、今回の大回転では61位でした。アルペンスキーのこの2人を含め、平昌五輪にはアフリカから過去最多の8カ国13人が参加と報じられています。
欧米のスポーツだったウィンタースポーツにアジアや中南米の選手が挑み、今やアフリカ諸国の選手も少しずつ増えていることを知りました。ゆっくりとではあっても、世界は着実に一つに結ばれる方向に進んでいます。平昌五輪のスローガンは「ひとつになった情熱 Passion. Connected.」。難民の子がエリトリアの代表としてスロープを疾走する姿は、そのスローガンを体現しているように思えました。
≪参考サイト&文献≫
◎エリトリアのスキー選手、シャノン・アベダ Shannon Abeda(英語版ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/Shannon-Ogbani_Abeda
◎モロッコのスキー選手、アダム・ラムハメディAdam Lamhamedi(同)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Lamhamedi
◎アベダ選手のことを報じるカナダのフォートマクマレー・トゥデイ紙(電子版)
◎アフリカの五輪選手の活躍を伝えるフランスのテレビ局「France 24」の記事(同)
◎アフリカからの冬季五輪参加が8カ国になったことを伝える記事(ウェブメディアQuartzから)
https://qz.com/1197726/pyeongchang-2018-will-be-the-african-winter-olympics/
◎エリトリアの歴史(日本語版ウィキペディアから)
◎エリトリア独立戦争(同)
◎共同通信社『世界年鑑2007』
≪写真説明≫
◎エリトリアから冬季五輪に初めて参加したシャノン・アベダ選手(カナダのフォートマクマレー・トゥデイ紙の電子版から)
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