シャガールの版画に浸る
猛暑を忘れてシャガールの世界にたっぷりと浸る、そんな体験を味わえる企画展「マルク・シャガール 版にしるした光の詩(うた)」が世田谷美術館で8月27日まで開かれています。
何と言っても展示された作品の数に圧倒されます。版画だから可能ということもあるでしょうが、総展示作品数は133点です。その内容は次の通りです。
○『ラ・フォンテーヌ寓話集』(1952年刊、エッチング、全100点中32点出品)
○『ダフニスとクロエ』(1961年刊、リトグラフ、全42点中すべて出品)
○『悪童たち』(1958年刊、エッチング・アクアティント、全10点中すべて出品)
○『ポエム』(1968年刊、木版、全10点中すべて出品)
○『馬の日記』(1952年刊、エッチング、リトグラフ、全16点中すべて出品)
○『サーカス』(1967年刊、リトグラフ、全38点中カラーの23点すべて出品)
いずれも神奈川県立近代美術館のコレクションとのこと、ここは欧州の版画だけでも2000点近くを収蔵しているそうです。同じようなコレクションは群馬県立近代美術館にもあり、日本の美術館の水準の高さには驚かされます。
『ラ・フォンテーヌ寓話集』は、モノクロなので、彩りはないのですが、その分、寓話と同じように含蓄が込められているようです。作品の横に掲示されている寓話を読んで、あらためて版画を見ると、描かれている動物たちの表情やしぐさが違って見えてくるところが面白いところです。
たとえば、馬に乗った人が長い棒を持って鹿を追いかけている絵。人も馬も鹿も追いかけごっこで遊んでいるように思えたのですが、題名を見ると、「鹿に復讐しようとした馬」。寓話を読むと、馬と鹿がもめごとになり、馬がいくら鹿を追いかけても捕まえられないので、人間に助けを求めたところ、鹿を捕まえることができた。馬が人間に感謝して去ろうとしたところ、人間は、馬がどんなに役立つかわかったと言って、馬を飼うことにした。馬はつながれ、自由がないまま一生を終えた。そこで、この話の教訓として、『寓話集』は次のように書いています。(下の写真は、世田谷美術館発行の図録に掲載されている「鹿に復讐しようとした馬」の版画)
「復讐がいかに楽しくても、一番大切な宝でそれを買い取るのは、あまりに高くつきすぎる」
寓話を読んで、この絵を見直すと、楽しげに見えた馬は血眼になって鹿を追っているようで、その結末を知ると、その様子はとても哀しく見えてきました。
『ダフニスとクロエ』は、古代ギリシャの恋愛物語の挿絵としてシャガールが描いた作品で、色彩も登場人物も風景も、まさにシャガールの世界です。世田谷美術館が発行した図録の解説によると、依頼された版元は、当初1図5色程度の色版を想定していたが、最終的には20~25色の版が使われたとあります。(下の写真は、『ダフニスとクロエ』が展示されている世田谷美術館の一角=世田谷美術館提供)
確かに絵具を重ねたように見える版画とは思えない重量感は見事で、版画なのに、どうやって作られたのだろうかと、食い入るようにみてしまいました。解説書には、「シャガール版画の代表作であることはもちろん、近代版画史上の傑作のひとつ」という評価が書かれていましたが、けっして大げさとは思えませんでした。
『ダフニスとクロエ』の依頼を受けたシャガールは、結婚したばかりの妻、ヴァランティーナを伴って物語の舞台であるギリシャを旅行します。冒頭の「果樹園」は、『ダフニスとクロエ』の一枚ですが、果樹園だけでなく、魚の泳ぐ海で遊ぶダフニスとクロエが描かれています。この着想はエーゲ海で得たものかもしれませんね。
シャガールは、愛妻をモデルにした多くの作品を残したことから「愛の画家」と呼ばれています。モデルだった妻、ベラ・ローゼンフェルト(1889~1944)は、亡命した米国で亡くなり、シャガールは1952年、ヴァランティーナ・ブロツキー(1905~1993)と再婚し、その後の人生の良き伴侶だったそうです。
ところで、リトグラフが版画のひとつだということは知っていたのですが、調べてみたら、石版画のこととありました。毎朝見ているNHKの朝ドラ「らんまん」で、主人公の万太郎が植物の図を学会誌に掲載するために印刷所の見習いになって石版印刷の技術を学ぶ場面がありましたが、あれがリトグラフだったのですね。(下の写真は、NHKの「らんまん」紹介動画をキャプチャー)
石版印刷は、ドイツの劇作家が1796年に自分の戯曲を印刷するときに偶然、見つけた平版印刷の技術で、19世紀に発達した印刷だそうです。植物学者を目指す万太郎が魅了されたように、アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック(1864~1901)やマルク・シャガール(1887~1985)のような画家たちも、浮世絵の作家のように、この印刷技術を愛用したようです。
『サーカス』は、華やかなサーカスの舞台が漂わせる悲哀を感じさせる作品が多く、人間のような動物たちと接する場面も、動物との対話にこそ人間的な交流があるという皮肉を感じさせられました。(下の写真は、『サーカス』が展示されている世田谷美術館の一角=世田谷美術館提供)
シャガールはベラルーシのユダヤ人地区に生まれたユダヤ人で、パリを拠点に作品を発表しますが、第2次大戦の勃発で、ナチスによる迫害を避けて米国に亡命、戦後、再びフランスに戻り、フランス国籍を取得しています。自分の暮らす土地にどこかなじめない「異邦人」意識があったと思います。そんな経歴を知ると、古代ギリシャやサーカスの世界へのあこがれも理解できるような気がします。
我が家の本箱の隅に、『現代世界美術全集11 シャガール/ダリ/エルンスト』(河出書房)がありました。1966年発行ですから、シャガールもサルバドール・ダリ(1904~1989)もマックス・エルンスト(1891~1976)も健在でした。この本の解説は、美術評論家の瀬木慎一(1931~2011)で、シャガールの版画も色あせませんが、57年たった瀬木のシャガール考も色あせないので、ここに引用して、この稿を終えます。
「故郷へのノスタルジー、青春の追憶、アメリカ滞在中に失った妻への悲しみの念、戦争と残虐のなまなましい記憶……彼は、その生涯を通して、身をもって味わったさまざまの個人的、民族的苦難を、ことごとく人類的体験として普遍化し、他に比類がない輝かしい美的映像への高めようとしているのだ」
前の記事へ | 次の記事へ |
コメントする