国際的な広がりを持つ「シン・ゴジラ」
国際的な広がりを持つ「シン・ゴジラ」
この程、東宝映画「シン・ゴジラ」が、災害対策や安全保障などの観点から、話題に良く上りますので見て参りました。公開時の一斉上映の折りと異なり、上映館も随分減っていましたが、ネットで検索したところ、東宝新宿がありましたので、其処なら交通の便からみて何とかなりそうと、足を運んだ次第です。
その映画館は屋上に巨大なゴジラの頭部が乗っかっていることで有名な由、そうした建物作りも、長年ゴジラ映画を制作してきた東宝のキャンペーンの一環と理解されているようです。
MX4D方式
ただ、当該館は今まで経験したことのないタイプの劇場でした。それは所謂シネコンの中に在るのですが、上映設備がMX4Dと言う新方式を採用しているのです。其処では、座席が左右上下に動き、風が吹き、閃光がひらめき、水しぶきが飛んできたりするもので、緊張を盛り上げるシーンとなると、迫力感を出すため、そうした装置が働きます。実感したところでは、相応の効果はあるなと思いました。でも、そのため、料金も割高で、千二百円余計に払ったものです。これも経験という意識はありましたね。
ところで、体験したことからすると、不快になるまでの事はなかったものの、そのたびに、ごとごと音がして、音声が聞き取りにくくなりますし、尻の下がぼこぼこ動くので落ち着きませんでした。再体験は願い下げというのが正直なところです。
幸い、立体映写はありませんでした。このMX4Dに立体映画まで加わると、何か過剰反応や事故の懸念が出てくるような気がしましたね。斯くてそれなりの所に納められている感じがしました。聞けば、二年ほど前から日本に現れた由、元は米国製との事でした。
以下、ご参考までに幾つか印象に残ったことを記します。
1 ゴジラは既に約四十作とか そして、遂にシン・ゴジラに到る。
ゴジラ映画では、所謂怪獣ものの鏑矢となる、昭和29年(1954)の作品が最初の由、爾来、東宝が観客動員に概ね成功してきた分野と云えるようです。その一覧を見ると、最初のゴジラから、あまり変わっていない事が分かりました。それは、そのイメージを大切にしてきたからか、人間の想像力にパターン化されたものがあるからか、分かりませんが、私自身は進化の所産である自然界の方が遙かに豊かで、断然優れていると思います。世界には本当に変わった生き物がいるものです。
2 日本語のみ 英題無し
ところで、今回のゴジラは従来のものとは違うと言う狙い目が有るようで、ゆえに、シン・ゴジラと言う表題になったようです。斯くて「シン」は「新」に通じるわけですが、英語の題名はなく、訳も有りません。従って、日本語の分からない人々にはシン・新のニュアンスは通じないでしょう。この方式は、最近の邦画ではやや例外的な印象を受けます。特に、作品内では滑らかな英語が結構使われているのに、何故、英題無しなのか、疑問が残ります。外に、ドイツ語、フランス語も出てきました。
3 何が新か、巨大不明生物に想像される新奇性
先ず、東京湾で奇っ怪な事件や破壊・犠牲が続発、やがて、信じられないことに、それが正体不明の巨大生物の仕業と推定されるに到ります。そして、その生き物が、東京湾に流れ込む河川に侵入して来て、目撃され、京浜急行の北品川付近に上陸、私も時折見る景色が写されました。CG技術の進歩の成果か、実にリアリティーに富んだ光景が展開されました。
かくの如く、これは虚構の世界でして、巨大不明生物なるものはもとより、居ないわけですが、映画の中では実在するとして通すことになります。虚構を支える真実らしさですね。
そこで、この種の作品を見ていて、私がいつも疑問に思うのは、こうした生き物が一体しか現れない事の不自然さです。動く生物で在れば、普通雄と雌が居て、子が生まれ、そして育ち、更に子孫に繋がるはずです。この生物は恐竜に似ていて、現に有名なティラノサウルスが巨大化した印象がありますが、斯く推定されているように卵生の古代生物の生き残りなら、そこまで連綿と続く親子の流れが在るはずです。
ところが、この不自然極まりない巨大生物は、現代日本に突如出現します。その背景については、ほとんど説明されないのです。
唯一示唆されるのは、学者ではないが、生物に詳しいとされる厚労省の女性職員が、「この巨大不明生物は、無性で、自己増殖するのではないか」と推理した事でした。実に奇妙な話ですが、そう考えるほかないと言うのです。本職の学者ではなく、主流ではない彼女の柔軟な頭脳がそう示唆したのです。とはいえ、有性でない生殖とは、通常下等な生物の増殖法とされており、同じ生き物の再生産となるゆえ、劣化が進みやすいと言います。ところが、この作品では、それは遙かに進んだ、高等生物と言う話になっているのです。
ともあれ、この女子職員は、一旦上陸した巨大生物が、一渡り暴れ回ったあと、海に戻るのを見て、これは肺魚のような働きがあるから、陸でも活動出来るし、海にも棲めるのだろうとも推論します。
以上の辺りが、先ず現れて来る新奇性でしょうか。将に映画の世界ですが、一応、もっもらしい感じを与えています。
4 東日本大震災との類似性
巨大生物は、東京湾に流れ込む河川や運河をゆっくり歩き回り、船舶、建物や橋、工作物などを壊して行きます。何故壊すのか、その理由は不明のままですが、ともあれ、この行動で、まるで津波のような現象を起こします。 それは、五年前の東日本大震災を彷彿とさせるものでした。また、事態をニュースやインターネットで知った住民が大混乱に陥りつつも、避難を始めますが、車で大渋滞が起こり、警察の指示もままなりません。この辺りも、彼の大震災の再現を思わせるものがありました。
その間、巨大不明生物について、内外から情報が得られてきます。それらによれば、太平洋の、さる島で、原住民の信仰の対象となっており、その神がかりの様子から、God のもたらしたものと言うニュアンスで、Godzilla と名付けられていると言う話が伝わって来たのです。ここで初めて英語名が登場、「日本の閣議でもゴジラと命名した」として、テレビで発表されます。
5 ゴジラのエネルギー源は何か
ゴジラが幾ら巨体でも、無茶な破壊を続ければ、生物で在る以上、やがて疲れ切ってしまうでしょう。でも余りに恐ろしい暴れ方が続くので、一体何がその活動力・破壊力の素になっているのか、議論が起きました。
これについても、かの女子職員は、「かつて、各国が国際合意の下、大洋に捨てた」核廃棄物を海中に居たゴジラか食べて、栄養源にしているのではないかとの仮説を呈示します。そして、何と、ゴジラは恐ろしく進化していて、体内に生物原子炉を持ち、生存するようになっているとの見方を示します。
6 変態を繰り返す
無性自己増殖に体内原子炉、こうした、おどろおどろしい推論に加えて、その女子職員は、ゴジラが生きながら、変態を繰り返し、より強く、大きくなって行くのではないかとの予想を述べます。斯く、もっともらしい話に出来ています。
そして、東京湾に戻ったゴジラは、海中でじっとした後、変態しつつ、あらためて原子エネルギーを貯め、一段と巨大化して、体長六十メートルを越す物凄い生物となって鎌倉沖に再び現れます。大型化したゴジラは口と尾の先から強烈な光線と火焔を照射するように成長していました。脚、腕、尾等による破壊だけではない、更なる武器を持つようになったのです。
かかる変態説もシン・ゴジラの新奇性の一つでしょうか。
7 ゴジラ討伐の戦い
ゴジラの出現は、東京を中心に日本を破壊と混乱の渦に巻き込みます。政府は、先ず、非常災害対策本部、次いで緊急災害対策本部を順次立ち上げ、対応していきますが、ゴジラの持つ、破壊力の大きさと強靱さにたじたじとなります。
そして、詰めの論理、程度は分かりませんが、もはや自衛隊で対応するしか対処法がない、でないと国民の生命・財産が守れない、このままでは国が滅ぶと言う議論にすら発展、最後は内閣総理大臣による防衛出動の命令が下ります。それを迫るのは防衛大臣で、何故か女性でした。そういえば現安倍政権でも女性の稲田氏が防衛大臣ですね。斯く、この映画はいろんなところで、現実との類似性を見せます。 想定外の、破壊力在る巨大生物が登場し、その者から破壊と攻勢を受けたため、他国や、それに相当する勢力からの攻撃ではありませんが、やむを得ざる防衛出動に到ったという流れです。それは、原子エネルギーや放射線まで活用する生き物の出現の所産でしょうか。
斯くて、首都東京を何としても守るため、多摩川を防衛線として陸海空の自衛隊が出動し、ヘリ射撃、戦車砲撃、ミサイル攻撃などを次々と浴びせました。 凄まじい攻撃でした。自衛隊としては見せ場ですから、撮影に全面協力したのでしょう。ところが、ここで信じがたい光景が現出します。 こうした苛烈な火力の行使がゴジラには一向に応えず、なお、生き延び、都心に向かったのです。
これを中継で見た政府幹部は、「あれだけの連射、砲爆撃などを受けても倒れないとは恐ろしいやつ」と驚嘆します。この声はもっともで、私ども自身も、ほんの僅かの怪我や切り傷ですら結構痛み、行動が制約されることを知っています。然るにゴジラは猛烈な攻撃と爆発を受けても平然としているのです。こんな生き物はあり得るのでしょうか。
そして、この耐性が何ゆえ可能なのか、ゴジラの皮膚は一体何で出来ているのか、特殊な金属だとして、それは何の合金なのかなどの諸疑問について、もっともらしい説明は一切在りませんでした。
これまで、生体原子炉、変態、肺魚機能など、それなりの示唆が示されたのに、ゴジラの皮膚に関する疑問については何もなかったので、大変残念でした。この種の映画を見るたびに、思う疑問です。
8 ゴジラが瞼を閉じないこと
話は戻りますが、ゴジラが変態前の段階で、上陸してきたとき、それは腹ばいでした。その動きは、まるで、八岐大蛇のように見えました。そして、そのときから瞼を閉じていませんでした。 要するに、愛くるしい感じの目をずっと開けているのです。生き物ですから、目を保護する必要があるにも関わらず、開けっ放しなのです。愛嬌がありましたが、瞼が無いとは不自然でしたね。
次に、変態を繰り返してから、より巨大化したとき、一瞬目を閉じていたかに見えたときが在りましたが、結局ずうっと開いていました。そして恐ろしいほどの人間側の防御と反撃を受けながら、ゴジラは更に暴れ回るのです。ここで、これまた変に思ったのは、人間側が、その開いた目を攻撃しないことです。目をつぶせばゴジラは視力を失うはずで、その行動は大いに鈍るでしょう。即ち、目標物のゴジラは目視できる距離に居るのですから、精確な射砲撃が可能なはずです。
9 自衛隊各部隊の攻撃に関わらず、ゴジラが暴れ続けるので、米軍出動へ
斯くて、事態が更に悪化したため、遂に日米安保条約が発動され、在日米軍が出動します。状況は遂に国際化したのです。米軍は、戦闘爆撃機二機が飛び立って、攻撃目標に深く食い込む、且つ破壊力がより大きい爆弾で叩きます。すると、ゴジラは大きく揺らいで、「さすが米軍!」と言う評価の声が出ました。
だが、ゴジラは倒れません。斯くて、攻防が継続、自衛隊の陣地に死傷の被害が出始めます。また、米軍の攻撃機も撃墜されます。通常戦力の限界が見えてきます。
斯くて、日本政府も永田町の官邸に置いた緊急本部がもはや危険と見て、立川の防災本部予備施設に移ります。其処は私が現役の頃から在ったものの、往時はまだ簡易なものでした。今は、遙かに拡充されたものとなり、設備・装置も整うようになっている由ですが、この映画では、それをモデルに、セットで再現したと聞きます。
10 事態は国連安保理へ
ここに到って、米国はゴジラによる被害が米国民に及ぶことを懸念し始め、日本国外への退去を指示するようになります。この辺りの推移は、東日本大震災の経過と似たところですね。
更に、米国は日本国内でゴジラを叩き切れなかったなかった場合を想定して、国連の安保理に事案を持ち込み、その決議を得て、多国籍軍の編成と、ゴジラへの核攻撃を容認するよう動きます。斯くて状況は思わぬ展開を見せますが、ゴジラの核エネルギー 対 人類が保有する到っている熱核兵器の対決というわけで、ひとつのドラマのような雰囲気を帯びてきます
もし、それが現実化すれば、ゴジラ打倒のため、日本領土内で核兵器が使用される事態となりますので、日本政府はその回避に動き、特にフランスに強く働き掛けます。 フランスは同じ自由陣営の安保理常任理事国ですが、英米と異なる独自の外交路線を取っていますので、日本政府は其処に掛けたのです。
11 ゴジラ凍結の試み
その結果、事態は一旦回避、其処に時間的余裕が得られましたので、その間にゴジラの血液などの体液に、生物化学的に合成した特殊な液を大量注入して、凍らせる案が至急に検討されます。急ぎの分析、研究、試作が各地の関係機関を総動員して行われます。
斯くて、そのシーンは、東日本日本大震災で発災した福島第一の原発への、冷却水の放水を想起させます。他方、その後、対策として取られた凍結工法も思い浮かびますね。何せ、フィクションながら、かの大震災との相似が多いのです。 果たして、凍結方式の成否や如何に、また、速いテンポながら、複雑多岐に繰り広げられる物語の実際はどんな感じか、其処は作品を御自身で御覧になることをお勧めします。
末尾ながら、この種の映画で良く思う事を一点記しますと、何故壊される街が東京なのかと言うことです。首都だから、みんなが良く知っているからなどと思いますが、ワンパターン化している印象は拭えません。 もとより、虚構の物語なのですから、例えば、一度京都を取り上げてみるとか、変化があっても良いように思いますが、如何でしょう。京都を取り上げれば、日本の文化や歴史を見直す、別の切り口になると思います。
それとも、観客動員を考えると、矢張り首都東京でしょうか。
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