古墳逍遙
平成29年2月 仲津真治
本当に寒い最中ですが、関西の実家に戻る機会が在りましたので、時を得て、以前から、その名称が気になっていた、さる古墳(御陵)を訪ねて参りました。
1) それは仲津山古墳と言い、仲(津)姫命(なかつひめ みこと)の御陵と比定されている古墳です。「仲津」とは拙名と同じものですから、関心を寄せていたところです。中津は在っても仲津は普通無いと承知しています。
所在は大阪府下の藤井寺市沢田4丁目(元の地名の古市付近)に在り、近鉄南大阪線の「土師の里」駅下車、南西へ約0.8km、徒歩約10分程の所です。巨大な前方後円墳で、楯形周濠が有りますが、水は涸れていました。大きさを専門用語で記しますと、総長約470m 墳長 290m、前方部の幅 193m 長さ 162m 高さ 23.2m、 後円部の径 170m 高さ 26.2m 頂径 30mもある由です。周りを歩きましたが、将に巨大という形容が当たりますね。
埴輪、円筒、勾玉が出土しており、副葬品や石棺も存在すると申します。そして、築造時期 五世紀前半と推定されている由です。巨大古墳築造の盛んな頃です。
2) 考古学や歴史学の比定によれば、この古墳の被埋葬者は「仲津姫命」とされ、第十五代の応神天皇の皇后であり、その子で第十六代の仁徳天皇の母とされています。その出自は品陀真若王(五百城入彦皇子の王子、景行天皇の孫王)の王女の由です。
女性で巨大古墳とは珍しいと思い、現地の応神天皇陵のそばに置かれている「宮内庁書陵部」の古市古墳管理事務所に寄り、伺ったところ、「天皇では推古、持統の例が在り、皇后では神功皇后が在ります」との事でした。
その解説に依れば、天皇陵などは、宮内庁の管理に属し、それ以外の古墳は、地元の教育委員会が管理しているとの事、何れも綺麗に清掃が行き届いていました。仲津姫御陵や応神天皇陵は正面に参りますと、石造の鳥居があり、うつくしく砂利が敷き詰められ、手入れがしっかりなされていました。また、それと分る掲示がありました。
3) のどかな時間が漂う
古市古墳群の辺りは実にのどかでした。当日は、やたらと寒さが身に染みる日でしたが、それでも風は程々、幸い雨や雪はなく、助かりました。郊外の住宅地で、真冬に農作業に勤しむ姿はありませんでしたが、犬と散歩する様子に、古墳と共存してきた地域社会の姿を垣間見ました。仲津姫陵のあと、近くの応神陵への道を尋ねたところ、親切に案内までして頂きました。
仲津姫陵と応神天皇陵の間には、巨大な西名阪自動車道が高架で通っていました。古代と現代の両構築物が対比しているものものは何でしょう。
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