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エルミタージュ美術館の、東京は森アーツセンターでの展示

2017.06.13 Tue
文化

エルミタージュ美術館の、東京は森アーツセンターでの展示
平成29年(2017) 6月
仲津 真治

1  サンクトペテルブルク
ロシアのかつての首府で、文化・芸術の都と言われるサンクトペテルブルクは、
ソ連時代レニングラードと呼ばれていました。 体制転換で、旧ソ連の国名が
元のロシア連邦に戻ると、この街も旧名に復しました。ドイツ風の名称への回
帰には、異論もあったようですが、結局そうなり、これで落ち着いたようです。

良く知られているように、此処には、「エルミタージュ」と言う名の絢爛豪華な、
まるで王宮のような美術館があります。世界三大美術館の一と言われるものの、
私は、その実物を見学したことはありませんが、写真で見ると、その素晴らしさ
に目を奪われますし、見学してきた家内からも「圧倒された」という実感の伴っ
た印象を聴いています。

この名称は、フランス語に由来し、「隠れ家」という意味だそうです。収集
家として有名なエカテリーナ二世(1762即位)が当人自身の好みで始め、
密やかに眺めていたのが、初期の頃であったと言います。

2   エカテリーナ二世

此処で注目すべきは、この女性がロシア人でない事です。曰く、ドイツの地方
貴族の娘で、縁あって、往時のロシア皇帝、ピヨートル三世にのところに嫁いで
きますが、非常に有能で意欲に満ちていたため、帝室内の派閥争いを利用、時の
勢いで、病弱と言われた、夫君の皇帝を追放・廃帝し、自らかが即位したのです
(1762)。

恐ろしいことをやってのける女性がいるもので、当人はロシアになりきり、
1793年まで終身在位、その間、ロシアの一段の領土拡張、勢力の伸長に
大きな貢献をします。 そして、この女帝の成せる大業績の一が、優れた西欧
絵画の収集・集積・展示と言われます。

時あたかも、18世紀の西欧はルネッサンスを経て、バロック、ロココへと発展し
ていく文化の復興、再生、創興、爛熟の時代でした。 対するロシアは産業のみ
ならず、文化、社会の全般に亘り、遅れていて、ドイツ出身のエカテリーナ二世
は、大変な焦燥を感じていたと思われます。当初は、個人の趣味に近い形で始め
た収集が自身の権力の確立とともに本格化、各国に駐在する大公使の外交官
ネットワーク等を活用した大規模なものとなっていきます。 それは各国の公私
の収集家との激しい競合をもたらし、自前の注文へとも連なっていきました。
そして、国家の誇りと権勢を実示すべく、展示の開始へと繋がり、今日の大美術
館と発展していきました。

なお、エカテリーナ二世の外に、血族でない姻族が帝位についた例としては、
夫君の祖父であるピョートル大帝一世の夫人であるエカテリーナ一世があり、
夫の没後、二年間女帝の座にありました。 ただ、いずれの場合も女帝の後は
子息が帝位を次いでおり、血筋の本流に戻っています。

3   主な展示作品と印象

ロシアの作品は全くなく、各画家はイタリア、オランダ、フランドル、スペイン、
フランス、ドイツ、英国に属していた

今回は、オールドマスターと言われた著名画家の作品が、やや混み合って展示さ
れていました。 最初の方には、イタリアのルネッサンス期のところで、過日
鑑賞したティツィアーノの作品がありました。この展示全体を通して、女帝の
コレクションゆえか、裸婦などは少なかったのですが、これは例外的に裸婦
近いものでした。

私にとって圧巻は、同じイタリアのストロッティになる「トビトの治癒」でした。
両眼を負傷したトビトが、懸命の手当を受けている様子が描かれており、
目薬の摘下で潤んだ眼が何とも云えぬ「うるおい」を示していました。
見事ですね。 プロ中のプロを実感しました。

4  ソ連時代の意義

ここで凄いと思わせたのは、一つは革命でソ連に変わると、まず美術館の全てが
国有化され、そして、第二次大戦の一環として独ソ戦が起きると、更に今度は
往時のレニングラードがドイツ軍に三年も包囲され、更に、この包囲
が始まる前に、最良の作品群がスェルドロフスク(現在のエカテリンブルク)に
疎開されたことです。 これらの措置は、往時のソ連体制が、美術作品の意義を
良く理解していたことを物語ります。


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