「ペンを止めるな!」首都圏地方紙の気概
まもなく会期が終了しますが、横浜市にあるニュースパーク(日本新聞博物館)で「ペンを止めるな! 神奈川新聞130年の歩み」と題する企画展が開かれています。12月26日までなので、関心ある方はぜひお見逃しなく。
https://www.kanaloco.jp/penwotomeruna
私は10年前まで横浜に32年間住んでいて、神奈川新聞はとても身近な新聞でした。その上、1997年~98年の2年間、神奈川新聞の「紙面直言」というコラムに連載する機会をいただいたご縁もあります。
当時の発行部数は20万部強だったと記憶していますが、現在は、ご多分にもれず減少して15万部を切っているようです。もともと首都圏は全国紙が勢力を張っているので、神奈川に限らず地元紙の販売はなかなか厳しいですが踏ん張っています。自前の販売店を持たない身軽さも、新聞冬の時代にはプラスに作用しているかもしれません。
その神奈川新聞は1890年(明治23年)に「横濱貿易新聞」という題号で創刊されました。企画展では、創刊号から本年までの元日号の複製写真をずらりと並べていて壮観です。明治期に生まれた新聞は、その後つぶれた方が多いですから、130年間続いてきたというのもたいへんなことです。
この企画展にちなんだ記者座談会が12月12日にあり、オンラインでも流されたのですが、ひさびさに現地会場まで出かけてきました。統合編集局長の高本さんの司会で、3人の記者が登壇して現在の取り組みや記者としての思いを語りました。以下、私の印象に残った発言です。
今年入社18年目の運動部記者小林剛さんは、高校のときにアメリカに留学したのですが、言葉がなかなか通じず冷たい態度を取られたりしていました。それがバスケット部に入ったらゴーグルひとつで通じるようになり、スポーツの力を感じたそうです。
神奈川新聞の記者になって、取材相手の選手や監督と、いいときも悪いときも長くつきあうことで信頼関係ができると感じています。この1年はZoomでの取材にならざるをえなかったのですが、本当は雑談がいちばんおもしろいのに、Zoomでは限界があると痛感しました。人目が気になって率直な言葉が出てこなかったり、言葉面だけではわからないニュアンスをとらえにくかったりしたからです。
入社7年目の鎌倉支局の竹内瑠梨さんも、地元紙ならではの、継続して伝えていくということを大事にしているそうです。自身も鎌倉に住んでいて、他人事でなく自分ごととしていろんなことを見ていきたいと言っています。昨年逗子であった土砂崩れで女子高生が亡くなった事故では、辛抱強く待って父親の談話をもらうことができました。話そうと決めたお父さんの思いは想像を超えます。記事を書くときには何度も何度も書き直したそうです。
新聞記事は限られた行数で書かねばなりませんが、竹内さんは複雑なものごとをなるべくまるごと伝えたいと思っています。
経済部の細谷康介さんは入社4年目です。印象に残っている記事は「防災市場の今」という連載です。防災用品が動くのはどうしても時期が限られます。そこで、日常使いで定着を狙うという切り口に共感して記事を書きました。
全国紙の経済記事と違って、地元の中小企業やスタートアップをできるだけ取り上げるようにしているとも言います。
司会の高本雅通さん(統合編集局長)が、若い記者をとても信頼していて、前面に出して盛り立てる姿勢にたいへん好感を持ちました。
今回のような送り手と読者の直接の出会いの場を提供するというニュースパークの役割というのも貴重だと感じました。
記者座談会のあと、神奈川新聞の方による解説付きで見学しました(下の写真参照)。業界用語集が並べられていますが、その中に「今日はノーズロ」というのがあります。いっしょに見ている人たちに思わず説明したくなったけどこらえました。記事下広告が無いという意味ですが、さてこの言葉の由来は?(^^)
それにしても、昔の新聞社は煙モーモーだったでしょうね。紙面レイアウト作業の机上を再現していますが、そこに吸い殻だらけの灰皿が。
この記事のコメント
コメントする
前の記事へ | 次の記事へ |
昔の新聞記者は猛烈にタバコを吸いました。灰皿の上に原稿用紙が散らばり、それが焦げてあわてる、なんていう漫画みたいなこともありました(実話です)。その新聞社が原則禁煙になり、社内では吸えない日が来るなんて、考えてもいませんでした。世の移ろいは激しいです。この先も激しいんでしょうね。