国旗と世界史の事件
国旗と世界史での事件
平成30年 2018 2月
仲津 真治
原著は、NPO法人「世界の国旗研究会会長兼理事長」の吹浦忠正氏(1941年生)の著作で、祥伝社新書、全二百八十余頁、その道のプロでから、実に詳しく、大切なことは細大漏らさずカバーしている感があります。 平昌冬期五輪で熱戦が続く最中、以下、拙見も織り交ぜながら、幾つか印象に残ったことを示しましょう。
1) 日の丸の旗・・・日章旗
日本の国旗は、法律上は日章旗であり、日本では古くから、また今日でも一般的に日の丸と呼ばれています。
聞くところに拠れば、幕末に開国の段となったとき、諸外国との関係で船舶などに所属国日本の旗を掲示する必要が生じました。 幕府は従来からの慣例に拠ったのか、日の丸の旗を日本の国旗として採用しました。爾来これが続いている様です。ただ、倒幕をうったえた官軍側は、鳥羽伏見の戦い以来、所謂「錦の御旗」を掲げています。 しかし、維新が成り、幕府終焉、明治新政府の成立となりますと、対外関係を考えれば、国としての継続性・一貫性を保つ事が諸般の事情から緊要とされたため、日の丸は「日本の国旗」としてその後も使われ、定着したとされています。
ただ、厳密に言うと、それは慣例(一種の慣習法)でして、実定法上の根拠はあり
ませんでした。この状態を解消すべく、遂に立法化が図られ、平成11年(1999)「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が制定されました。
本書で知りましたが、日章旗も機微に亘ると微細な差異があったようで、それが、この法律によって確定した由です。同法の規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形でして、日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心とされています。また、色地は白色、日章は紅色と確定しました。上下・左右対称です。
日章の直径は縦の5分の3と言う点については、縦の三分の二と言う先例も
在った由、現に長野オリンピックがそうでした。 日章の紅も、「白地に赤く」と歌詞で簡単に言いますが、実は微妙多彩多様の中から決まった由です。
2)日本では起きそうに無いが、今後も他国旗の変化や新制定があり得る
著者によれば、各国の政治事情や国際情勢の変化により、国旗はしばしば変更される由です。
変化をもともと内包していると言えば、アメリカ合衆国国旗がそうでしょう。
かの国は、独立時、十三星・十三条でしたが、その後、英国と再度の戦争(第二次米英戦争 1812~14)が起きた頃、、その時の連邦加入州数)を反映して、十五星・十五条と増加しました。 しかし、州数が増える度に条数が増えるのは大変と言う事が予期されたため、星数は増やすが、条数は独立十三州の数に一定にすることにしました。
あるかも知れないのは、プエルトリコやグァムなどで、また、首都ワシントンも
可能性有りとされています。同市はコロンビア特別区と呼ばれ、州として連邦を構成せず、合衆国の直轄地とされています。 もし、民主主義の観点から、その代表を連邦議会に選出となれば、州と同格と成り、事態が変わってきますね。現に、連邦下院議員が選ばれるように制度改正されて年数が立っています。ただ、現状は議決権が無いところに止まっていますし、人口比例では無く各州から二名づつとなっている上院議員はいないのです。 連邦直轄地ですから、その位置づけは微妙で、合衆国の根幹に関わる所があり、議論が続いている様です。 もし、連邦首都も自治する州となれば、状況は大きく変わり、連邦国旗も一部変更と言う事になるようですね。
3)世界に冠たる「ユニオンジャック」完成・・・1801年1月1日
将に十九世紀の初頭にイギリスの国旗は出来上がりました。
此の国の正式国名は、「グレートブリテンとアイルランドの連合王国」と云います。 (注:今は、その後のアイルランドの独立、英連邦からの離脱、北アイルランドのイギリスへの残留をを反映し、「グレートブリテンと北アイルランドの連合王国」となっています。)
ここにグレートブリテンとは、南部と中部を主としてイングランドといい、北部をスコットランドと云います。更に、南西部にウェールズという地域も在って、皆言葉も随分違う、それぞれが国でした。最も強力であった国はイングランドでした。 その旗は白地に赤十字の聖ジョージ旗でした。 この各自立の伝統はサッカーなどで継承されています。
さて、各国間で戦いがよく起きるうち、十三世紀の末にウェールズがイングランドに敗れ、その統治下に入ります。 ただ、これは相当古いことなので、ウェールズの国旗は在ったものの、イングランド旗に反映されることは無かったようです。
次いで1603年、最強のイングランドのエリザベス一世女王が跡継ぎなく亡くな
りますと、故ヘンリー八世と血のつながりがあるとされたジェームズ六世スコットランド王が、イングランド王ともなり、ジェームズ一世を称します。 これを同君連合と申します。スコットランドとイングランドは国は別で、政府もそれぞれに在り、戦争もしてきたのですが、同じ国王をいだくことになったのです。
斯くて、同じ王様の下、ロンドン優位で両国の一体化が進みます。エジンバラが首都のスコットランド人のイングランド人への複雑な感情の元は、この辺りに在りそうですね。 そして、1707年、イングランドとスコットランドは国として遂に統合され、一つの国となります。 スコットランドの旗は、聖アンドリュー旗といい、青色の地に白のクロスが斜めに入っていました。 国の統合により、旗も統合されます。これが最初のユニオンジャックの誕生です。
他方、グレートブリテン島の西側に位置するアイルランド島は、もともと独立国でしたが、ヘンリー八世の「十六世紀の一方的アイルランド王宣言」以来、次第にイングランドに浸食され、遂に統合されるに至ります。1801年、イングランドとアイルランドは合併します。結局、旗も一つとなり、最初のユニオンジャックに、白地に斜めクロスのアイルランドの聖パトリック旗が旨く組み込まれ、ユニオンジャック旗が完成しました。因みに、「ユニオン・ジャック」とは「組み合わさった船首旗」の意の由です。
それは何か、イギリス、つまり大英帝国の錯綜した歴史と歩みを象徴しているよう国旗ですね。
4) 幾つも在る三色旗
フランスは三色旗で有名です。仏語でトリコロールと云う由です。
学生の頃、それはフランス革命の自由・平等・博愛を象徴していると聞かされました。そのフランス国旗について云えば、縦に色が入っています。その色は左から青、白、赤ですね。 三色旗の例は結構ありますが、フランス以外は横タイプが多いようです。
フランスと伝統的に近いというロシアも三色旗ですが、こちらは横型です。
そして、その順は上から白、青、赤です。 ソ連が崩壊し、革命前の帝国時代のロシアの旗に戻っています。体制転換後、元の国旗に復帰すると言うのは、結構あるケースです。革命の失敗や成果不成就を現しているように思えます。
国旗として古く、昔から三色旗で有名なのはオランダです。これも横型で、色は上から、赤、白、青となっています。 同様に、ドイツも三色旗ですが横型、色は上から黒、赤、金となっています。さるドイツ人に、うっかり、黒、赤、黄と云ったら、真剣に黒、赤、金と反論されました。
5) イギリスと縁のある国々の多様性
英連邦諸国で英女王を元首とする国々には、ユニオン・ジャックを国旗の一部に取り入れている例が結構あります。 オーストラリアやニュージーランドがそうですね。 ユニオン・ジャックを左上に置いて、右側が南十字星です。
英国系と言う事が丸わかりと言う感じです。 そう言う中でも、ニュージーラ
ンドでは、「あの旗の下で戦ったのだ」という元将兵が国旗改訂に反対し、
国民投票で否決という事態が起きていることが注目されます。根が深いのです。
因みに、カナダは英国風と言う事が同じように伝わってくる旗から、現在の旗に、東京五輪前に変更しています。 その背景に、同国には相当フランス系の人々が住んでいる事がある由、世界とは歴史が背後に在って、実に複雑ですね。
現カナダ国旗は、その自然を美しく語る楓と、太平洋と大西洋の両洋を両端に配置する構成を取っているのだそうです。
ところで、インドは英連邦に属しつつも、英女王を元首にいだかず、独自に大統領を置いています。 その国旗は、ユニオン・ジャックとは無関係で、横三色旗であり、色はサフラン色、白、緑です。真ん中の白に法輪(チャクラ)を配しています。この法輪は古代インドのアショカ王に由来する由、インドの国章なのです。此の国の歴史と伝統など諸々の事を反映しているようです。
6) 感動の行進
1964年の東京オリンピックで、英保護領Nローデシアで出場行進した参加
地域が、その閉会式では独立していて、「ザンビア」という新国名で行進したと言う感動的な実話があります。
ザンビア、それは数年前南部アフリカ地域を旅行した私どもには、忘れられない国です。 巨大なビクトリア瀑布が、ジンバブエとの国境に跨がって在る国で在り、豊かな銅鉱山を誇る国でもありました。 東京オリンビックの感激の物語を思い出しましたね。
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