大手メディアが伝えない情報の意味を読み解く
情報屋台
社会
政治

かくして、リベラルは漂泊の民となれり

2017.09.29 Fri

衆議院の解散、総選挙を伝える今朝の新聞各紙の見出しを目にして、思わず溜め息を漏らしてしまった方も多いのではないでしょうか。1面の見出しは、毎日新聞が「自民vs希望 政権選択」、朝日新聞は「安倍政治5年問う 自公vs.希望vs.共産など」、読売新聞は「自公と希望 激突」、日本経済新聞は「安倍vs.小池 号砲」でした。

「なんだ、これは」という印象です。毎日は「政権選択の選挙」と言い、日経は「安倍vs.小池」と言うけれど、希望の党を率いる小池百合子氏は東京都知事であって、衆議院議員ではない。従って、現時点では首相候補になり得ない。自民党以外の政権を望むにしても、誰を首相にかつぐのかはっきりしない政党に投票して、それで「政権選択」と言えるのでしょうか。

なんでもいいから、とにかく安倍首相を政権の座から引きずり降ろしたい朝日新聞の気持ちは分かる。にしても、「自公vs.希望vs.共産など」はないだろう。なぜ、素直に「自公vs希望」とうたえないのか。「vs」の後のピリオドもいらないし、「共産など」も余計でしょう。それを省くことができないのは、いつまでたっても律儀なうえに、共産党と共産主義への郷愁を捨てきれない人たちがまだたくさんいる、ということか。

読売新聞は1面肩に前木理一郎・政治部長の「政党政治の否定だ」という論評を掲げました。「民主党時代に政権を担った野党第1党が一夜にして結党間もない新党に身売りするという、前代未聞の事態だ。理念や政策を度外視した野合で、政党政治の否定にほかならない」と歯切れがいい。けれども、民主党だって、安全保障政策や原発問題で意見がバラバラな議員が寄り集まった、理念も政策もあやふやな政党でした。いまさら、「政党政治の否定だ」と力まれても、鼻白んでしまいます。

日本経済新聞は「号砲」という勇ましい見出しを掲げましたが、内容はいつものように穏やかです。2面の社説で「実感が伴う景気回復まで消費増税は立ち止まる。議員の定数や報酬は縮減。原発ゼロを目指す」という小池氏の基本的な考えを紹介しつつ、「(もっと)具体性のある総合的な政策を早くまとめてもらいたい」と注文を付けています。ドタバタでこうなってしまったのは今さら変えようがない。せめて選挙戦では、この国をどうしたいのか、きちんとした未来像を分かりやすい言葉で語ってほしい、と願うしかありません。

無残きわまりないのは民進党です。新聞の主見出しにも取ってもらえず、そのわきに「事実上の解党へ」とか「希望と合流」などという言葉と共に「消えゆく政党」として烙印を押されてしまいました。ついこの間の代表選挙は、喪主選びの選挙だったのか。前原誠司という政治家の本性が現れたと言うべきか、それがこの政党の定めだったと言うべきか。

かつて民主党が旗挙げした時、「これでリベラルの結集軸ができた」と持ち上げたメディアがありました。確かに、そう期待する声もありました。が、その内実は、自民党の本流・田中派に属していた小沢一郎氏が金と人事を握り、極右のような政治家から社会党に見切りを付けた議員までが身を寄せた、文字通り「野合」の政党でした。基本政策が定まらず、ずっとフラフラし続けたのも、その出自を考えれば、当然のことでした。

リベラルが凋落し、仮初めの受け皿すら消えてしまったのも、また自然の成り行きと言わなければなりません。理路整然ときれいな事を言うが、世間の汚濁を正面から見つめようとしない。世界の現実から目をそむけ続ける。何よりも、人が生き、暮らしていくということがどういうことなのか、それを肌で感じ、泥だらけになって対処しようとしない。わが身を顧みれば、それがしみじみと、今になって理解できるのです。

もっとも、私がリベラルの一員だったのかについては、朝日新聞社内でも異論がありました。半世紀以上も前につくられた憲法を一字一句変えないで維持していくのは無理がある。で、論説委員室の議論では「改憲するのは自然なこと」と主張していました。国際報道を担った論説委員には、私のような改憲派がかなりいました。安全保障についても、「核兵器の廃絶は世界政治では現実味がない。いかに管理するかを論じるしかない」と主張し、「お前は産経新聞の論説委員か」と罵倒されたこともありました。

それでも、古い伝統より新しい息吹に魅力を感じ、より自由でより開かれた社会を目指す者をリベラルと呼ぶなら、「私はリベラルだ」と思って生きてきました。今の日本では、その思いを託す政治勢力がなくなり、漂泊の民になったとしても、自分が大切にしてきたものを変えるつもりはありません。「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」。ブッダはそういう者のためにこの言葉を残してくれたのだ、と信じて。

 

≪参考記事&文献≫

◎2017年9月29日の新聞各紙(山形県で配達されているもの)
◎『ブッダのことば』(中村元訳、岩波書店)

≪写真説明≫
◎希望の党の代表に就任することを発表した小池百合子・東京都知事(東京新聞のサイトから)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201709/CK2017092602000111.html


この記事のコメント

  1. yacopi より:

    今、消滅しようとしているのはリベラルではなく、ガラパゴス・リベラル。
    中央公論社・10月号の以下を読んでみてください。
    維新は「リベラル」、共産は「保守」:世論調査にみる世代間断絶  
    http://www.chuko.co.jp/chuokoron/2017/09/201710_1.html

    最も改革に積極的な政党は?という質問で、40代までは、自民が1位で、2位が維新、民進や共産は「保守」とイメージを持つ人々が大半。
    リベラル=護憲=日米同盟反対=原発反対と捉えること自体、化石のような考えで、メディアに関わる人間ほど、一般の人の考え方が大きく変わっている現実を全く知らない。
    民進の左派リベラルと呼ばれる人々がこの種のガラパゴス・リベラルで、民主党時代、安全保障を鳩山のように机上の空論でいじくれば滅茶苦茶になることは、お隣の国の政権での大混乱を見るまでもなく、子供でも認識している。
    護憲で9条を死守すれば米の戦争に巻き込まれないとか、米朝戦争にも歯止めがかかるなんて考えている、お花畑の幼稚な理想主義者はほとんどいなくなった。だから、憲法改正や日米安保が与野党の対立軸になる時代は終わっている。

    しかし、対立軸の大きなシフトが起きているにもかかわらず、時代にあったリベラル政党が日本では育たなかった。
    それは、安全保障政策を自民とほぼ同じにして、アベノミクスを超える大胆な経済政策を打ち出せなかったからだ。
    40代までの世代がなぜ、自民を革新的な政党と考えているのか?
    20年近く続いた超氷河期で、上の世代は大変苦しんだ。しかし、自民が政権を奪還してアベノミクスが総じて経済指標を改善したからだ。東大の学生が保守化しているから自民党支持が増えているわけではなく、全く逆に、自民を革新的と考えているから支持しているのだ。
    財政出動という点では、アベノミクスの考え方はむしろリベラル寄りで、アベノミクスを超える政策をどの党も打ち出せないでいる。
    結局、自民に対して対立軸となる経済政策を全く出すことができなかったことが、民進党の事実上の解体につながった。

    前原が代表になって、打ち出した経済政策は、経済のこれ以上の成長には限界がある、消費税を10%にし、国民の税の負担率もヨーロッパ並みにあげるなどとしています。再配分をもっと隅々まで行き渡らせよとか、累進課税を徹底せよとか、バカでも言えること。
    1980年代の米の「小さな政府」と「大きな政府」の対立で、共和党が勢力を増していった時代背景とよく似ていると指摘していますが凄まじい的外れ。アベノミクスの政策は、大型の財政出動を推進し、米の民主党の「大きな政府」政策に近い。むしろ、当時の共和党のような「小さな政府」を打ち出す政党がないことが問題。
    朝日のようなガラパゴス・リベラル・メディアこそが、現実的なリベラル政権が日本で誕生できない大きな原因を作ったのでしょう。

コメントする

内容をご確認の上、送信してください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

社会 | 政治の関連記事

Top