レバノンワインの映画を観てワインを愉しむ
レバノンというと、長く続く戦乱で荒廃した国、首都は「中東のパリ」と呼ばれたベイルート、カルロス・ゴーンの逃亡先というイメージが浮かんできます。ところが、レバノンはワインの産地でもあったことがわかるのがこの映画『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』(マーク・ジョンストン、マーク・ライアン監督、ユナイテッドピープル配給、11月18日から一般公開)です。
映画は、フェニキアと呼ばれた時代からのワインの歴史、1975年から1990年まで続いたレバノン内戦やその後のイスラエルによる攻撃など戦争の歴史を織り交ぜながら、レバノンの何人ものワイン醸造家(ワインメーカー)を登場させ、「戦争とワイン」(映画の原題も”WINE and WAR”)を語らせています。
過酷な状況を経験したなかで絞り出された醸造家たちの言葉は、荒地で育ったブドウから生まれたワインが濃厚な味わいと香りを醸し出すのと似ていると思いました。映画で語られるワインメーカーの言葉をいくつか書き写してみると――。
「爆弾が落ちるたびにワインをひと口飲んだ。そして気付いた。⼈⽣もゆっくり味わうべきだと」(セルジュ・ホシャール=シャトー・ミュザール、下の写真左)
「戦地でできたワインほど強いワインはない。命と再⽣の産物だからだ。ボトルに詰められた ただの商品ではなく、ひとつの魂だ」(サミー・ゴスン=マサヤ)
「戦争中も前向きに生きるべきだと思う。その考え方はレバノンの文化に色濃く染み付いている」(ラムジー・ゴスン=マサヤ、下の写真右)
セルジュ・ホシャールさんはシャトー・ミュザールの2代目で、内戦中は戦乱をものともせずレバノンワインを世界に売り込み、「レバノンワインの父」と呼ばれたそうです。映画では重厚ながら甘味もあるカベルネ・ソーヴィニヨンのような語りをしていたホシャールさんは、残念ながら2014年に亡くなったそうです。
マサヤを営むサミー&ラムジー・ゴスン兄弟は内戦の勃発で家を追われましたが、1990年に内戦が終わると、家と土地を取り戻し、父親が内戦前に入手したブドウ園を再興し、ワインの醸造を始めました。2006年にはヒスボラとイスラエル、2018年にはレバノン軍とISISの戦闘がブドウの収穫期に起きましたが、そのはざまで収穫を続けたといいます。
ほかにもたくさんのワイン醸造家がこの映画には登場します。彼らは戦争という非日常にあっても、ワイン造りという日常を続けることにこだわっているように思えました。戦争ごときで、ワイン造りを壊されてなるものか、というレバノンのワイン醸造家の誇りと意地があるのでしょう。日常を維持することが戦争への抗議のように思えてなりません。
考えてみれば、これはレバノンのワイン造りに限った話ではないと思います。いま、ウクライナ全土は、ロシアによるミサイル攻撃にさらされています。電力や水道、ショッピングモールなど人々の生活に欠かせない生活インフラを破壊することで、国民の戦意を挫くのがプーチンの狙いだと見られています。第2次大戦中のドイツ・ドレスデン空襲や東京空襲などの「戦略爆撃」と同じ目的です。ウクライナの人々は、停電が常態化するなかで黙々と日常の仕事や生活を続けることで、ロシアの「戦略的な意図」をはねのけているのだと思います。
登場するレバノンのワイナリーは、1857年創業というクサラのような老舗もあるのですが、シャトー・ミュザールは1930年、マサヤの再興は1992年など、ワイナリーとしては新しいように思えます。それには、レバノンの歴史が関係しています。
約8000年前にコーカサス地方や中東で始まったとされるワイン醸造は、フェニキア人による地中海貿易で欧州に伝播されました。レバノンはワイン造りと交易の原点ともいえる地域で、ベッカー高原にある古代遺跡バールベックには2~3世紀に建てられたワインの神バッカスの神殿があるほどです。しかし、ローマ帝国が衰えるにつれて、飲酒を禁じるイスラム教の影響が強まり、15世紀からはオスマン帝国の支配下に入ったこともあり、ワイン造りはキリスト教会などに限られました。ワイン産地としてのレバノンが忘れられたのです。(映画に映されたバッカス神殿)
第1次大戦でオスマン帝国が崩壊すると、この地域はフランスの統治下に入り、ブドウ栽培に適したベッカー高原でのワイン醸造も盛んになりました。レバノンワインはフランス風だといわれる由縁でもあります。レバノンが独立したのは第2次大戦中で、戦後は、ベイルートを中心に金融や観光などの経済が発達しました。しかし、イスラム教住民とキリスト教住民との対立から内戦が勃発、シリアの進駐、イスラエルの侵攻などによって混乱が続き、その間に多くのワイナリーが消えていきました。(下の写真は映画に登場するブドウ畑)
こうした歴史をみれば、「戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン」というこの映画の邦題も、なるほどということになります。それにしても、「戦地であるこの地域で造るワインには、どこか他のワインより魂が込められている」(サミー・ゴスン)とまで言われると、レバノンワインを飲みたくなります。日本でも販売されているのかとネット通販をみると、ちゃんと輸入されていたので、映画の主役ともいえるセルジュ・ホシャールさんのシャトー・ミュザールの赤ワイン「アナ」を買いました。アナはベッカー高原の地名、ここで収穫されたブドウということでしょう。
早速、飲んでみました。ワイン通ではありませんから、適切な表現はできませんが、渋みの強い濃厚なワインで、喉越しにワインの香りがぱっと広がりました。ワインのラベルには「赤ベリー、スパイス、紅茶の葉とバニラのタッチの濃厚な風味と香り」とあり、そう言われてみれば、ラズベリーの香りがしたような…。
ワインの味覚を決める大きな要素は、収穫されるブドウ畑の土壌や気象条件などの環境であり、これをテロアールと呼ぶそうで、最近では、日本酒でもこの言葉が使われるようになりました。ワインでなぜ、このテロアールが大事なのか、ワイン醸造家の塚本俊彦さん(1931~2019)の『ワインの愉しみ』(NTT出版)に次のような解説がありました。
「ブドウは、言ってみれば、荒れ地に育つ植物だ。(中略)わかりやすく言えば、ハングリーなのだ。人間でも、ハングリーな人は懸命に努力して多くのことを吸収しようとするので、人一倍、周囲のことに敏感になるように、恵まれない環境のなかでけなげにミネラルを吸収したり酸や糖を合成したりして育っているブドウも、環境の特徴を鋭敏に反映するのではあるまいか」
レバノンワインのテロアールには、ベッカー高原の気候風土のうえに、戦争にめげない醸造家の執念という霊気が加わっているのかもしれません。そして、この「気」が飲む人の味覚に伝わるためには、ワインを開けた人がレバノンのワイン造りの物語を語る必要があります。
前掲書の著者、塚本さんは山梨県でワイナリーを経営する一方、国際ワインコンクールの審査員としても活躍しました。以前、塚本さんにお会いしたときに、ワインにまつわるいろいろな物語とともに、自宅のワインセラーを見せていただいたことがあります。ハレー彗星が現れる年は良いワインができるという言い伝えがあるそうで、これは前回、これは前々回と、古いワインが貯蔵されていたのには驚きました。塚本さんならレバノンワインをどう評価するのだろうか、と思いながら、『ワインの愉しみ』を読んでいたら、ワインを語る詩の一節が紹介されていました。アイルランドの詩人、トーマス・ムーア(1779~1852)の「春と秋」という詩です。
たとえ若さが人に愛とバラを与えてしまおうと、
年齢はまだ私たちに友とワインを残していてくれる
(トーマス・ムーア「春と秋」)
原文は下記の通りです。青春は恋とバラ、老いた白秋は友とワイン、そうあれば、人生楽しからずやですね。
What tho’ youth gave love and roses,
Age still leaves us friends and wine.
(文中の写真は、すべてユナイテッドピープル提供)
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こんにちは。この映画見てみたいと思いました。
アフガニスタンで戦火で燃やされ黒焦げになったのに、また芽吹いたブドウの芽の写真を見たことがあります。ある人が「ブドウはとてもしたたかな生き物だ」といっていました。今、私たちはブドウやワインを見習わないといけないのかもしれないですね。
吉祥寺のアップリンクは近いので、行ってみます。