東京でのボストン美術館至宝展
アメリカ合衆国のハーバード大学の大学院に留学していた折り、勉強などが忙しすぎて、時間が無く、近くに在った、有名なボストン美術館にとうとう行けませんでした。もう五十年程前のことです。惜しいことをしました。
ところが、この7月から東京上野で、同館の五十万点に及ぶコレクションの中から選りすぐった八十点の作品展が行われると言うではありませんか。
古希を過ぎた自分にも、此の国でそんな機会が巡ってきたのかと思い、これは逃すまいと足を運びました。
予想していたとおり、平日でも混んでいました。
それに、外国人の家族連れや、日本の中高生も目立ちましたね。
矢張りと思いました。
聞けば、今回は、東京、神戸、名古屋の各地で開かれ、通算一年ほどの会期になると言います。展示の中には、浮世絵など日本の美術作品も含まれ、里帰りにもなる由、さすれば、東京だけで終わるまいと見たら、案の定、上述の三大都市での開催となっていました。
折角の鑑賞機会でしたので、幾つかの印象を記したいと思います。
「異国を旅したボストニアン」と題した展示コーナーの第一は、
1 古代エジプト美術
でした。
解説に拠れば、かつて、ボストン美術館は御近所のハーバード大学と四十年に亘り現地調査を行った由、それが古代エジプト美術が対象だったとのことで、その成果がまず展示されていました。
其処では、ギザ出土、1925年発掘の「高官マアケルウ偽扉」と題するもの始め、十点ほど置かれていました。
この扉について言うと、古王国の時代の物で、墓の入り口の扉をなし、高さ一メートル半近く、石灰岩が素材の由です。「偽」と呼ばれる所以は、端的に言って実際に開くことが無かったから、つまり扉の機能を果たした事が皆無であったと故と申します。
注目したのは、この扉に絵が掛かれ、其処にいつもの古代エジプト美術に見られる「体は正面 顔は横向き 左右対称」の人物像が向かい合っていた事です。私は、そこに居た係員の人に尋ねました。「古代エジプト美術」で良くこういう姿の絵をを見ますが、これは何という描き方なのですか?」と。
その人は、携帯で電話して、事務局の方に照会してくれました。 暫くして回答が帰ってきて、
曰く、
「多視点描法」という描き方で、「歪曲遠近法」という描写法が用いられている
由です。
前者は複数の視点で画いたと言う意味と思われ,何となく掴めましたが、後者は、何のことか良く分からないままです。
ただ、アルタミラの壁画の描き方も元来そうで、其処では動物の体は横面が画かれ、その頭は正面乃至少しずれた角度から見て画かれていると言うのです。
つまり、事は現世人類の物の見え方、認識に遡ると事のようなのです。
長年の疑問が少し解けて来た感じが在りますが、事は人間と認識の根源に戻るようで、脳髄の発達と経験の集積・所産にまで行き着くようです。
取りあえず、拙理解の一歩前進と致しましょう。
2 チャイナ --- 宋
此のコーナーでは、チャイナの歴史で、良く文化が発達したとされる、「元」前の「宋」の時代が取り上げられていました。唐ではないのです。
ただ、宋の中では、日本でも良く知られる徽宗皇帝などの北宋時代からは一点のみで、後五点は南宋からでした。 徽宗は、自身が優れた文化人でしたものの、統治を丞相に任せきりで、愚帝であったため、北宋の国を遊牧民族の「金」に奪われてしまったと申します。
代わって立てられた、江南中心の南宋からは、陣容の「九龍図鑑」に圧倒されました。
1244年の作品で、龍の動きと表情に豊かさを感じましたね。
3 日本美術
日本は比較的多く十四点に及びましたが、江戸時代に集中していました。これは、ボストン美術館のコレクションが多く、此の時代に関心を寄せたからと思われます。江戸幕末から明治に掛けての動乱期や廃仏毀釈の時代の混乱の中、
日本で多くの美術作品などが失われたり、壊されてしまったところ、ボストン館始め、心ある人々の諸活動が、被害を相当程度防いだことは間違いないようです。
ところで、ここでは「英一蝶」の「涅槃図」と、「喜多川歌麿」の浮世絵の二点に触れたいと思います。
前者は、1713年の江戸中期の大作ですが、釈迦の入滅を描いた巨大な作品です。
解説には「悟りを拓いたところ」と記していますが、それは、うら若き仏陀が菩提樹の下で正覚に至ったところのこと、本来涅槃とは、この解脱の境地を指し、入滅とは違うのですが、いつの間にやら、涅槃は釈迦の寂の事を云うようになったと言われます。
斯くて、此の大作に描かれているのは、人間のみならず、多くの動物や生き物が集い、今将に息を引き取ろうとするお釈迦さまを嘆き、悲しみ、偉大なる覚者に「往かないで」と言っているシーンなのです。
集まっている生き物は、蜘蛛から、蛇、豚に至るまで、何と五十種に及びます。
此処に釈迦の救いと教えが生きとし生けるものの万物に至る事を知ることが出来ます。人間だけでは無いのです。 其処にキリスト教や他宗教との大いなる違いがあることを認識できるのです。
ところで、この大作の中で、注目されるのは、ひとり高弟「阿難」が卒倒している事です。それはサンスクリットの世界で「アアナンダ」と呼ばれた人ですが、釈迦の逝去に驚き、悲しみの余り、気を失ってしまったのでしょう。
他の涅槃図でも、こうした姿が良く描かれている由です。
もう一つ、此処でもと思ったのは、集まった動物の中に虎の夫婦が居て、うち、雌が豹に描かれていることです。 往時、虎は豹とがつがいを成していると信じられていたと申し、それが、この絵にも反映しているのかも知れません。興味あるところです。
4 フランス絵画
展示数で最大のコーナーでした。十九点在りました。 ミレー、コロー、シスレー、モネ、ドガ、ルノワール、クールベ、セザンヌ、ゴッホなど主立った大家の作品が並んでいました。 写真で見たのと違い、これが本物と思わせたのは、モネの「睡蓮」でした。 解説に拠れば、「睡蓮」という題では、全部で四十八作品描かれている由です。
5 アメリカ絵画
このほかには、幾つかのコーナーが在りましたが、そのひとつがアメリカ絵画でした。ここでは、オールトンの「月光」が特に印象に残りました。 彼は、ボストンの出身で、ハーバード大学にて教育を受けた画家です。この月光は千八百年頃の作品で、イタリアのローマやフィレンツェに何度も旅した折りに描いた景色のようです。水海に映る幻想的な月と周りの光景が広がっていて、鑑賞者を澄んだ気持ちにさせます。 実に美しい絵です。
また、現代美術のうち、動画では、サム・ジョンソンの静物がありました。 篭に積まれた果物の山が次第に腐っていく様子をビデオに納めたものです。
見学には三分四十四秒要しました。
変化を実示するには、こういうことになるのでしょうか。
本当に腐るのに懸かった日時はもっと要したことと想像されます。
面白い工夫された展示でしたね。
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