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米・独・カナダ合作の映画(原題 英語 RACE) 邦題「栄光のランナー 1936ベルリン」を鑑賞して

2016.08.17 Wed
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今夏、リオ・デジャネイロでオリンピックの熱戦が続く中、折良く1936年の第11回ベルリン大会を取り上げたアメリカ、ドイツ、カナダ合同制作の映画を鑑賞してきました。それは、RACEと言う英語の原題ですが、邦題はすっかり違っていて、 「栄光のランナー 1936ベルリン」となっていました。
1  映画原題「RACE」の意味するところ

邦題は「日本上映に向いたタイトル」で、「いつの何がテーマか」そこに良く現れています。だが、肝心のRACEと言う英語題の持つ意味深長な所が、全く出て参りません。ここに、RACEとは競技ないし競技大会の意味であると同時に、人種の意味も兼ねて表示しているのです。

この映画は、主として米独の合作(撮影場所は主にカナダ)で、使用語は主に英語、所々にドイツ語が出て参りますが、主人公は「ジェシー・オーエンス」と言い、アメリカの黒人青年で、優れた走者でした。彼は、凄まじい努力を行い、縁にも恵まれて、このベルリン大会に出場、四つもの金メダルを取り、母国アメリカ合衆国に数多の勝利をもたらしますが、同時にあからさまな人種差別に悩まされ、以降も母国で苦労が続き、晩年になって、栄誉在る勲章を得るなど、やっと報われるようになるのです。その点、ナチ・ドイツ側の方が、形式的であれ、立場上客人を遇するような所があり、彼は、ドイツ側の記念映画に収録すらされるのです。

それは、ヒトラーに実力を認められ、その宣伝映画を幾つも撮った「レニ・リーフェンシュタール」の活躍する場面に良く現れていました。彼女が撮り納めたと言える、オーウェンスの跳躍の姿などは実に美しく見事なものです。
2 オリンピックを宣伝の場に その政治利用へ

ところで、ヒトラーは当初、近代オリンピックの開催にあまり熱心でなかったと言います。「あれは、ユダヤ人やフリーメイスンの考えたもの」と毛嫌いすらしていたと申しますが、やがて考えを変え、その政治的利用に熱心となります。第一次大戦で中止になった1916年大会に代わる1936年大会をベルリンに招致し、そのため、巨大な、十万人収容可能のオリンピアシュタディオンの建設に踏切り、また、古代ギリシアのオリンピアの地からの聖火リレーの創始などを企画するなど、新しいアイデアを導入します。その活発度は将に「これでもか、これでもか」と続く感が在りますね。それに、ドイツ選手自体も強く、金メダルで第一位となり、他を圧倒したのでした。

なのに、オーエンスのケースでは、人種的に劣ると見ていた黒人が優勝したものですから、北方ゲルマン民族の優位を信奉するヒトラーの不快感は相当なものに達したと思われます。オーエンス優勝を眼にすると、黙って退席してしまいました。斯くて、この作品にはヒトラー自身の演説などのシーンは記録フィルでも一切出てきません。

微妙なのは、宣伝相ゲッベルスの言動です。滑らかなドイツ語を語り、総統の信任の厚い実力者の感じが良く出ていましたが、指揮下にあるはずのレニ・リーフェンシュタールなどは直接ヒトラーにねじこむ術を心得ていたようです。 何せ、この女史は驚くべき世渡りの才を持っていたようで、戦後も生き延び、最近百歳に達するまで存命していた由です。
3 アメリカのベルリン大会への態度

ベルリン大会が迫ってくると、ナチ・ドイツのユダヤ人排斥や所謂劣等人種への侮蔑政策に対する反発から、アメリカなどでは、オリンピック・ボイコット論が勢いを得てきます。これを反映した、米国五輪委員会における激しい論戦は、この映画でも見応えがありましたが、最終的には58対56という僅差で、参加論側が勝利を納めます。

このとき、かの有名なブラーデージ氏は、「参加にこそ意義があり、もって人種別優劣論の誤りをドイツ側に自覚させるべきだ。」と言って、参加論を推進したのですが、その線で説得のため、訪独した際には「米国の参加を失いたくない」ドイツ側から、駐米ドイツ大使館建設の請負話を内々の条件として持ち出されて、これを内諾するなど、実に怪しげで複雑な動きを見せます。 彼は、実は不動産で屈指の資産を築いた事業家でも在った由、それをドイツ側に利用されたのでした。それでも、このブランデージ氏は生き残り、戦後、国際五輪委員会の会長にすらなっています。、いやはや世の中には本当に奇々怪々な所があるものですね。

ともあれ、このお陰で、米国はベルリン五輪に参加と決まり、オーエンスにも世界的な活躍の道が開けて来たのです。
4  白人コーチ ジェイソン・サダイキス氏   差別を乗り越えている人

陸上競技おけるオーエンスの並外れた力量と資質を見いだしたのは、 ジェイソン・サダイキス氏と言う白人コーチでした。人種差別の激しい米国社会でも懸かる人物がいたことを思い知らされます。彼は、オハイオ州立大に入学してきたオーエンスに大学のクラブ活動の指導者として出逢い、教示と訓練を授けます。彼も元はスポーツ選手でしたが、自分の果たせなかった事の実現可能性を、才能在るオーエンスに駆けたのです。

一方、学生ながら実質所帯を持ち妻子のあるオーエンスは、貧困のどん底にあり、アルバイトで無理をする日々でした。そうした事情を知り、練習もままならないオーエンスを経済的に支える工夫も、サダイキス氏はやってのけます。顔が利いたのです。

かくて、この白人コーチの下、厳しいトレーニングを受けて、オーエンスはぐんぐんと伸びていきます。その分野は陸上で、百メートルなどの短距離走と走り幅跳びが主でした。
5   諸々の体験

人種差別の現場を映画は幾つも描いて居ました。

例えば、白人優位のクラブ活動と見られたアメリカン・フットボールの連中は、あからさまな差別言動を取っていました。練習から戻ってくると、「皆で一斉にシャワーを浴びるので、その部屋を使っていたオーエンスなどの陸上部の連中に直ぐ空けろ」と言うのでした。陸上部側は黒人だったのです。結局、その要求は通ったのですが、当時の米国は中西部のオハイオでもそう言う状態だったのです。

また、バスでは「有色人種席」と言うのがあり、そのコーナーに、オーエンスなどが座るシーンがありました。往時は南部に限ったことでは無かったのです。

ただ印象とすると、こうしたところを、あっけらかんと描いている辺り、時代の変化が感じられましたね。隠したり、陰湿に描写することは無くなった様なのです。

更に、オーエンスは好敵手のドイツ人選手のロングからアドバイスを受けるところがあります。そうしたところが、満員の競技場でドイツ人観衆から注視を受けるのですが、二人は仲良くなり、その後も交友が続いたと言います。ヒトラー総統の黒人嫌いはどうなったのでしょうね。斯くて、世の中の多様さも分かるという感じです。

記録によれば、ロング選手は、その後、イタリア戦線で戦死したと言います。

斯く、ベルリン大会はいろんな意味で何かと象徴的な競技の場であったようです。
この事を描く本作品は一見に値するでしょう。因みに、本作品は東宝系の劇場の中から、上映会場を選んでいるようです。


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