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デジタル時代のメディア、特に新聞社に期待すること(中)<論座から再録>

2023.04.28 Fri

テーマに基づき再構成するフロー化「プレイリスト」

 以前提案した「プレイリスト」も、ストックのフロー化という概念のひとつです。すでにデジタル版で見られる例としては、プレイリストとは呼んでなくても、「特集」や「連載」というメニューの中の、特定テーマでくくった記事集として掲載されているのがそれに当たるでしょう。朝デジでは、「注目の連載」といったコーナーがあったりして、努力をしていることはわかります。さまざまな種類のニュースレターもたいていプレイリストになっています。

 ただ、私があえてプレイリストと呼びたいのは次の二つの意味を込めてのことです。

1.作成者 ニュースサイトの編集者だけでなく、社内外の個人が署名入りで取り組む。

2.選択対象 記事の掲載時期や(政治、経済等の)ジャンルにとらわれず、何らかのテーマを設定して構成する。

 作成の際、記事検索が機能として必要になりますが、朝デジも毎デジも検索できる対象期間は過去5年間となっています。それに対して、ニューヨーク・タイムズのデジタル版を見ると、なんと1851年の創刊年からの記事が付加料金無しで検索できるのは驚きです。日本の新聞社の場合、記事検索のサービスが独立のビジネスになっているという事情がありますが、読者にとってはせっかくの立体特性が十分には生かされていないと言えるでしょう。

ワンソース・マルチユースの発想で複数の“箱庭”を

 Yahoo!ニュースやスマートニュースのことをプラットフォーム型ネットメディアと言いましたが、新聞社などが提供する記事群(データベース)の中から選んで発信しているという意味でキュレーションメディアだとも言えます。その発想を、朝デジの中に持ち込んでみたらどうでしょうか。つまり、今の総合的な朝デジサイトのほかに、複数の編集長を起用して、それぞれおおもとの記事群から再編集して発信するキュレーションメディアを作るのです。これも一種のプレイリストであり、箱庭です。これらの編集長や編集者として“中の人”を起用すれば、古い記事も当然検索できます(下図)。

 下記はつたない例ですが。

調査報道“再発見”  問題意識、時代背景、今に通じる要素、担当記者の証言
論をつなぐ 識者の論・時評、投書、書評、映画評などを横断的に見て
人 あのとき、このとき 足跡を記事でたどる 例:坂本龍一、大江健三郎
特派員の目 海外特派員や支局記者(=地域特派員)から見える地域と人
ウォッチ・ネット社会 デジタルメディア、DX、AI、メタバースなどの社会や生活へのかかわり

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関心を狭めるパーソナライズでなく、視野を広げるパーソナライズを

 放送大学教授の松原隆一郎さん(社会経済学者)によると、1858年生まれの社会学者G・ジンメルは『貨幣の哲学』という本の「Ⅰ 分析篇」で、「欲求はあらかじめ自分の中にあるのではなく、また価値ももともと商品の中に存在するのではなく、我々は商品に接し、それとの『距離』を感じたときに欲求を形成する」と言っています(松原隆一郎『消費資本主義のゆくえ――コンビニから見た日本経済』2000年、ちくま新書)。消費者が合理的に選択する個人であるという前提を置いてきた伝統的マクロ経済学と異なり、行動経済学やマーケティング論では、ジンメル的消費者像が主流となっています。

 たとえば、ポケモンというゲームがまだないときに、どんなゲームが欲しいかと質問して答えられた人はまずいないでしょう。「これがポケモンというものです。やってみませんか?」と見せられて初めて欲求がわくものです。

 ニュース記事も同じではないでしょうか? 発表統計には信号のない交差点での事故の多くが入ってないのでは? などということに、あらかじめ注目していた人は少ないでしょう。具体的に見せられて初めてこれは知るべき重要な記事だという感想が生まれてくるわけです。

 自分にとって得意な分野とか、特に関心を持っている分野や株価情報などの実利的な関心分野は別ですが、一般に、ニュースについてはむしろ、ハッとさせられ気持ちが揺さぶられたり、目を見開かされたりすることに価値があるでしょう。

 フィルターバブルを助長するパーソナライズよりも、視野を広げてくれるパーソナライズの発達を期待します。なお、AIを用いて、表層の関心事でなく、深層の価値観にアプローチするパーソナライズが登場してきそうなのをどう受けとめるかという課題がありそうです。

記者と読者がつながるPodcast

 私は昨年9月、朝日新聞東京本社内で行われた「PODCAST MEETING 2022」に参加しました。新聞社のPodcastとして先行する「朝日新聞Podcast」(2020年5月開始)を率いる神田大介さんが中心になって企画したものです。ユニークなのは、他社のPodcast(Voicyを含む)のパーソナリティも呼ばれて参加していたことです。日頃よく聞いている朝日の神田さん(「ニュースの現場から」と「MEDIA TALK」)と毎日の菅野蘭さん(「今夜、BluePostで」)に直接会えてうれしいことでした。

 その他、東京、読売、神戸、中国、沖縄タイムスの人が参加していました。まだ歴史が浅いし、知名度も低く、試行錯誤を続けているということもあって、お互い競合会社ですが、パイオニア同士の率直な交流に好感が持てました。聴取者数や再生数をかせぐのなら、猫とかラーメンの番組にするという道もあると思われるのに、みなさん、新聞社として報道を大事にするんだというニュアンスを感じてうれしく思いました。

 Podcastでは、パーソナリティが社内の記者をゲストとして呼んで話を聞くというスタイルが多いですが、いずれも会社の特性というよりも肉声を通して記者の個性や人間味が伝わってきて、新聞の作り手への親しみや共感がわいてきます。記者個人が前面に出て、一種のファンクラブが形成されるマーケティングとしての意義が大きいと言えましょう。気になるのは、朝日や読売はデジタル版でPodcastの案内がなかなか目に入らないことです。毎日は「連載」のタブの中にバナーが用意されています。

定着したオンラインイベント メタバースにも期待

 一方、声だけのPodcastに対して、顔も出すオンラインのトークイベントは、社によって力の入れ方に差がありますが、コロナ禍も追い風となって、すっかり定着しました。Podcastと同様、記者と読者をつなぐ意義を実感します。朝デジでは「記者イベント」、毎デジでは「オンラインイベント」という名称でウェブのトップページに表示されています。日経電子版は「NIKKEI LIVE」です。

 近い将来、話題のメタバースを利用することも、新聞と読者や取材対象者との対話・コミュニケーションを実現する方法として役立つでしょう。メタバースは、VR(ヴァーチャルリアリティ)技術により、ウェブ上の場を設定して、人を模したアバターを通じてお互いに交流できるシステムです。顔を出しにくい事情がある人について、アバターで参加してもらうという方法が考えられます。たとえば、記事で取り上げた、入管に送還される恐れを抱いている人たちの座談会ないしインタビューというようなケースがあるでしょう。

紙とデジタルの連携を

 最近、NHKのニュースなどを見ていると、「詳しくは右上のQRコードで」というような案内がよくあります。NHKは放送とは別に、ウェブでのテキスト情報の充実をはかっています。そして、テレビの画面に表示されるQRコードがウェブへの誘導路(インデックス)となっています。

 新聞のデジタル版に関して同じように考えると、紙の新聞にQRコードをもっと豊富に入れて、デジタル版への誘導路とすることが考えられます。典型的には、記事はそれぞれ短く、その詳細や動画などはQRコードを頼りにデジタル版で見るというイメージが想定されます(QRコードだらけの新聞というのが美的にどうかという問題はありそうですが……)。いずれにせよ、紙の新聞はいずれ消えると決めつけ、デジタル版を無関係のものとして位置づけるのでなく、紙とデジタルを連携ないし統合する発想で、読者にとってのメディア環境の豊かな未来像を、どう描くかという考え方を示してもらいたいものです。

大画面やVRで視界を広く

 家庭内共同利用メディアの役割を果たしてきた紙の新聞の効果として、家族同士で共有できるというよさがありました。子供にとって、新聞の中身までは読まなくても、1面に坂本龍一さん死去というニュースが載っているのが目に入ると、「それ誰?」という会話が発生する可能性があります。デモンストレーション効果とも言えます。それがスマホやパソコンで読む個人メディアの位置づけになっていくと共有がしにくくなってしまいました。

 私が日頃新聞のデジタル版を見るのは、パソコンにつないだ31.5インチのディスプレイかスマホを通してです。特に、記事の写真や動画を大型画面で見るのはたいへん迫力があります。もちろん紙面ビューアーを見るのにも重宝しています。今度買い換えるときは、もっと大きなディスプレイにしたいと思っています。家族の集まる居間に50-60インチのサイズを置いて新聞のデジタル版を見れば、デモ効果がよみがえるかもしれません。

拡大デスクトップPC+31.5インチモニター、ノートPC、タブレット、スマートフォンで見る朝日新聞デジタルトップページ=2022年8月、筆者撮影

 

 スマホはいまや必需品ですが、すべて小さな画面ですませるのは認識の世界が狭くなると思います。やはり大きな画面で見る方がよい場合があります。たとえば、メガネ型のVR(ヴァーチャルリアリティ)端末を用いて、どこにいても、また大型のディスプレイがなくても大画面を見られるようになる可能性があるとのことなので、期待したいところです。

 ついでながら、スマホは個々の記事を読むにはあまり問題ありません。文庫本と同じと思えば不思議ではないでしょう。数千字の長い記事でも、おもしろければ問題なく読めます。小説と同様、レイアウトに依存しないストーリーはスマホに向いています。

(続く)

 

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