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「日本からは世界史がよく見える」 簡潔なる読後感

2017.02.28 Tue
政治

平成29年2月  仲津真治

この程、我が交流会の一つ「千代田フォーラム」で現物とともに推奨を受けた「日本人が教えたい新しい世界史」という、京大東洋史出身の歴史学者「宮脇淳子」の著作を通読しました。学部は違いますが、後輩に当たり、優秀さに圧倒されました。なお、この人は岡田史学で有名な「岡田英弘」(東大東洋史学科出身 東京外大名誉教授)の御夫人の由、その引用等がしばしばあります。ともあれ、本書はなかなかの力作であり、実に優れた啓発書と思います。

以下、印象に残ったポイントを簡潔に記します。
1)中国(チャイナ)の名称

著書は、今日通常言われる「中国」と言う呼称を二十世紀からのものと明記します。これは歴史的に真実で、孫文が言い出したと申します。もともと、中国(チャイナ)には、秦、漢、三国、晋、五胡十六国、南北朝、隋、唐、宋、元、明、清などの歴代王朝名はあったものの、国名が無かったのです。敢えて言えば、それは「天下」でした。

ところが、日本には「日本という国号」があるのに、自国にはそれに当たるものが無い事を疑問視した孫文が、「中国」を使い始めたと言います。それは新しい呼称でして、孫文が辛亥革命で清を倒して建てた「中華民国」の略称とも言われます。

でも、近代に限らず、古代からの歴史を見る歴史学者の宮脇氏は、同国最初の統一国家「秦」に由来する「シナ」を使います。これは、「彼の国の歴史を通覧すれば、そうなる」と言う事のようです。(私は、其処を英語風に「チャイナ」と表記します。)

2)  現代中国語表記の約七割は和製漢語によると、著者は指摘、主張します。

幕末・明治の改革・近代化に当たり、多くの日本人が欧米への留学生となり、或いは市井の学徒として、また、派遣者、研修生、使節団などとして、欧米の文献資料の理解・読破と翻訳に努めました。その過程で政治、文化、文明、哲学、科学、技術、機械、社会、物理、化学、数学、民法、刑法などの漢字二字の訳語が、多種多様に彼らの手で、創出されました。もとより、それらはチャイナに無く、従前からの日本にも無かったもので、これらは、新しい日本文の漢語熟語となって、奔流の如く生まれ、日本国内で多用されるようになりました。それらは日本人や日本社会による、欧米文化、文物や仕組みの導入・浸透に大いに資したものです。

そして、日ならずして、これらの二字熟語の漢語を中心に、それらはチャイナの文章や用語にも入って行きました。斯くて、「現代中国語表記の約七割は、和製漢語による」という現実が招来したのです。因みに、「中華人民共和国」と言う同国の現名称の内、「人民」と「共和国」は和製漢語です。

古代日本は、漢字を移入し、漢文を取り入れましたが、明治日本は必要に応え、和製漢語を生み出し、形成し、移出したのです。

3)チャイナの創生期の歴史

私どもが習った、所謂中国史では、夏、殷、周、春秋五覇、戦国七雄、秦、漢・・・と歴代王朝が続いて来ましたが、著者によれば、最初の中国(チャイナ)皇帝により、統一され、それなりの領域国家となったのは、「秦」と申します。それはBC221のことで、秦の始皇帝の偉業ですね。それまで存したのは都市国家に留まっていました。

即ち、チャイナの統合が起きたのは約二千二百年前の事で、堯瞬禹の神話の時代を入れて「中国四千年」などというのは余りに誇大なのです。実にそれは、「紀元は神武即位以来、二千六百年」と言われた日本を意識して、それを凌駕せんとする政治的意図で始まったというのが実は真相と申します。

また、始皇帝は、戦国の七カ国ごとに異なっていた文字の字体(所謂漢字のもと)を統一、秦で用いていた文字一種類に一本化し、外の文字で書かれていた文献や書物を悉く焼いてしまったと言います。これが本当の焚書であって、帝国統一とは恐ろしい、凄まじい事業と言う事が知られます。ただ、始皇帝をもってしても「話し言葉」までは統一できず、せいぜい読み方を「子音」、「母音」、「子音の一音」に決め、それに従わせることに止まりました。それが「音読み」の起源と申します。

更に、戦国七雄の国々(大きめの都市国家群)は、隣の国との境に、土を固めた長城を築いていました。始皇帝は秦による統一後、この内側の境界は壊してしまって、北方の遊牧民(匈奴など)の侵攻を防ぐため、北辺の城を残して繋ぎました。これが万里の長城の始まりと申します。斯くて、秦の版図は中原を中心に最大時、後年の十九世紀に最も大きくなったと言う「清」の約五分の一に達しています。

一方、始皇帝は度量衡を統一しました。重さや秤を一元化したのです。加うるに、車輪の幅も七国全部異なっていたのを一本化しました。それまでは、各国皆違うので、轍が異なり、車が真っ直ぐに走れず、結果として各国の対峙と国防に寄与していたのです。以上のような諸措置は、チャイナの一元化に大いに資し、まさに帝国の統一、成立に寄与したことでしょう。私も西安の博物館でその様子を見学したことがあります。

4)司馬遷の登場と、その歴史観

チャイナの天下観や歴史観を形成し、打ち立てたのは「司馬遷」です。彼がその大著「史記」を著わしたときは、最初の領域国家であり、統一王朝であった「秦」が滅んだ後で、(~BC206)、既に「漢」の時代に入っていました。

司馬遷は自らの仕える漢の武帝が如何に正統であって、立派であるかを言わなければならなかったのです。斯くて史記では、武帝は、歴史が始まったときの天子とされる「黄帝」から代々伝わってきた伝統を継承せる正統の天子としたのでした。その流れを描術すれば、「秦の始皇帝は立派な君子で、天命が下りて皇帝となり、天下を統一したが、悪いこともたくさんした。また、その息子はまるで暗愚であった。だから天は見放し、その命を革め(革命)、天子の姓を変えた(易姓)」と言う事の様です。

つまり、司馬遷は「全ては天が決める」と言う歴史観を打ち出したのでした。今の王朝の正当性は天が保証すると言う訳です。もし、皇帝の徳が衰えて来れば、世の中が乱れて来るので、天が命をあらため、次のふさわしい王朝を見いだし、その任に叶う皇帝を選ぶと言う事になります。これが、史記の全体の枠組みの由です。

これは、その後、チャイナの歴史観、世界観を決定づけたと言われます。そして現代に到るも同じです。つまり、現代の中華民国にも、中華人民共和国にもこの思想が生きていると言う事です。

5) 歴史研究の重要性 : 日本の貢献

ただ、これは歴史観であって、どろどろとした歴史の具体的変遷の実相まで語りません。また、この史記の歴史観は安定と変化を肯定する、一種の結果論になります。

斯くて、歴史の実相・中身や力の行使の現実については、矢張り調査・研究が必要です。これには、漢字文献や諸資料を主な対象として、特に日本の東洋史学が、考古学も加わって、多大の貢献と実証究明をしてきたと聞きます。本著の著者や夫君は、そうした先生方に入るのでしょう。
6)  ヘロドトスの史観

司馬遷の史記に代表される東洋(チャイナ)の歴史観に対し、地中海・西欧の西洋世界には、別の歴史観が形成されてきました。私も、昨年6月、東地中海・ギリシアを旅し、その一端に触れてきましたが、拙著「古代ギリシアに学ぶ」で記したように、その歴史観の主たる流れは、BC五世紀のギリシアの史家「ヘロドトス」によって形成されました。本著の宮脇女史も、そうした見方に立っています。

本著が紹介するヘロドトスの著「ヒストリアイ」(英語 history の語源となった) によると、要点は三つ在る由です。一つは「世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史である」と言う事です。

二つ目は、「世界の変化は政治勢力の対立・抗争で起こる」と言う事です。

もう一つは、「ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だ」とヘロドトスが書いた事だと言います。

いずれにしても、司馬遷とは随分違いますね。

さて、これらのことは、その後、様々な変化が起き、人類の知見も広がり、アジアやヨーロッパの範囲も拡大、変容しましましたが、ヨーロッパ人には深く根付いたと申します。この事の認識は大切でしょう。

ただ、アジアとは、単にヨーロッパでないと言う程度の意味で共通のものに乏しいことや、拙著で言う如くユーラシアの視点が今日重要となっていること、そして、もとより、アメリカやアフリカの視座の欠かせない事があると思われます。

7)  国民国家の枠を越えることが出来る日本人だけが、新しい
世界史をつくれる

これは、著者の宮脇淳子氏が強調したい点と思われます。

私どもは戦後学制が変わり、西洋史、東洋史、国史と言う区分が無くなって、世界史と日本史を学ぶようになりました。ただ、著書に依れば、世界史はどちらかと言うこと、西洋史と東洋史の寄せ集めで、中の連携が悪く、いろんなパーツが加わって、やたら詳し過ぎる暗記物になっていると言います。また、日本史との繋がりも良くないとのこと。

他方、アメリカの独立やフランス革命などにより、二百年余り前から、世界は国民国家の時代に入ったと申します。その中で日本は、西洋とは伝統や文化が大きく異なるのに、そのまとまりの良さと歴史の蓄積ゆえか、比較的スムーズに国民国家に移行しました。

また、ここ七十年余り、大いなる復興発展を遂げるととに、平和的な国際関係を展開、享受しています。

然るに、現代世界を見渡すと、イスラム教徒とキリスト教の対立が復活するなど、宗教分野を始めとして、地球文明は困難を増しています。また、各国民国家の歴史を幾ら寄せ集めても、世界史になりません。それに歴史と言えば、何かと難しい事を言ってくる中国や韓国の言う歴史は、著者に依れば、歴史で無く政治と言います。

こうした中で、日本は優れた文化的な蓄積と融合があり、しかも宗教的対立や民族問題が余り在りません。それに長年諸外国や国際的文献の翻訳を続けて来た成果として、日本語で主要な文献をみな読める希有な国となっています。これは、日本の誇れる優れた知的ストックでしょう。

これらをベースに、「国史を離れた世界史を考える」、そういう高みに日本人が立って、「初めて日本発の世界史が誕生する、期待できる」と著書は言うのです。大変な知恵と労力を要するでしょうが、大切な課題と思います。著者の意欲と問題意識に敬服します。

 


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