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山崎正和さん追悼 書評(2006年5月)再録

2020.08.21 Fri

山崎正和さんが亡くなりました。私は1997年3月に「自己表現の時代とインターネット」という題で山崎さんに講演を依頼したことがあります。お目にかかったのはそのときだけで、あとは著書を通じてですがずっと私の師だと思ってきました。

かつて「クリエイジ」という独立系のネット書店ががんばっていたことがあります。その代表の西脇隆さんから頼まれて山崎さんの本の書評を書きました。山崎さん追悼の意を込めてここに再録します。(2006年5月発表)

『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』山崎正和著 中央公論新社 2003年3月 中公文庫 2006年5月

東京オリンピックの年(1964年)、私は高校1年生だった。当時、自宅(東京都内)で取っている新聞(朝刊)にはよく「臨時16ページ」と書かれていた。臨時というのだから、通常はもっと薄かったのだろう。今では新聞の朝刊は、たとえば読売や朝日の東京本社版で32ないし36ページが通常だ。日経はたいてい40ページもある。おまけに別刷り、折り込みチラシ、フリーペーパー、DM・・・と毎日家に届けられる紙の量はすさまじい。それに、テレビ、ラジオ、インターネット、携帯、雑誌、書籍といった他のメディアが加わるのである。本で言えば、このところ新書の創刊ラッシュだが、新しい新書の名前などとても全部は覚えていられない。

戦後の高度成長時代を中心に、20世紀は商品の大量生産とその広告を担うマスメディアがセットになって大衆消費社会を実現した。それは、長い人間の歴史の中では、実は例外的に、人々が一元的かつ一方向的にモノや情報を分配された時代だった。現在の情報洪水は、それが行くところまで行きついた状況であると言っていい。皮肉にも、そのような過剰な情報の環境は、個々人の認識と消費のキャパシティを完全に超えてしまっている。個々人はたまたま出会った情報のタコツボに逃げ込むか、いわば情報不感症となり、過剰がゼロに転化するというような状況にある。

山崎正和著「社交する人間」によれば、産業革命とともに世の中が変わって、それまで世間というものの中で顔が見えていたのが見えなくなって、一挙に抽象的なものになってしまったということだ。そして21世紀に入ったいま、かつてのような顔の見える社会(=世間)を取り戻す動きが潮流となっていると言うのである。そのときの最大のキーワードが「社交」である。「人間は社交的動物である」と山崎は言う。

顔の見える社交と言えば、Mixiに代表されるSNS(ソーシャルネットワークサービス)というインターネット上の社交メディアの隆盛を思い浮かべる。Mixiは招待制を取って、知り合いの輪で広がる顔の見える社交場をインターネットの上に作って500万人以上の参加者を集めるに至った。その中には、オフ会と呼ぶ、文字通り顔を合わせる会を開いているグループも多数ある。

インターネットは情報洪水をもたらしているメディアのひとつであるとも言えるが、一方で、通常のウェブサイトからSNSやブログまで、さまざまな形のメディアを上に乗せることのできるインフラであるとも言える。テレビのようなマス映像メディアでさえインターネットには乗せうるのである。

山崎は、確固とした個人があって社交が生まれたのではなく、ルネサンス期を念頭に置いて、社交の中で家の名誉を見せびらかすために自己顕示が台頭して個人主義が発生したと語る。私は、これには新鮮な驚きを抱かずにはいられなかった。

劇作家としての山崎は身体を重視する。顔の見える社会における社交は、必ず演技する精神を伴う。演技は身体あってのものである。ネット内だけの自己表現と社交だけでは完結しない、身体に立ち戻る社交の持つ意味が改めて注目されてこよう。実際、身体の見直しはさまざまな分野で起こっている。たとえば、評判を取った、斎藤孝の「身体感覚を取り戻す」(NHKブックス 2000年8月)はその象徴とも言える。斎藤は日本の20世紀を身体をなおざりにした100年と位置づけ、身体文化の中心軸としての「腰・ハラ文化」に注目した。消費者一般におけるダイエット、ヨガ、フィットネスなどへの傾注にも、単に従来からの健康志向(病気にならないようにする)ということにとどまらない身体への回帰が見てとれる。

私は山崎正和をセミナーの講師に招いたことがある。まだインターネットよりもマルチメディアという言葉が優勢だった頃だ。私は山崎がパソコンもさわったこともない人だと知っていたが、実は世の中でマルチメディアをいちばんわかっている人だという確信のもとに講演を依頼したのである。いままた、山崎こそweb2.0をいちばんわかっている人だと言ってもいいと私は思っている。もしかしたら山崎はweb2.0という言葉を聞いたことさえないかもしれない。ブログも知らないかもしれない。しかし、技術やツールのことではなく、事の本質のことである。山崎正和の「社交する人間」を読み通すのはなかなか骨が折れるが、情報洪水時代のメディア社会を見通すために、あるいはそこでの人間を考えるために、この書は必読書であると言えよう。


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