「ホモサピエンスなる映像の物語」
実に面白い切り口の映画を鑑賞しました。人類が築いてきた文明を象徴するような施設や構築物を、地球各地を眺めるように撮っているのですが、変わっているのは、そのもの自体ではなく、それが破壊されたり、崩壊した姿を、これでもかとばかりに、いろんな角度や内外・大小に仕分けて映像に納めている事です。
(1) 二十世紀の事物・事象・事件から選ぶ
対象物は、この二十世紀の事物・事象・事件に絞っています。例えば日本では、かつて炭鉱が在った軍艦島や、東日本大震災の被災地の中から、福島県浪江町の津波跡が選ばれています。よって、古い所謂遺跡は含まれていません。
(2) 人物は全く出てきません。
例えば、舞台の幕が動き、少し音がして誰か居るのかなと一瞬思えても、暫くすると、それは一陣の風が吹いたので生じた事が分ります。
(3) 制作国は、オーストリア、ドイツ、スイスの三カ国、だが、・・・。
その共通語と思われる独語はまるで出てきません。かといって、英語はと言うと監督などを英語表示しているだけで、ほとんど出て決ません。と言うのも、台詞やナレーション等がそもそも無いのです。人名などは全てローマ字で表示されていましたが、その中には日本の人名も在りました。
監督は、異才とも形容すべきオーストリア人、「ニコラス・ゲールハルター」で、誰も撮ったことが無いと思われる、かようなタイプの作品を作り出しています。邦題は「人類遺産」となっていましたが、原題は「HOMO SAPIENS」の由、ラテン語で、もともとは「賢い人」の意味と申します。そこには、「実は余り賢くない」と言うニュアンスが込められている印象のところがありました。
なお、決して無声映画では無く、雨音、風の音、雷鳴、鳥の声、虫の鳴き声など、微小音でも鮮やかに録音再現されています。つまり、一種のドキュメンタリーなのです。
(4) 解説無し、ただ映像で語らせる
ゆっくりと対象物の映像が、いろいろと映されていきますが、何の解説も有りません。静かに、対象物が大きくスクリーンに映写されて行くのみです。それが一体何処の何か、知る人ぞ知ると言う事ですが、この映画のブログラムを手にすると、かなりの程度、見当が付きます。概ね三十カ所に達するでしょうか。
最初は、荒れ果てた、巨大な元大ホールの建物が写りますが、それは実は1980年に建てられたブルガリア共産党の大会議場の跡なのです。しかし、それは1989年の東欧解放、共産党体制の終焉、民主化により、管理者の居ない施設と化します。爾来放置されたままま。訪れる人とてない其処は、コンクリートむきだしの外壁があり、内部は段を刻んだ椅子席の型が残って居ました。天井の最上の部分には、ブルガリア共産党のものと見られるマークが刻印されていました。
ただ、これらについての何の説明も無く、撮影時に降っていた雨がぽつりぽたりと、侘しく響いているだけでした。或る権力とそれに群がったであろう興奮の跡が静かに横たわっているようでした。旧ソ連が支配した東欧共産党国家の末路を象徴する感があります。
(5) 鶯と、虫の音
こうして各編は、人の手が入らなくなった各施設などを丁寧に写していましたが、放置状態となると、その地は自然任せとなり、あちらこちらで、野鳥が飛び廻わる状況となります。最も多いのは野鳩で、やたら、ばたばたと羽音を響かせていました。
意外と少ないのは小鳥たちで、世界的に見ると、その分布は広くないのかもかも知れません。自然の豊かな日本列島は例外的に小鳥が多い地域と思われます。
この作品でも、鶯の鳴き声が実に良く通っていました。その場所は福島県の浪江町です。
津波で被災し、打ち上げられ、引き波でも残った漁船が何艘も写っていました。山林に
囲まれ、諸事情があって耕作されず、原野化した光景が広がっていて、背高アワダチ草とススキが群生していました。
その近くだと思われますが、秋の虫が鳴いていました。日本ならでは光景ですね。実は、欧米人はこうした虫の聴取りが苦手と言います。従って、オーストリア人が中心の映画で、このようなシーンが良く撮られたことと思います。録音されていた音を雑音と間違えて消さなかったのでしょうか。日本人スタッフのアドバイスが在ったのかも知れません。
(6) もう一つの「虫の声」 それは南米アルゼンチンのヴィラ・エペクエンから聞こえてきました。
その場所は、ブエノスアイレスの西方約六百kmに位置する、かつて繁栄した街の跡でした。其処には、昔エペクエン湖という塩分の強い塩湖が在り、その療養効果から
大勢の人々が集うリゾート都市が成り立っていたと言うのです。
しかし、最近のことですが、1985年、その街の周辺で大雨が降り続き、湖の堤防が決壊、あろうことか、もともと低い海抜の土地に在ったため、街は水没してしまいました。いつまで経っても水が引かないため、数年後遂に街は完全に放棄されるに至ります。
だが、奇跡が起きます。2010年アルゼンチンに大干魃が発生、すると湖水の水位がみるみる低下し、昔の建物が湖底がら姿を現したのです。事態は更に進行、2013年には、街の全貌が再び見えるようになりました。電柱や立ち枯れた木々が立ち並び、屋外にはレストランにテーブルが並んでいました。
そして、今は新しい廃墟となって、別の魅力が見いだされつつ在ります。
此処の緯度は、南緯35度付近の南半球で、北緯35度の東京と気候条件が良く似ています。斯くて、この新廃墟からも虫の音が聞こえてくるのです。このシーンには日本人として感動を覚えました。
(7) それにしても、ホモサピエンスの文明とは凄いエネルギーの持ち主。
これだけのものを生み出す一方、廃墟を次々と作り出し、それがまた、次なる体験や観光の対象となって、付加価値が生じてくるとは驚きです。それこそ、ホモサピエンスたる所以でしょう。この作品に収められた二十世紀の遺骸は、いずれ、遺跡になる日が来るのでしょうか。
この点、同じくヒトと言われ、今日のヨーロッパや周辺に相応の文化を残し、所によっては同じ洞窟に住み、或る程度ホモサピエンスと交雑しながらも、四万年前から二万年前までに滅んでいったとされるネアンデルタール人ならば、どう評価されるのでしょう。
因みに、ホモサピエンスは現存する哺乳動物の中で唯一白眼を持ち、それは大きな意味があると申します。確かに、我々の直ぐ側に居る犬や猫は、ほとんどが所謂黒眼の持ち主で、白眼が在りません。 すると、ネアンデルタール人はどうだったのでしょう。 骨しか残っていませんから、解剖学的所見までは残念ながら、分らないのでしょうが、それこそ人知が拓けることを期待します。
上映中:「シアター イメージフォーラム」渋谷区渋谷2-10-2 TEL 03-5766-0114
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映画評ありがとうございました。素晴らしい要約でした。
想像するに、人類の営みの虚しさを表現したかったのかと感じました。人類亡きあとの虫の音だけの世界を想像しました。
やはり、世界遺産は誤訳で、「ホモ・サピエンス」ですね。