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コロナ五輪の開催

2021.07.17 Sat

「復興五輪」と称して誘致された東京オリンピック・パラリンピックは新型コロナウイルス感染症の蔓延(パンデミック)によって1年延期されたのち、7月23日から開催ということになりました。延期されて以降の政府のお題目は「人類がコロナに打ち勝った証しとしての五輪」でしたが、現状は打ち勝つどころか感染の第5波が押し寄せるなかでの「コロナ五輪」となりました。参加する選手にとっても、応援する人々にとっても、「複雑な気持ち」で迎える五輪になりそうです。

 

  • 外国での開催だったら

 

それにしても、なんでこんな時期に東京での開催になったのだろうかと思います。この五輪が東京ではなく、パリでもロスでも外国での開催であったら、私たちの見方も主張もずいぶん違ったのではないかと思うからです。

 

主催国でコロナ感染が収まっていないというニュースがあれば、もちろん主催国は中止を検討せよという意見も出ると思いますが、それよりも、安心して日本選手団を送り出せるように環境を整えるのが主催国の責任だという意見のほうが多いのではないかと思います。五輪出場をめざし、金メダルをめざし、練習や競技を続けてきた日本選手の姿を見れば、選手の夢をかなえよ、という気持ちに傾いたと思います。

 

  • バブル方式のほころび

 

不運なことに日本が主催国であるために、国民の生命と五輪と、どっちが大事なのか、という問題を当事者も国民も突きつけられることになりました。選手を一般の人々と接触しないようにする「バブル方式」は、ひとつの妥協策ですが、実際には、選手でないメディアのような「関係者」は、バブルの外に出る機会が多くなりそうですし、宿泊施設によっては、一般客との完全な分離が難しくなっているなど、バブル方式のほころびが指摘されています。

 

それよりも問題だと思われるのは、観客の行動です。選手と接しなくても、全国から五輪観戦のため人々が集まってくれば、会場での感染対策は万全でも、「直行直帰」せず、飲食店などで盛り上がりたいという人たちがでてくるのは自然のことで、そこから感染が広がるのも十分に考えられることです。

 

  • 有観客にこだわった菅首相

 

こうしたリスクを防ぐには「無観客」は最低限の措置で、私たちのような“外野席”だけではなく、分科会の尾身茂会長のような“内野席”や“ベンチ”に座っている専門家からも、無観客の提案が出ていました。それでも菅首相は「有観客」にこだわり、それが五輪をめぐる混乱に拍車をかけました。最終的には、7月12日から東京都に4度目の緊急事態宣言を出すことになり、やっと政府・IOC・IPC・東京都・組織委員会の五者協議で首都圏の無観客を決めましたが、茨城(サッカー)、静岡(自転車)、福島(野球・ソフトボール)、宮城(サッカー)、北海道(サッカー)などの地方会場については、首相の思いが忖度されたのか、入場者数を制限して観客を認めることになりました。

 

しかし、地方会場にとっては、首都圏などからの観客が移動するリスクはあるわけで、北海道に続き福島も地元からの要請で無観客に変更になりました。宮城は村井知事が有観客を強く支持していますが、仙台市の郡市長が無観客を組織委に要請、東北ブロック紙の河北新報がインターネットによる緊急アンケートで「有観客に9割が反対」と報じたことなどもあり、県民がこぞって有観客を歓迎しているとは言えなくなりました。

 

東洋経済オンライン編集部が発表しているコロナデータによると、7月15日現在の宮城県のコロナウイルスの実効再生産数は1.57で、東京都の1.23よりも高く、これからの感染拡大が予想される数値となっています。宮城県は、サッカー予選リーグが県内で始まる7月21日からお盆が終わる8月16日まで、仙台市内の飲食店に、夜間の営業時間を午後9時までとする「時短」を要請することを決めました。その効果に期待しますが、サッカーファンの熱情を考えると、「路上飲み」がふえるのではという心配もあります。

 

五輪全体での無観客開催については、組織委のなかでも、「やむなし」の意見が早くからあったようですが、首相に忖度したのでしょうか、最終的な決断が遅れることになりました。その結果、有観客を前提にした警備や医療スタッフ、さらにはボランティアの人たちにも、出動・出勤計画の変更や失望を与えることになったと思います。有観客となった地方の人々のなかにも有難迷惑だと思った人が多かったのではないでしょうか。私から見れば、首相のこだわりはずいぶんと罪作りな結果を招いたと思います。

 

  • オリンピック休戦

 

日本での開催でなければ、これほどの不信感は生まれなかったと思うのが国際オリンピック委員会(IOC)への意識です。オリンピック・ファミリーと呼ばれるIOC関係の特権階級が五輪を食い物にしているという話は、五輪招致や汚職などのスキャンダルが出ると、ささやかれていました。しかし、主催国でないときには、国際的な組織なんてそんなもの、ぐらいに思っていたのですが、東京大会になると、見方も違ってきます。開会式が無観客になっても、オリンピック・ファミリーは観客とは別枠と伝えられたり、入場料収入の激減で組織委の赤字が膨らむのにIOCはテレビの放映権料が入るので影響は少ないなどと聞いたりすると、開催国ばかりが損をしているような気分になりました。

 

「近頃、お前、評判悪いよ」などと、会社の同僚から言われると、何の話か、誰が言っているか気になるものです。たまたま、私がワシントンで記者をしていたころの友人がIOCスタッフとして来日し、東京のホテルで「待機」になっているというメールが届いたので、「日本でのIOCの評判は悪いよ」と伝えたら、IOCの取り組みとして「オリンピック休戦」という話を伝えてきました。「バッハ会長が広島を訪れたのも、平和の意味を世界に訴えたいからです」と言うのです。

 

「TOKYO2020」の公式HPによると、オリンピック休戦は、古代オリンピックの時代からあったそうで、1992年にIOCは五輪休戦を提唱したとあります。2019年12月には東京オリンピック・パラリンピック期間中の休戦が国連総会で決議されたとのこと。7月16日には、国連のグテーレス事務総長が「困難を乗り越えて日本に集まるアスリートと同じように、世界の平和のために連帯を示す必要がある」として、すべての紛争地域での休戦を求めるメッセージを発表しました。

 

この決議に従って、どこかで休戦が実現するのなら、五輪の経済効果よりはずっとうれしい五輪効果になると思います。バッハ会長の広島訪問とコーツ副会長の長崎訪問は、五輪休戦の開始日にあわせたものだそうです。バッハ会長は広島から「平和への使命は、オリンピックの中心であり続ける」というメッセージを世界に発信しました。「コロナ禍のもとの迷惑なパフォーマンス」という見方もあったようですが、私は素直に受け止めたいと思います。オバマ大統領の広島訪問はホンモノだが、バッハ会長の訪問はニセモノなどと見分けることはできないからです。

 

  • 難民チーム

 

上記のIOCスタッフの友人に、IOCは、コロナ禍で五輪への参加が困難になっている途上国のアスリートを支援しているのか、と尋ねたら、「イエス」という返事が来たので、この項目を追加します。

 

IOCは連帯という五輪の大きな目的を達成するために、途上国などの選手が練習を続けられるように支援をしていますが、東京五輪が1年間延期したことで、緊急の援助プログラムを用意して、彼らのニーズに対応したそうです。その支援策のなかには、東京五輪奨学金というのもあり、「185各国から1600人以上のアスリートと、難民チームのメンバーがこの支援を受けた」とのことでした。

 

「難民チーム」というのは初耳だったのですが、紛争地域で難民になった人々の中から選抜されたアスリートを五輪に参加させようという企画。リオ五輪(2016)から登場し、エチオピアや南スーダン、シリア、コンゴ民主共和国から10人の選手が参加、東京大会では29人の選手が参加する予定です。

 

戦争や内戦による難民は世界中に数百万にといわれていますが、「難民チーム」の五輪参加は、一筋の希望の光になるかもしれません。私は「東京五輪は風前の灯」と題したコラム(2021年4月19日)のなかで、ロンドン五輪(2012)とリオ五輪(2016)に出場した南スーダン出身のマラソンランナーを描いた『戦火のランナー』というドキュメンタリー映画を紹介し、「メダルをどれだけ獲得できるかに関心がいきがちな先進国のスポーツ大国が忘れてしまった五輪、そのもうひとつの物語だ」と書きました。「難民チーム」の存在も、五輪が世界に向けて果たす役割を示すものだと思います。

 

  • 五輪外交は不戦敗

 

五輪外交という言葉があります。これまでの五輪では、観戦に来る各国の首脳との間で会談が行われてきました。2014年のソチ冬季五輪では、プーチン大統領と安倍首相との日ロ首脳会談が行われ、2018年の平昌冬季五輪では、北朝鮮の金正恩委員長の妹、金与正氏が訪韓し、その“ほほえみ外交”が話題になりました。

 

今回の東京五輪で、訪日が決まっている外国の首脳はマクロン仏大統領くらいです。韓国の文大統領は、日韓関係の修復を求めて訪日を希望しているようですが、厳しい日韓関係を反映して、両国間の調整が続いているようです。五輪外交は、「無賓客」とは言えませんが「少賓客」により、早くも不戦敗が確実になっています。

 

  • 菅政権の危うさ

 

今回のコロナ五輪で、明らかになったのは、菅政権の見通しのなさだと思います。4月25日から東京都に出されていた3回目の緊急事態宣言は、2度の延長を経て6月21日からまん延防止重点措置に切り替わりましたが、そのころから東京都の感染者数は増加傾向にあり、7月下旬の五輪開催時期にかけて第5波の感染増加が起こるのは確実視されていました。尾身氏ら専門家の「無観客」提案が6月18日ですから、6月21日の五者協議は、上限1万の有観客ではなく、無観客を主体的に決める最後のチャンスだったと思います。

 

上限1万を決めたことで、組織委は入場チケットの再抽選にとりかかりましたが、最終的には、ほとんどの会場でそれも無駄になりました。予測されない事態が起きたというのなら結果論になりますが、第5波が予測されるなかで、いったん有観客を決め、予測通り感染者が急増したことで無観客になったわけで、これは主体的というよりも追い込まれたあげくの判断で、菅内閣の失態だと私には映ります。

 

この政権の見通しのなさは、ワクチン接種も同じです。地方自治体の接種が遅いといって、大規模接種で自治体の尻を叩き、さらに職域接種を拡大したものの、応募が殺到したため、新規の募集を中止しました。ファイザー製のワクチンを主体とする自治体の接種も供給不足が明らかになり、多くの自治体が予約の制限など対応に追われています。河野ワクチン担当相は「はしごをはずした結果になった」と陳謝しましたが、接種状況を国が一元的に管理する接種記録システム(VRS)に手続きが煩雑などの問題があるようです。

 

モデルナ製を主体とする職域接種については、5月の時点で、予定された量のワクチンが供給されないことがわかっていたというのですから、職域接種のために医療スタッフや会場の手配に追われた人たちからすれば、はしごをはずされたどころか騙された、という気分ではないでしょうか。

 

酒提供の制限を守らない飲食店に対して、金融機関やお酒を卸す酒屋さんを通じて締め付けをはかるという作戦については、飲食店や酒屋さんから猛反発を受けて、全面撤回に追い込まれました。法的権限のない「お願いベース」であれば法的な問題はない、といった官僚の考える“頭の体操”以前に、総選挙を控え、飲食店や酒屋さんを敵に回せばどんなことになるかという政治家としての“頭の体操”ができていなかったのかと、その見通しの悪さに驚きます。と同時に、からめ手から手を回すという手法は、菅政権の本質を示しているように思えました。

 

これだけ見通しがはずれるのですから、どうせなら、五輪の高揚感とワクチン接種の進展で総選挙に勝利する、という政権の見通しもしっかりはずれてほしい、などと考えてしまいます。

 

(冒頭の写真は「TOKYO 2020」の公式HPから)


この記事のコメント

  1. KG小林 より:

    「汚染水はアンダーコントロール」という明らかな嘘で誘致した五輪なので,当初から「成功」は無理と考えていましたが,コロナ禍と安倍+菅政権による失態続きの無為無策が成功とは程遠い結末となりそうです.今からでも「コロナ戦争勃発」による中止も有り得ると思います.仮に開幕の運びに至ったとして,日本選手の活躍を含め競技の内容が報じられても世間の多くの人々は祝祭感などないまま,「へーまだやってるんだね,五輪」「医療従事者の方がよっぽど戦っているよ」「死体の山を築く競技があればメダルラッシュだね~」みたいな受け止め方になることでしょう.かくして東京2020は「意味不明な五輪」として歴史に刻まれることになりそうです.とはいえ,これにより自民・公明の長期政権に終止符が打たれ,説明責任を果たすまっとうな政治が日本に根付くことになれば,五輪にも意味はあったと言えそうですが…

  2. 外向き より:

    ワクチンの重要性が専門家の間で議論されていたと言う記憶がありませんが。もしそうなら専門家会議のメンバーの責任は重大だと思いますが。私の知るかぎり誰もこの事案についてマスコミも含めて言及していないのは不思議ですね。

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