『利他性の経済学』書評
読者からいただいた“宿題”にも答えないうちに時がたってしまい、新型コロナウイルスに自粛生活を強いられる昨今となってしまいました。
4月11日にNHK Eテレで放送された「ETV特集 緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」の中で、フランスの経済学者・思想家のジャック・アタリ氏が語った中に「利他主義」という言葉がありました。
私は、かつて『利他性の経済学』という本の書評をビジネス系の専門ネット書店(クリエイジ)から頼まれて、2008年に書いたことがあります。そのネット書店はその後閉店してしまったので、ウェブ上には残っていません。改めて読み直してみると、今でも十分通用しそうですので、やや修正を施して、ここに再録します。
「利他性の経済学 支援が必然となる時代へ」舘岡康雄著 新曜社 2006年刊
◇親を“育てる”
『親を元気に育てれば、あなたの老後も安心です』(米山公啓著、ダイヤモンド社2008年刊)という本が出ました。85歳を60歳が介護する・・・というような老老介護が高齢社会化とともにますます増えています。自分の体でさえ思うようにいかなくなってくる60歳前後の子供 にとって、親がどれだけ元気か、特に歩けるかどうかと、ボケてないかどうかという点は非常に大きな問題です。そういう時代を前向きに生きる新鮮な発想のタイトルです。ただし、「育てる」という言い方が新鮮な一方、やや功利的にも聞こえますが、本文を読むと安心します。親が元気に笑顔で過ごすこと自体が子供にとって大きな喜びであるというのが基本的な考え方なのです。
◇相手から出発する「支援」
舘岡康雄著『利他性の経済学 支援が必然となる時代へ』(新曜社、2006年刊)を読んで、米山の本の「育てる」という言葉は「支援する」と言いかえられると思いました。舘岡の支援の思想の重要な点は、相手から出発して自分を変える行動様式だというところにあります。親が転倒、骨折すると面倒が降りかかるという、60歳の自分の都合でバリアフリーの工事を押しつけるのではなく、85歳の親の気持ちから出発して、「普通に歩きたい」という素朴な気持ちがいかに切実な欲求であるかを受け止めることが基本です。バリアフリー工事で事足りるとするのでなく、よちよち歩きを直し、姿勢よく歩けるようになる方法を調べて教えてあげるということの方が大切であるということです。
◇管理と支援
舘岡の本で「支援」という言葉にはじめて出会ったときは、少し当惑しました。支援の行われる舞台や場面としてあげられているのが、プライベートな人間関係から、自動車会社の部門間の業務関係、はては国家間の外交や戦争にまでわたっているからです。この本では、あらゆる社会関係を貫く概念として支援を論じているのです。舘岡が「支援」をキーワードとして置いたのは、実は「管理」に対応させてのことであること、支援は管理と違って、上からあるいは自分本位で行うことではなく、相手から出発して行うこと、そして、それが実は自分を変えることにつながるということから来ていることがわかって、いつのまにか釣り込まれてしまいました。
◇リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ
さらに、管理から支援への変化に対応するパラダイム変化があり、それは、リザルトパラダイムとプロセスパラダイムと表現されています。これはなかなか魅力的な概念です。リザルトパラダイムの時代は、関与者同士の関係性がほぼ決まっており、こうすればこうなるという、行動と結果の因果が最初から見えている時代です。それに対して、プロセスパラダイムの場合は、相互の関係があらかじめ定まっておらず、お互いが動いている状態のもとで関係を適宜作っていくことになります。「プロセスパラダイムの行動様式は、動的関係性をもつ各参加者が未確定の現状を交換しあい、現在刻々と創発的に最適解を創り上げていく」(同書p97)のです。
◇ITの活用
刻々と創発的に最適解を創り上げていくためにITの活用ということも言っています。「ITが真にしなくてはならないことは、顧客と生産者、患者と医者、生徒と教師、自治体と市民、国民と国家、産業の発展段階の違う諸国同士の関係性を飛躍的に高めて、それらが相互浸透し、動的に助け合うようにすることなのである」。(同書p155)
◇プロセスパラダイムと動態的編集
プロセスパラダイムの概念については、この10年ないし20年、市場の成熟化と、インターネットに代表される新しいメディアの発達という環境のもとで、用語はともかく、いろいろな形で意識されてきていると思います。たとえば、「編集」という概念を出版編集から社会論の概念にまで拡張した松岡正剛は、ラグビーを例に取って動態的な編集の概念を出しています。ラグビーはその時々に監督がいちいち指示を出せないゲームであって、選手はお互いが動く中で瞬時に判断をして行動する、すなわち瞬間瞬間に動的な相互編集を行っているというわけです。
◇関係性マーケティング
また、ビジネスの世界においては、「関係性マーケティング」(リレーションシップ・マーケティング)という論がひところ盛んでした。石井淳蔵は『マーケティングの神話』(1993年、日経新聞社、2004年、岩波現代文庫)の中で、消費者にとっての製品の意味はあらかじめ決まっているのではなく、製品を使用し、向き合う中で意味を付与していくのだということを言っています。有名な例にポケベルがあります。売る側においては業務用途しか念頭になかったポケベルを、女子高生が友達同士のコミュニケーションのために盛んに用いるようになったのはその典型と言えるでしょう。そのため、生産者が消費者を「操作する」(管理する)従来のマーケティング、すなわちマネジリアル・マーケティングから、共に時間を共有して関係をつくりあげていく(編集していく)関係性マーケティングへ、というパラダイムが提起されたのだと思います。
◇社交と支援
ここで思い出すのは、以前本欄でも紹介した山崎正和著『社交する人間』(2003年中央公論新社、2006年中公文庫)です。わたしはふとこのタイトルの「社交」を「支援」に入れ替えてみたくなりました。「支援する人間」。なかなかいいタイトルです。驚いたのは、さらに「社交する人間」の各章のタイトルにある「社交」を「支援」に置き換えてもまったくおかしくないことです。支援への飢餓、現象としての支援、支援の社会学、支援と現代社会論、支援と経済、支援と政治、支援と文化、文明、支援と自我、グローバル化と支援社会・・・。
◇時代が求める新しい関係性
土台となっている社会論の中身、すなわち社会変化についての舘岡の認識は山崎とかなりの程度共通しています。そして、近代化を達成した日本社会が、次の時代のパラダイムを必要としていることでも同じ認識を持っています。新しい時代を構成する新しい関係性を表す代表的な概念として山崎は「社交」をあげ、舘岡は「支援」という言葉を掲げました。山崎は、顔の見える関係性を基礎にした社交社会を展望しました。舘岡は、「私たちの向かうところは、「してもらうこと」と「してあげること」を交換することによる世界の構築である」(p8)と序章において宣言し、管理社会から支援社会へという大きな流れを想定し、「支援」という言葉を前面に置きました。
◇管理から協働、支援へ
ところで私は、複数の人間がお互いの違いを生かして新しい価値を生み出していく「協働」という概念や、そのための方法論としてのワークショップに関心を持ってきたことから、支援もそのひとつと思えばいいのではないか、あえて支援という言葉を用いる必要があるのか、と最初は感じました。しかし、舘岡があえて支援という言葉を持ち出している背景には、管理があったのです。管理主義社会から脱して、新しいパラダイム、すなわちプロセスパラダイムに基づく関係の再構築をはかっていこう、その旗印が支援だよと熱く語っているのです。
◇してあげる機会をもらう
冒頭に例としてあげた「親の支援」は私自身の問題でもあります。老人ホームを“脱走”して、あえて困難な道を選んだ母(86歳)は、ヘルパーや生協宅配の助けを借りて生き生きと一人暮らしをしています。母は携帯とパソコン(インターネット)を持っています。私は日課として毎日1回必ず電話を入れています。これは「してあげる」ことなのですが、舘岡によれば、これは「してあげる」機会を相手にもらったということです。実際、毎日それほど話すことなどないにもかかわらず、ひたすら続けていると、母の精神の安定に確実に寄与しているという確信を持つようになりました。そういう母の笑い声を聞くと自分もうれしくなることがわかります。支援の意味がこうして実感できます。舘岡はそれを国際関係にまで広げられる概念だと提起しています。
付記:母は2019年96歳で他界しました。
この記事のコメント
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利他というのは「利己的な遺伝子」と対比すると面白いですね。蟻などの社会的生物の利他は遺伝子の作用によるものですが、人間の場合は文化の影響による利他的行動があるのだそうです。人助けをすることは自分の喜びなのですが、困っている人を咄嗟に助ける時にはそんなことは考えていません。
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してあげる機会をもらった という言葉は響きました。
利他の精神の原点ですね。
自らの生き方を反省する言葉に出会え、有難うございました。