社会主義の虚像と実像
社会主義の虚像と実像
平成29年(2017)6月
仲津 真治
私が子供の頃、中ソなどの社会主義国を礼賛する言論が内外で強く、
国内でも、所謂左派陣営を中心に、そうした主張が盛んに展開されて
いたように思います。それは、昭和32年(1957)のソ連による
人類初の人工衛星の打ち上げを象徴的出来事として、かの毛沢東が
演説の中で、「東風が西風を圧する」と述べた言辞が代表していました。
そこで、すっかり様相が変わった、戦後七十年余りの今日から、
往時の各時点を振り返りつつ、思い出を交え、幾つかの文献を参照ないし
引用しながら、「社会主義の虚像と実像」と題して、論じてみたいと思います。
何故、この時期に、こういう標題になるかと言えば、そうした捉え方こそ、
ロシア革命百年の今年において、二十世紀から二十一世紀への時代変貌を
把握するのにふさわしいと思うからです。
2 思い出 著者は、この頃の事を好く覚えています。因みに、ソ連のスプート
ニクが軌道に乗った、その10月に中学一年生でして、理科の授業の中で、先生が
教科書に「人工衛星は遠くないうちに成功するかもしれない。」と書いてある事
を読み上げつつ、「もう、上がりましたね。」と語ると、教室の皆が「わあーっ」
と沸いたものでした。
それから五年ほど年月が経った頃、私は高校三年となっていましたが、日本史の
先生が、学年の終わりの授業で、「世界は社会主義陣営と、帝国主義陣営に、
よく言えば自由主義陣営に二分されています。平和が大切です。」と呼びかける
ような講義をしました。 これを聴いて、私は、この尊敬する歴史の先生も、
左派の影響を受けているなと直感したものです。 自由、民主、人権尊重、法治
などの所謂「普遍主義」は、今日でこそ、良識在る理念として広く受け入れられ、
それを帝国主義陣営の思想・価値観とは言わなくなっていますが、昭和二十年代
から三十年代後半にかけての日本では、所謂左派の世界観が支配的で、西側の
思想や体制は、「普遍主義」とよばれる事もなく、ブルジョワ民主主義などと
言われて、排斥される風潮すら、あったのです。
3 中華人民共和国の建国
その左派優位の時代に、その少し前ですが、1949年、中国共産党は、「腐敗、
堕落、戦乱、貧困、不公平などの矛盾に象徴される中国社会の改革に立ち上がり、
遂に、蒋介石の率いる中国国民党軍を中国大陸から追い出して、念願の中華人民
共和国を創建しました。
このことは、資料に拠れば、{当時の中国人、特に絶対多数を占めていた貧しい
一般大衆は、中国共産党の掲げる「理想社会」に大いなる希望を託したに
違いない。}と言われます。 ただ、この後の混乱・変化・変貌は大変もので、
将に天地を揺るがすような事が続いています。それでも不変なることが有ります。
中国共産党の一党支配です。
4 ここで、共産党が建国した新体制の施策のポイントを具体的に
二つほど記しておきます。この体制の特性や方式が分ります。
まず典型は雇用の分配です。 巨大人口の中国で共産党が権力を掌握したときに、
失業者や労働力過剰解消のため行った政策は、多くの人々に職業を与え、
その代わりに低賃金で働かせるというものでした。すると、人々は何処かで一応
職業を得て、表面上失業はなくなりますが、仕事がないという現象を引き起こし
ます。例えば、あるところでは、三人で出来る仕事を五人で行う言う具合に
ですね。斯くて、就業者数は増えますが、生産は増えず、労働生産性は低下
致します。 これが、「新中国には失業がなくなって、皆仲良く働いています。」
宣伝されたことの実際の姿と申します。
この結果、懸かる過剰雇用を支えるため、結局、国家が企業を支援することとな
り、毎年五百億元の補助金が出されていたと言います。 1978年当時では、
これで約二千万人の過剰労働者を抱えていた由、詰まるところ、これも一因とな
り、国の財政が持たなくなって、改革開放に踏み切ったと見られます。
5 もう一つの大問題:住宅
中国では、人口の多さと、都市への無秩序な集中ゆえ、深刻な住宅難が生じて
おり、且つ、明、清時代からの古い住宅が多く危険であり、更にどんどん違法な
建築が困難さを増していたと言います。斯くて、住宅は結婚相手を見つけるより
難しいと言われ、プライバシーが確保すらできないとのことです。其処で、信じ
られない事ですが、「公園のベンチでは夫婦や男女が人目があってもを・・を」
と言う現実が生じている様です。
他方、住宅は、雇用主の企業が、自らの所管の仕事として建設、確保することと
なっているため、属している企業が中小であれば、なかなか其処まで手が回らず、
大であれば立派なものが得られるという、おかしな所がある様です。すると、
大企業や大事業体であれば、驚くようなマンションを建てて割り当ててくれるが、
事情があって、住まないで居ると、そのままとなり、他には廻らず、所謂鬼城が
出現すると申します。 権力のある富裕層が引き起こしているのです。
そうした基本の所は、幾ら市場経済を導入しても、利害関係や所管・縄張りが
あって簡単には行かないようです。 矢張り、市場の力や機能を活かそうとすれ
ば、最初から、そういう風に世の中をしつらえて置くべきなのでしょう。
年月が経ち既得権益が出来てしまうと、その変革は容易ではありません。
6 変わりつつある時代 共産党一党支配の体制は何処へ行くか?
そうした中、時代の変化は大変なもので、特に、近年改革開放路線が定着し、
WTOなどの活用による、産業化・国際化が進むと、中国は政治大国であるのみなら
ず、世界経済に巨大な存在感を発揮する経済大国となりました。 今や、世界
経済牽引役のアメリカが、なりふり構わず自国第一と言いだし、中国が市場経済
の旗振り役に躍り出るという、奇妙で様変わりの様相を呈しています。
とは言いつつも、中国では共産党一党支配は変わらず、権限や権力の集中による、
その乱用と腐敗、富裕層の発生と巨大な格差の顕在化、広く深く浸透したコネ
社会、膨大なヤミ世界の厳存と常態化、一方での凄まじい住宅難と、他方での巨
大な鬼城の大量発生、根強い出国志向 などなどの諸問題が次々と発生、中国
社会は一向に落ち着かないようです。
7 ソ連の崩壊
他方、世界初の社会主義体制を打ち立て、実践したソ連は、
1917年の二度に亘るロシア革命を経て誕生しました。
そして、数次の五カ年計画を経て重工業化に成功したものの、市場無しの社会は
結局行き詰まり、1991年にソビエト連邦は解体、そこから、十五の共和国が結成
されました。
このソ連なる国家を生み出し、支配、指導したのは、ソ連共産党ですが、
ソ連邦解体直前の1991年9月に、中央委員会を解散、党は消滅しました。
自由世界との対立・対峙は冷戦と呼ばれましたが、1989年に終演しています。
実質、ソ連支配下にあった東欧は解放され、自由化、民主化されました。
ところで、このソ連崩壊の意義ですが、第一に、帝政ロシア以来続く、ロシアの
植民地体制が終焉したことでしょう。最近、訪れた15共和国の一つ、
ウズベキスタンでは、独立という言葉を多用していました。
では、そもそも社会主義ソ連の意義は何だったのでしょう。
私は、これと言ったもの、文化や産業を生み出さなかった体制と思います。
国家の魅力、それは結局ソ連からは生まれず、ロシアから承継されたものに
限られ、後は天然資源の産出に止まっています。
もう一つ申し上げるとすれば、それはスパイ国家と言う事でしょう。 自由世界
から、技術やノウハウを窃取して、自国の産業や軍事に役立てる、そのための
組織や機能を中心に廻っていた国のように思えてなりません。
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