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デジタル時代のメディア、特に新聞社に期待すること(上)<論座から再録>

2023.04.27 Thu
 【はじめに】朝日新聞の「論座」サイトが2023年4月25日をもって更新を終了しました。これ以後、これまでに掲載された論考は、筆者が自由に転載してよいとのことです。私は論座で2020年以来6本書いてきました。そこで、このあと、本サイトに転載させていただきます。論座の有料会員でなかった方にも読んでいただけるのはうれしいことです。まず、最新の論を3回に分けて掲載します。
 
 インターネット元年と呼ばれたのは、Windows95が登場したのと同じ1995年でした。それから30年近くが経つ現在は、個人でも発信できるようになり、双方向コミュニケーションを可能にしたSNSが身近になり、“身体密着端末”スマートフォン(スマホ)が爆発的に普及するという変化を遂げてきています。メタバースやAIの進歩が大きな話題となって、メディアへの影響も不可避と言われる昨今です。
 しかし、かつて週刊「朝日ジャーナル」が表紙に掲げていたように、どのような時代になっても報道や解説、評論は必要です。そのためには、取材をきちんとできるメディアが持続的に活動できることが求められます。論座が終了となるこの機会に、ニュースメディア、特に「取材するメディア」の代表選手である新聞がデジタルでどう価値を作るかという観点で、これまでの論座での私自身の論述を振り返りつつ述べてみます。
*以下で、単に新聞と言う場合、紙の新聞とデジタル版(電子版)共に含みます。
 
「朝日ジャーナル」(1976年9月17日号)の表紙。報道、解説、評論と毎号銘打っていた=筆者撮影

空白の時間を恐れるスマホライフ

 近著『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本で評判の若き哲学者谷川嘉浩さんの言っていることに私は共感します。すなわち、私たちは、何もしない空白の時間ができるのを恐れ、忙しくすることで自分を満足させているのではないか。また、常時接続のもと、アテンションエコノミー(人々の関心や注目が価値を生む経済)とスマホにより反射的コミュニケーションを積み重ねて、注意の分散をもたらしているのではないかという指摘です。
 職業として最も精神集中の時間を必要としている谷川さんは、それでもSNSをおおいに利用する道を選んでいますし、スマホ断ちやツイッター断ちを勧めているわけではありません。私はと言えば、SNSのうち、ツイッターは、通常フォローしている人の発言を見るだけです。相対的に落ち着いているFacebookを中心に利用しています。

紙の新聞は落ち着きある“箱庭”メディア

 私は、特にインターネットの普及とスマホの台頭以後、「落ち着いたメディア環境」の実現を社会的課題として意識してきました。ふと、インターネットなどない、(紙の)新聞のページをゆっくりめくって過ごしていた頃のことを思い出します。旅行や出張に数日間出かけたときなど、帰ってから、たまった新聞のページを全部めくりました。見出しを眺め、いくつかの記事を選んで読むことによって正常な生活に戻ったような気がしました。
 かつてお世話になったIさん(元大学教授、社会学)が、論座の私の文章を読んで、こんな感想をくださいました。
 
 退職して、在宅が多くなって、新聞の読み方が変わりました。忙しくしていた時は、テレビで見て、また同じニュースを新聞で目にして、こんなことでは、新聞は太刀打ちできないと思っていました。しかし、今はその見方が変わりました。
新聞の「総合一覧性」という特徴です。時間がありますから、ゆっくりとページを繰ります。勿論、広告も含めて見ます。政治・経済から社会、スポーツ、エンタメ、4コマ漫画、時事川柳、小さな風刺コラム、書評、人生相談等々。「人生相談」などからは、時代の変化がよく読み取れるのも面白いです。
この新聞の「総合一覧性」は、日本の新聞が築いてきた伝統で、もっと評価し、大事にすべきことかと思います。テレビも出来ないし、スマホの小さな画面では絶対実現できない特徴です(一部字句修正および省略)
 
 私は、新しい技術による新しいメディアのあり方を受け入れる立場です。紙に拘泥せず、デジタルメディアにおおいに期待しています。しかし、その際に、紙の新聞のよさ(紙面文化)をすべて忘れて捨て去ってしまうことには反対です。Iさんが指摘している、箱庭のように範囲の決まった中に大小のさまざまな分野の記事を割り付けて編集すること(総合性)やページごとの“眺め”のよさを大事にすること(一覧性)はその代表です。いわばニュースをほどよく並べた“箱庭”を眺めることによって、社会の今と最低限つながって、社会の断面を感じ取ったかつての私の感覚は忘れたくないのです。

ニュースにたどりつく多元的経路

 ところで、現在、若い層ほど紙の新聞とは無縁になって、スマホの画面を通じて、人によりさまざまな経路からニュースを見ています。たとえば、ツイッターで、フォローしている人がリンク紹介しているニュースをクリックしたり、LINEのやりとりをしている人が紹介する記事を見たりする場合もあるでしょう。
 無料のニュースアプリを入れている人は、そのタイトル(見出し)をざっとチェックしたり、ときに本文も開いたり、また、YouTubeでチャンネル登録をしている番組で動画のニュースを見たりというように、現代の人々がニュースにたどりつく経路は多元的です。ただし、ひとりの人が、多元行動をしているとは限りません。いずれにせよ若い層ほど、箱庭は遠い存在で、そこではアジェンダセッティング(課題設定)という概念も影が薄くなっています。
 新聞の側から見た場合、読者が自社のデジタル版にまでたどりつく場合と、Yahoo!ニュースやLINEニュース、スマートニュースなどのアプリないしサイトで止まってしまう場合があります。後者のサイトは、新聞の立場から見ると、メディアというより記事配信先のプラットフォームですが、読者から見れば、朝日新聞デジタルもYahoo!ニュースも同列に並ぶメディアです。ここでは、あまたあるネットメディアと区別して、プラットフォーム型ネットメディアと呼ぶことにします。
 ニュース報道という観点でユーザーから見れば、新聞(紙・デジタル)、テレビ、プラットフォーム型ネットメディアが3大マスメディアと言えそうです。新聞とテレビは、広汎な取材網を持ち、取材記者をたくさん擁しています。新聞は、ニュースへのアクセス経路が多元化し、箱庭感覚なくニュースがバラバラに“浮遊”する中で、存在感を持ち続けられるのか、ブランドを保持していけるのかが気になります。このようなメディア構造は、組織(会社)のブランディングよりも記者個人のブランディングを強める可能性を秘めています。組織(会社)は“タレント”である記者個人を前面に出して盛り立てていく役割が大きくなりそうです(下図)。

デジタル=立体の特性を生かして独自の存在価値を

 新聞は、上で述べた多元的メディア構造の中で、無料のプラットフォーム型メディアと差別化できるのでしょうか?以前、私は、新聞のデジタル版は従来からの紙の新聞と対比して、「平面」だったのが「立体」になったと言いました。少々誤解を招いたのは「文章の表現が平板なので、もっと立体的に」というような使い方の立体と取られた向きもあった点です。私の言う立体とは、1日で古新聞と化す紙の新聞との対比で、デジタル版が「量的」、「時間的」、「機能的」な制約が非常に少ないという意味で立体であるということです(下図)。

 量的、時間的、機能的な制約の少ない立体だということは、立体の中身は自由自在に作れるということです。最新の記事だけでなく、どんどんたまる過去記事も読める対象となりますし、アクセスできる記事の量も膨大です。時間については、過去まで簡単にたどれます。

 本格的な有料デジタル版として日経電子版(2010年開設)や朝日新聞デジタル(2011年、以下朝デジ)が登場して10年以上経ちます。2015年にはデジタル毎日(後に「毎日新聞デジタル」に改称。以下「毎デジ」)が続きました。これらは、紙の新聞の大半の記事に加え、デジタル独自の記事が豊富に載っていて、企画モノや連載モノなどをストックした“箱”も並べられています。紙面ビューアーで、各本社や地方版の紙面そのものも見られます(朝デジはいちばん長く、過去90日分)。2019年には読売新聞オンラインも始まりましたが、読売は、一部の無料記事は別として、紙の新聞の購読が必要です。いずれにしても、それぞれ年々工夫を重ね、使いやすくなっています。

デジタル時代の組織ジャーナリズムとして評価された「見えない交差点」

 デジタルならではの機能を生かし、表現の幅も広げた記事の典型例として、朝デジが2022年の春に公開した「見えない交差点」を以前とりあげました。それがこのほどJIMA(インターネットメディア協会)の「Internet Media Awards 2023」のグランプリに選ばれました。この記事は、「取材するメディア」として組織ジャーナリズムの本領を発揮し、かつデータ解析、ビジュアル表現、地点別閲覧機能など、記者チームの努力でデジタルの特性をうまく生かしました。そしてそれら全体の編集力という点もあります。この記事は、今読んでも社会的意義の大きい、時宜にかなった組織ジャーナリズムの報道だと言えます。

 関西学院大学准教授の稲増一憲さん(社会心理学)は、近著『マスメディアとは何か 「影響力」の正体』(中公新書)で、「マスメディアが果たすべき役割は『人々が見るべき情報をなるべく多くの人に等しく届ける』ことである」と、依然としてマスメディア(新聞やテレビ)による役割の大きいことを述べています。その際、この例のように、発表ジャーナリズムを超えた報道をおおいに期待したいものです。

ストックのフロー化という発想

 立体では、当然、平面とは異なる編集やデザインの勝負になります。そこでは一様・単純には定まらない読者にとっての“歩き方”(見回り方)、すなわち記事や筆者との出会い方が課題となるということも以前述べました。この点は今なお発展途上という感があります。

 デジタル版は、大きく分けると、フローのニュースライン(逐次追加していくニュースラインナップ)とストックの連載や特集のボックス群という構成になっています。特に朝デジや毎デジは、フローの方も、最近は速報的なニュース(ストレートニュース)よりも、時事話題的な“スローニュース”がかなりの部分を占めるようになってきています。

 立体の特性のひとつ、時間的制約が無いというのは、いつでも新しい記事が載せられるということだけでなく、過去の記事もストックとして載せておけるということです。デジタルによる立体は、大きなストックだとも言えます。ですから「見えない交差点」を今でも見ることができるというのはとてもありがたいことです。ただし、あえて検索機能を使わずに探してみたところ、PCでもスマホでも、同じ大きさ、同じ形の箱(サムネイルというのでしょうか)がずらりとたくさん並んでいる中から探すというのは少々手間でした。

 たとえば、JIMAのグランプリを取ったことを機に、目立つところに特出ししてもよかったのではないでしょうか。いわば、ストックのフロー化です。ストックはただ保存しておいても、明確な目的があって検索する以外は、あまり目が向けられません。それは、映画や音楽、本などの世界と同様です。たとえば、映画で言えば、小津安二郎特集といった“演出”でフロー化するといったことがよく行われています。(続く)

 
 
 
 

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