橋本聖子氏はゲームチェンジャーか
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の「女性蔑視発言」に端を発したオリ・パラ騒動は、森会長の辞任と橋本聖子五輪相の会長就任で、幕引きがはかられることになりました。
橋本新会長の就任会見をライブで見ていましたが、その受け答えは、森発言への批判、自身の過去のスキャンダルへの反省、今後の会長としての女性問題などへの取り組みなど、よどみなく余計な弁明もなく、なかなか見事なものでした。リーダーシップを発揮できる能力のある人だとも思いました。それなら、橋本さんはゲームチェンジャーとして、オリ・パラ開催に対する内外の疑問を一気に払拭するかといえば、そうはならないと思います。
日本国内でも世界でも、新型ウイルスの感染が収束していないなかで、オリ・パラを迎えるという客観情勢に、変化があるわけではないからです。コロナ感染者数は世界的に減少傾向にありますが、それでも1日に30万人を超える感染者数が報告されています。欧州や米国では、英国型と呼ばれる変異ウイルスによる感染が急速に拡大していて、3月中には従来型を凌駕するとの見方も出ています。
いまはウイルスの世代交代の時期で、いったん従来型が減ったあと、感染力が強いとされる英国型の波が世界的に膨らみかけていて、日本でも流行が予想されます。最悪の状態は、このまま予定通りの開催で突っ走ったものの、国内外の感染者が再び増加し、直前になって、観客の制限、さらには中止に追い込まれることです。
こうした事態を避けるには、内外から観客を入れての通常の開催はあきらめて、大幅に観客を制限するか無観客での開催計画をプランBとして提示し、それも難しくなれば中止するというプランCを組織委は示すべきでしょう。内部的にはプランBはあるのでしょうが、事前に公表していれば、想定内の判断と人々は受け止めるのではないでしょうか。
観客のいないオリンピックなんてありえない、という意見も多いと思います。しかし、世界のアスリートが競うというオリンピックの原点に帰れば、無観客というのも排除すべきではないと思います。
開催するかどうか、開催する場合にどんな制限を設けるかは、オリ・パラの実施団体である組織委ではなく、オリ・パラの主催者であり、資金の出し手でもあるIOC(トーマス・バッハ会長)や東京都(小池百合子知事)、日本政府(菅義偉首相)の責任だと思います。納税者にも発言権があるのは当然で、そのためにも選択肢の明示は不可欠です。
ところで、今回の森発言は、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」で、日本が121位という日本の現実を世界に知らせましたが、長老支配という伝統的な支配体制が残っていることも示したのではないでしょうか。森喜朗という長老がスポーツ界や政界の「ドン」として影響力を行使していることです。
JOCの評議員会にいわば来賓として出席した組織委の森会長があいさつで40分も話し、会議の本題であった女性理事をふやす問題について、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と、否定的なコメントをしても、だれも制することができなかったのは、長老支配の典型ではないでしょうか。
小池都知事も菅首相も、森氏とは距離を置いているようですから、オリ・パラの開催をめぐる最終的な判断への森氏の影響力は小さくなるとは思いますが、橋本会長や橋本氏の後任の丸川珠代五輪相を通じての影響力は残ると見るべきでしょう。自分の発言で辞任に追い込まれることになったときも、後任は川淵三郎氏しかいないと精力的に根回しをした森氏ですから、オリ・パラを仕切れるのは自分だという確信から毎日のように橋本氏に電話する光景があっても不思議ではありません。
組織委の会長を固辞していた橋本五輪相を説き伏せたのも森さんだったという報道がありました。事実なら、オリ・パラについえの森氏の確信をさらに補強したかもしれません。橋本新会長の誕生を伝えたニューヨークタイムズ紙(電子版)は、橋本さんを政界に導いたのは森氏だという経歴とともに、「橋本さんは森さんの操り人形」という政治アナリストのコメントを紹介していました。
伝統的な長老支配に代わって近代社会が築いてきたのは、ルールに基づいた合法的、合理的な支配であり、組織の統治(ガバナンス)のありかたや、法令順守(コンプライアンス)が組織運営のありかたとして近年、強調されるようになったのも、合法的支配の進化とみるべきです。
ジェンダーギャップ指数だけでなく、脱長老支配指数でも、今回の事件がゲームチェンジャーになって、後進国を脱するきっかけになってほしいと思います。
(冒頭の写真は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のホームページから取りました)
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