二万年の地球の旅 仏映画「シーズンズ」の訴えるもの
平成28年(2016)2月
この作品は「まだ間に合う、自然は耐えている。」と訴えています。
美しい映像で、されど迫力ある訴えで迫って来る映画です。製作はフランスで、脚本と監督は同国のジャック・ペラン(Jacques Perrin)、原題はフランス語で「季節」の意、邦題は「シーズンズ」となり、「2万年の地球旅行」という副題を付け、ナレーションは共通日本語と関西弁でした。
凄いのは、どの様に撮ったのだろうと、驚き、圧倒される画面が続く事ですね。そのために、諸科学の研究成果、諸情報、データ、最新装置、諸々のノウハウなどを活かし、非常なる工夫と忍耐を総動員したようです。そして撮影は主にヨーロッパ各地で行われたと見られますが、各シーンが、地球と生命、其処での人間の活動と文明の意味をとつとつと語ります。
映画は物語風に展開、約二万年前の氷河期の頂点の頃から、それが約一万年前に終わって、温暖な地球へと変化し、大森林が繁茂、数千年に及ぶ自然と人類との共存の時代が描かれ、やがて人の農耕が始まって、たくさん木が切られるようになった情景を描出しています。古代エジプトなど文明の創始などは、その後の約五千年前からの出来事で、事は、良く言われる「18世紀後半の産業革命」辺りから始まっているのでは無いことが良く分かります。
因みに、この情報屋台の最近の拙論では、植物の凄さ、ネアンデルタール人の絶滅などと「生命」か関わることを取り上げていますので、本編も、この映画を題材に、「いのちに関わるテーマ」とすることとします。
以下、強く印象に残ったところに絞って記します。この作品自体は、全国各地の映画館で上映が続いている由、御関心のある向きは是非と存じます。
1 氷河期とは?
先ず、この作品を見ようと思い至った分けは、これまで良く分からないで来た「氷河期」について、相応の認識を得るためでした。その結果、大まかながら、大変大事な理解に到達出来たと思います。
この映画は、地球の気候について、「現氷河期が約七万年前に始まり、約二万年前にピークに達し、そして約一万年前に終わって、以降温暖期に入り、大森林期となって行く物語ですよ。」と言う事から、まず説き起こしています。斯くて、この物語は、簡単に言えば、「氷河期が頂点に達して以降、次第に温暖化していく約二万年の時間を追っていく物語の旅です。」と言う流れであることが分かります。だから「二万年の地球旅行」と言う訳です。その前の五万年余に亘る極寒期は、多くの生き物の死滅の時でもありました。
さて、懸かる辺りまでは、私の素人認識にも在ったところです。
2 氷河期が始まり、そして終わる分け
ところが、続く説明には、現氷河期が終わった理由について、「太陽を回る地球の軌道が徐々に変化し、気温が上昇。」と書いてあるのです。これには驚きました。そこで、早速、資料に当たって見ましたところ、太陽を周回する地球の公転軌道は、常に一定しているのでは無く、微妙に動くことがあり、特に地軸の傾きが変化すると言うのです。そこに、太陽との距離も変化する事もあり、それらが加わって、地球が受ける日射量の変化に影響を与えていると申します。斯くて、この変化は、季節に強い影響を与えます。
さくっと言えば、太陽光が地球に差し込む角度の具合がきつくなると、地球の受ける日射が増えて温暖化が進み、その角度がより斜めになれば、日射が減って寒冷化が進行することになるようなのです。
このことが、地球に氷河期が何度もやってきた、最も大きな理由の由です。斯くて、地球を含む太陽系が誕生して約四十六億年という歳月が流れる中、少なくとも四度の大氷河期が到来したと言われます。その内、最大のものは約七億五千年前から七億万年前にかけてのもので、地球は赤道付近まで寒冷化し、全体が凍ってしまって、全球凍結と言われる状態に陥ったと申します。既に生き物は発生していましたから、よくぞ生き残る生命体が居たと思いますが、地球全域が冬となった中、少しの例外を除いて、ほとんどの動植物は死滅したと言われます。そして、このリバウンドというべきか、地球は、約五億年前にカンブリア紀という驚異的な生命大発生の時期を迎えるのです。
斯くて、地球は変化に満ちていて、氷河期も最近の地球史だけで起きたことでは無い事を知りました。
3 事は太陽系から宇宙全体に関わる
更に言うと、地球の公転軌道の揺らぎとは、最近の天文学などの教えるところによれば、宇宙全体の動きが関わっているとの事です。太陽を中心とする太陽系は、自ら属する銀河系の中で動いており、巨大な恒星群から成る島宇宙の銀河系も大きく動いていて、いずれ、アンドロメダ銀河(昔は星雲と習いました。)と静かに交差・衝突すると言いますし、それらを含む大宇宙も膨張していると申します。太陽と地球の関係も、こうした変化・動きの中で生じている分けですから、その中で生ずる地球の氷河期も詰まるところ、宇宙の動きの所産と言う事になりましょう。
4 今は間氷期とも言う
約一万年前に終わった現氷河期のあと、どうなるか?
かくて、現在の地球は、穏やかな、謂わば春のような、氷河期でない時代を過ごしている分けですが、今後どうなるかについては、学説が別れているようです。でも、太陽系を含む宇宙の必然からすれば、次の氷河期がいずれやって来る事は確かなようです。斯くて、現在過ごしている時期は、間氷期とも呼ばれる由です。
ここに言う氷河期の終焉や到来とは、今大いに国際問題となっている炭酸ガス等の増加による地球の温暖化と次元の異なるテーマのようです。
5 オオカミ・イヌなどと、家畜のこと
この作品は、将に素晴らしい場面の連続ですが、その中で特に秀逸と思われるのは、獰猛で、集団行動をとるオオカミと、ヒト(ホモ・サピエンス)とが出逢うところです。前に紹介した「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」という著作と、その時期についての見解は異なりますが、この映画も「オオカミの中から、ヒトに飼い慣らされる者が出て来て、家畜の仲間に入り、犬となったものが居る」と言う点は、同じ見方を取っています。
だが、この映画で描かれている、その時期は、ヒトによる農耕が始まった約九千年前から八千年前の頃でした。
この作品では、仲間との争いに負けたオオカミが、その集団におれなくなり、一頭餌を求めてさすらう場面が登場します。中々、食べ物にありつけず、腹ぺこになったオオカミは、開墾されて畑となった近くのヒトの集落で、独りの原始人の少女と出遭うのです。オオカミと少女は暫く見つめ合います。オオカミは、ヒトの視線が読めるようですが、それがこのシーンで活かされていました。不憫に思った少女は、遂に手にしていた一塊の骨肉を投げて遣ります。オオカミは警戒しつつも、とうとう、これを口にします。オオカミの行動習慣では、仲間から餌をもらうとは、その僕(しもべ)となる事だと言います。かくて、このオオカミは、ヒトの仲間に入れてもらい、やがて飼われることになったのです。
ここは、この作品が描いた決定的な場面と思います。オオカミを家畜化し、イヌにしていった端緒となる象徴的なシーンでしたね。このあと、オオカミがヒトの赤ちゃんの顔を舐める所が出て来ますが、舐めるとは、相手に従順になる事を示す動作と申します。これは今の犬に受け継がれていますね。
それにしても、ヒトは動物を飼い慣らす事をやってのけました。将に彼等を「生きた道具」としたのです。狼・犬に始まり、牛、馬、山羊、羊、豚、猫、鶏、アヒルなどなど・・・・。 道具とは石器や金属機器だけでは無いのです。
なお、鹿は身近にいるのそうならなかったと言いますが、その仲間であるトナカイだけが家畜となっています。現に北海道の幌延では、フィンランドからノウハウを入れ、現物も輸入し、事業とし、更に見学施設も設けられている由です。同地の寒冷な気候が、トナカイの成育に合ったようですね。
6 撮影で、生きた動物を殺傷などしていないと言うタイトルのこと
この作品の終わりで、この6のようなタイトルが表示されます。
ただ、これには疑問を持ちました。なぜなら、寒冷地の森林の王者である、つまり、所謂頂点捕食者であったオオカミが危険な存在と言う事でヒトから追われ、所謂駆除される存在となったことを実示する場面があったからです。オオカミは狙われ、撃たれました。そのシーンは三回あり、斯くて三頭倒されました。オオカミがそんな所を演じられる分けがありませんから、念のため、劇場のスタッフに尋ねました。
すると、同種の事を聞かれていたと見え、「あの場面は既存の映像を組み合わせたCGで作られています。」との説明でした。映画製作も進んだのですね。真実が那辺にあるか、其処は確認出来ませんが、関係者の一覧を見ると、一応納得できると思われます。
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