映画『「生きる」~大川小学校 津波裁判を闘ったひとたち』 を見る
この映画は、東日本大震災で74人の児童が犠牲になった大川小学校の遺族のなかで、裁判による事実究明という道を選んだ人たちを追った寺田和弘監督のドキュメンタリーです。私は日本記者クラブの試写会で見たのですが、貴重な記録映像も多く、大川小の裁判が投げかけた子どもたちの安全と責任を考えるうえで必見の映画だと思いました。
なかでも、大川小で勤務していた教員のなかでただひとり生き残った教員の映像は、貴重というか重要なものだと思いました。というのは、この教員は、映像が記録された2011年4月9日の第1回遺族説明会をのぞいて、公式の場で一切発言をしていないからです。説明会は非公開でしたから、メディアも会場の映像は報じられませんでした。教員は、話の途中で教員が泣き崩れる場面もありましたが、次のような説明をしました。
「山の斜面で倒木にはさまれたときに津波をかぶり、助からないと思ったが、波のせいか体が軽くなった。斜面の上を見たら、3年生の男子児童がいたので、この子を助けようと、子どもを押し上げるようにして斜面を登った」
「(津波に襲われる前)子どもたちは校庭に座っていたが、パニックになって吐いたり、泣いたりする子どもがいたので、先生たちは落ち着かせようとしていた。寒がっている子どももいたので、教室からジャンパーや上靴を取りに行かせた」
生々しい証言ですが、遺族が聞きたかったのは、校舎から非難した子どもたちが校庭で50分も待機させられたあと、なぜ校庭から数分の裏山に避難せず、津波が押し寄せた「三角地帯」という場所に避難しようとしたのか、ということでした。説明会で教員からは、その明確な説明はありませんでした。
その後に開かれた説明会でも、遺族は事実を究明しようとしましたが、市側の説明は、「山に逃げよう」と言った子どもがいたのかどうかで二転三転したり、震災後に生存教員から校長に流した報告のメールを校長が削除していたりしたことが明らかになりました。映像はこうした場面を追いながら、遺族の市に対する不信感が高まっていく様子を映しています。
また、2011年6月4日に開かれた2回目の遺族への説明会で石巻市長が「自分の子どもが亡くなったとしたら、自然災害の宿命」と発言し、遺族から「宿命とは何だ」と怒りの声が出る場面も映像は捉えています。学校管理下の児童の災害としては戦後最大といわれる大川小の遺族説明会で、市立学校の最高責任者である市長が自らの責任を棚上げにして「災害の宿命」と言えば、遺族が怒るのは当然でしょう。
遺族側が「事実解明には法的手段しかない」という思いを強くさせることになったのは、2014年2月に公表された大川小学校事故検証報告書でした。2013年2月に発足した事故検証委員会は9回の委員会を開催して報告書を作成しました。しかし、児童が待機する校庭で、教員間でどんな協議がなされ、なぜ裏山への避難の選択ができなかったのか、断片的な情報を集めただけに終わりました。「遺族に寄り添う」と言いながら、事実究明という遺族の期待に応える内容にはならなかったわけで、報告書の説明を受けた遺族が「法的手段」を口にする場面もでてきます。
遺族が2014年3月に宮城県と石巻市に対して起こした損害賠償を求める裁判で、2016年10月の仙台地裁判決は引率していた教員に責任があるとして、2018年4月の仙台高裁判決は事前の防災マニュアルの不備など学校組織全体に過失があるとして、いずれも原告の勝訴としました。最高裁も2019年10月に石巻市と宮城県の上告を棄却、高裁判決が確定しました。
裁判は遺族側の勝訴になりましたが、この映画を見て、裁判を起こした遺族が求めていたものは、学校の責任追及というよりも、自分たちの子どもがどんな状態で校庭に留め置かれ、最後は近くに移動する途中でどのようにして大津波に巻き込まれたのかを知りたい、ということだったのがわかりました。遺族への説明会、検証報告書などが事実の究明という点で、遺族の願いに応えるものであったなら、おそらく裁判はなかったのではないかと思います。
震災から2カ月後、私は遺族のひとりに会う機会がありました。そのときに、学校の管理責任を追及しますかと尋ねたら、「そんな気持ちはない」と語っていました。その人が原告に加わったことを考えると、その後の市側の説明が遺族を納得させるものではなかったのでしょう。
裁判を起こした遺族には「保証金目当て」という心ない言葉も投げつけられたようですが、弁護団を含め遺族のなかで勝てるという自信を持っている人はいなかったと思います。大津波は想定外という壁を乗り越えて、法的責任を問うことは簡単ではないと思われたからです。現地の事情にも詳しい知人の弁護士は、「たとえ地裁で市・県側が敗訴しても、高裁ではひっくり返る」と予想していました。地裁と高裁で、市・県側の責任の内容が異なった(地裁は教員の責任、高裁は組織の責任)のは、それだけ判断が難しかったことを示しています。また、高裁判決から最高裁の棄却まで1年半もかかったのは、最高裁も判断に苦しんだ証拠だと思います。
最高裁の判断で確定した高裁判決は、避難マニュアルの不整備など市教委を含めた「組織的過失」があったと認め、亡くなった23人の子どもの遺族に総額14億円余の賠償金を支払うように命じました。裁判はこれで決着したのですが、市や県は、この判決で責任を痛感したとは思えないのです。もし、市や県が組織的過失を認め、反省するのなら、裁判に加わらなかった51人の子どもの遺族への償いも考えるべきだと思うからです。
民法上の時効も過ぎていますから、もはやほかの遺族が訴訟を起こすことはできません。もちろん賠償は原告が裁判で勝ち得たものですから、同額の賠償金をほかの遺族に支払うべきだとは思いません。しかし、市と県が過失を認めるなら、たとえば「見舞金」といった償い金を、裁判所ではなく政治の責任で行うべきだったと思います。そんなゆとりはない、というのが市の県の言い分でしょうが、遺族がすべて裁判に加わっていたら、さらに30億円の賠償金を支払わなければならなかったと考えることもできます。これは映画には関係のない話ですが、行政の責任は裁判所が下しましたが、政治の責任はないがしろにされたままだと私は思います。
なお、私が見た映画は試写の段階で、映画は4月に完成予定です。寺田和弘監督によると、東京や東北の劇場から上映を検討したい、との反応があるとのことです。一般上映の際には、あらためて完成版を見ようと思います。(下の写真は映画のチラシ)
(冒頭の映像は、映画の制作会社から提供された大川小学校の夜景。©PAONETWORK)
この記事のコメント
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コメントする立場でないと言えばそうかもしれませんが、誰にでも降りかかる出来事だと思います。それにしても教育現場で起きているゆがみが、ここでも同じ理屈で責任逃れをしようとする教員が居る事に、驚きを隠せません。命の価値やらを説く気はありませんが、この国から正直さはどんどん失われてます、確実に。被害者かそうでないかでその辺りは変わらないでしょう。たまたま被害者の立場になった、でも本質は変わらないはずと思います。行政が本来は相談の窓口にもなると思いますがこの場合は適役にもなるのでしょうかね。であれば司法の場で見方は誰なんでしょうか。何を言いたいかと言えば、結局真相には蓋をしたままなのですよね。遠くから眺めていただけの人間ですが、行政の不作為という事が、根っこにあると思います、国民から始まり政治家へ官僚へ、この国は変えられないでしょう。自分の周りを一生懸命に守る以外は無いですよね、その中で幸せを求めるしかない、それ以上に世界を求めても無駄だ思います。映画を見る事は出来ないでしょうか。
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完成版の『生きる』が2023年2月18日から、新宿K’s cinemaほか全国順次公開されることになりました。完成版の試写も見ましたが、字幕が入り、発言がわかりやすくなりました。主題歌(歌:廣瀬奏)もすばらしいです。
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大災害時に咄嗟に判断することの難しさ。結局は歴代語り継ぐほかないでしょう。