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ドキュメンタリー 「海は燃えている」

2017.02.23 Thu
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この映画は二つのお話を見事に結合させたドキュメンタリーです。それは、主として、地中海の対岸のアフリカからイタリアに避難・脱出してくる人々の深刻な状態と、その上陸地となっているイタリア最南端の島「ランペドウーサ」島で、学び、遊び、家族と暮らす少年の情景とを描いたものです。
1)無関係に進行する二つの物語

ジャン・フランコ・ロージと言う作家であり、映画も撮る人が監督です。そして、脚本を書く人は居ません。同監督は、イタリアとアメリカ合衆国の二つの国籍をもっている由です。私は知らない人ですが、この映画を見て、その非凡な才能を感じました。

二つのお話は、同時代の同じ場所で起きていることを交互に伝えていく手法で、一つの映画に納められています。内容として、この二つは繋がらないものの、ある接点が呈示される事で、象徴的な関連性が分ってきます。

少年は眼の不調を訴え、検査を受けると、右目が弱視であることが判明したのです。少年の治療が進むと、右目の視力が回復してきて、右だけでも見え、いろんな事が出来るようになります。斯くて、これは、この島で起きている悲劇が見えてくることになる事をシンボリックに表わしていると読み解けるものでした。
監督は、こうした物語をドキュメンタリーで描くため、昨年までの一年半、この島に家を借りて住んだ由です。当初、十数分の作品に仕上げることを考えたようですが、事の重みを再認識し、とてもそれでは済ませられないと悟ったようですね。
2)   ランペドウーサ島と難民などの状況は ?

それは、長靴のようなイタリア本土の南西にシチリア島が在りますが、その更に南西約220kmの所に在る、面積20平方km程(鹿児島県の与論島とほぼ同じ)の本当に小さい島です。イタリア領で、西方向に向かうとアフリカのチュニジアに突き当たり、南方向にはリビアにぶつかります。
約二十年程前から、対岸のアフリカ側より、難民や不法移民が、最も近くにあるヨーロッパである、この島に押し寄せるようになり、その数総計で約十万人に達し、溺死者は約壱万五千人と推定されている由です。このルートの外、トルコ・ギリシアルートや、モロッコルートが知られています。

彼らは、混乱と極貧の自国から、命からがら、恐らく全財産をはたいて、ぼろぼろのボートに乗り、逃れて来るのです。この島には、人口五千ほどの貧しいが美しい漁村と、他方、それとは無関係な警備隊、レーダー、探照灯、ヘリ、救難艇などから成る一群の施設と人員集団とがあります。映画は、このいずれも描きますが、この島が、あまりの透明度の高さゆえ、海上に浮かぶ舟があたかも海底に投影される如き景観を呈することで有名な事なども紹介しません。かような観光のお話は、この映画の主題にそぐわないと見られたのでしょうか。

且つ、この島には収容所は在りません。一時的に、難民などは収容されますが、数日して他に移される由、でも、そうした事にこの映画は一切触れません。
3) 海は燃えている

映画は「海は燃えている」と言う邦題ですが、原題は「FUOCOAMMARE」と言うイタリア語です。同じような意味のようです。製作国はイタリア・フランス映画となっていましたが、使用言語は、主にイタリア語でした。このタイトルは、第二次大戦中、この島の近くで、イタリアの船が連合軍の空襲を受け炎上し、海が燃えさかるような光景を呈した怖い体験から来ている様でした。島の人々は、この事件を良く覚えていて、歌が出来て現代まで伝わり、この映画で使われ、その主題歌ともなっています。
他方、難民救助がテーマですから、そのための声かけや応答は、英語が使われていました。救助された難民の写真撮影は番号をつけて行われ、遣り取りは矢張り英語でした。難民は黒人が多く、その出身は、アフリカ南部を除く、同大陸の全土に亘っていました。近くのチュニジアやリビアだけでは無いのです。その辛い体験が英語で聞かれなくとも語られていましたが、貧困と戦乱、腐敗と暴行、略奪と逃避の事実がいっぱい出てきました。もはや、其処にはおれず、一縷の望みを託して、命賭けで、ヨーロッパを目指したことが分ります。

なお、死に到り、遺体が上げられる場面が結構在りました。それは演じられているのでは有りません。本当に死んで行っているのです。
4)   ロージ監督は面白い人

ロージ監督は1964年生まれ、イタリア出身ですが、その出生地は何と元イタリア領のエリトリアです。其処は、もともとエチオピアの一角でしたから、エチオピアが第二次大戦前に、イタリアの侵攻を受けたことが背景事情にあって、エリトリア出生になっているのでしょうか。このエチオピアは、その後独立を回復、そのエチオピアから、後年、一部で在るエリトリアが独立したのです。
監督は自身の作品について、「映画で世界が変るとは思わない。けれど、きっかけにはなる。」と語った由、けだし名言と思います。

そして、この映画の紹介の一環として、この村でも屋外上映し、日本で公開されるというので来日し、上映館の東急文化村でも会合に参加、講演もしたと聞きます。そして、渋谷の街に登場し、サンドイッチマンの格好をして、世界的に有名になったスクランブル交差点を歩いたとの事、結構面白いお話と思いますね。
5) さて、日本では・・・。

地理的に甚だ遠く、アフリカなどでの植民地体験の全く無い日本ですが、国際社会の一員として、次第に難民問題に取り組むようになっています。

二年前の2015年の難民認定申請数は、少ないものの約七千五百で、増加傾向に在ります。国別でみると、主に東南アジアの諸国やインド、パキスタンなとです。認定数はまだ少なく、同年で見ると、27人に止まっています。今後、大きな課題となる可能性がありましょう。
文末に記しますが、この映画は随分の入りで混んでいました。東京以外でも上映が始まる由、素晴らしいシーンが考えさせられます。お奨めですね。


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