安倍政治への仙台市民の静かな怒り
23日投開票された仙台市長選は、仙台市民である私にとっても驚きの結果でした。当選した郡和子さんは、民主党や民進党の衆議院議員を4期務め、知名度はありますが、衆院選の選挙区で勝てたのは1度だけで、あとは比例での復活当選組みで、決して強い候補ではありません。しかも、今回の市長選では、郡さんが立候補を決める前に、同じ民進党の宮城2区の次期候補者だった林宙紀さんが早々と出馬を表明、民進党の市議も離党して自民党や公明党の推す菅原裕典さんの支持を表明するなど、選挙基盤はガタガタという印象でした。
選挙戦に入ってからも、菅原さんを村井嘉浩知事と奥山恵美子市長が支援を表明しただけではなく、選挙運動でも積極的に応援をしていました。もともと自民党系の村井知事が菅原さんを推すのは当然だとしても、辞任を表明したときには中立だった奥山さんが菅原さんの支持を表明したことは郡さんには痛手だったはずです。舞台装置を見ると、とても郡さんが勝てる選挙ではありませんでした。
選挙期間中も、私の印象では「燃える選挙」という感じはなく、静かな選挙戦だと思いました。郡さんの演説も当初は、市政の話が中心で、国政の安倍政権批判を全面には出していないように思えました。市民が今の政権に怒りを覚えているとしても、市長選がその受け皿になるとは思えませんでした。
ところが、投票箱をあけてみると、郡さんの勝利で、安倍政権への批判が投票に現れたのだとしか思えません。それも、燃える選挙ではなかったので、有権者の深く静かな怒りが込められていたように思います。森友学園ではじまった「お友達政治」に対する国民の疑問は、加計学園のスキャンダルで、疑問は批判に、そして、いまや愛想つかしにまで至ったということでしょう。
もちろん、仙台市民にとって、選挙の争点は、国政の問題だけではありませんでした。仙台では、この3年間に中学生がいじめにからんで自殺しています。この問題に対する市の教育委員会の取り組みが遅いという印象があり、それも市長選での選択に影響したと思います。この問題では、対応の鈍さの責任を取るべき教育長が続投しているため、市民の不評を買っていますが、奥山市長は市役所の要職や教育長を歴任しているため、市長と教育長との仲間意識が続投の背景にあるという思いを多くの市民が抱いていると思います。安倍政権の「お友達政治」に対する郡さん批判は、仙台市民にとっては、いじめ問題に対する奥山市政への対応の鈍さを連想させたのではないかと思います。
日本に限らず、どこの国の政治でも経済でも、コネはありますし、それが力を発揮していることも多いと思います。しかし、森友、加計学園問題での安倍政権の対応は、異常だと思います。お友達政治だと批判されれば、「李下に冠を正さず」で、少なくとも「誤解を与えた」ことを謝罪すべきだったと思いますし、「忖度」した人たちは責任を取って辞職すべきだったと思います。
安倍政権は「1強」の強みを生かして、強引に政策を進める強権政治でしたが、この問題では、強権だけではなく強弁政治であることも示しました。首相が強弁をするせいか、ほかの閣僚も補佐官も、みな「知らぬ存ぜず」の強弁で通しています。加計学園問題では、自らの発言録が出てきても、それは「相手が言ったこと」などという強弁が国民に理解されるはずがありません。
政策についての批判は、ほかの政策が出されることで、評価が好転することもあります。しかし、いったん、内閣の資質についての評価が決まると、もはや大きく好転することはありえないと思います。今回の仙台市長選は、安倍政権の「お友達政治」に対する国民の「愛想つかし」の表明であり、国民はそれをわかってもらうまで、次の選挙も次の次の選挙も、同じ姿勢を示すのではないかと思います。政権は、世論調査の内閣支持率だけではなく、選挙の世界でも「危険水域」に達したということでしょう。
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