プレイリストの時代--デジタルに強い編集者にチャンス
デジタル化により、プレイリストの時代が開かれています。これは、編集者の時代でもあります。
◇街の本屋はなくなるのか?
まず、さまざまなメディアで話題になっている、街の本屋さんの話から。
街の本屋はなくなってしまうのでしょうか?残念ながら、これからも従来の街の本屋、特に、新刊の雑誌と文庫を中心に置いて、本の選定は取次会社まかせという店は立ちゆかなくなるでしょう。返本自由なので在庫のリスクはありませんが、利幅が薄いので、売れなくなると成り立たなくなります。
◇プレイリスト型本屋の広がり
一方、新しいタイプの本屋が次々に登場してくるでしょう。(従来の本屋の減少を穴埋めする数にはならないと思われますが。)
その特徴は「プレイリスト」という言葉で表せます。プレイリストとはSpotifyやAmazon Musicをはじめとする音楽ストリーミングサービスで使われている言葉です。「読書をしながら聴く静かなジャズ」「テンションがあがる映画音楽」というように、何らかのテーマを設定して、たくさんの音楽の中から選定して束にしたものです。YouTubeを見ると、一般の音楽愛好者が作ったプレイリストも多数あります。
プレイリスト型の新しい本屋の例としては、最近よく話題に上る「書店Title」(東京杉並区)があります。辻山良雄さんという店主(言いかえれば編集長)が編集しているプレイリストです。ただし、ネット上のプレイリストと違って、生身の編集長がそこにいて、物理的な本を扱うので身体性が色濃くあります。だから、喫茶やライブイベントなどとも親和性があります。
自分のテイストに合うプレイリスト(本屋)に入って一定時間過ごすと、いつのまにか重い荷物を持って帰ることになるかもしれません。
このようなプレイリスト型の本屋がこれからおおいに増えていくと思われますが、実はすでに、これまでも各地に登場していました。2017年に出た『東京 わざわざ行きたい街の本屋さん』(和氣正幸、ジービー刊)や、翌年に出た『全国 旅をしてでも行きたい街の本屋さん』(荒井宏明、和気正幸、佐藤実紀代、ジービー刊)では個性ある本屋がそれぞれ百数十店紹介されています。
◇プレイリストの条件は「編集」と「範囲」
小さな本屋だけじゃなくて、ジュンク堂や紀伊國屋書店のような大書店だってプレイリストじゃないか、という声も聞こえてきそうです。確かに大書店も売り場ごと、棚ごとに担当者(編集者)が独自の工夫をしている例が見られます。実際、上で紹介したTitleの辻山さんは、池袋西武にあった大書店リブロポートで“棚編集”をしていた人です。
しかし、私がプレイリストと呼びたいのは小さな本屋です。プレイリストと呼ぶ条件は「編集」と「範囲」に関してです。
まず、編集ですが、明確な思想ないし方針を持った編集長の存在が必須です。本屋なら店長です。編集においては、明示するかどうかは別にしてテーマを設定します。
範囲については、動き回らなくても全部が見渡せる程度の、ほどほどの大きさという条件です。つまり、街の本屋はOKですが、大書店はこの点があてはまりません。
プレイリストという言葉を使っている音楽のストリーミングサービスの場合、編集長の名前は必ずしも明示されていませんが、そのかわり必ずテーマがついています。ふと気付くのは、音楽CDのアルバムはアーティスト自らが作ったプレイリストです。対極の例は、YouTubeに多くある、音楽愛好者が編集長になって作ったプレイリストがあります。プレイリストの作り手は、作品の当事者から第三者へ、それもアマチュアへと広がってきています。
◇雑誌、新聞、テレビも?
このように考えると、世の中にはプレイリストと呼んでいいものがほかにもあることに気付きます。筆者の住まいの近くに最近できた例で言えば、チョコレートショップや香辛料専門店が思い浮かびます。チェーン店が幅をきかせる中でも特徴を出して独自の価値を打ち出している店がポツポツと存在します。がんばっている酒屋もあります。
メディアに着目すると雑誌がそうです。文字通り編集長がいて、毎号の構成を決めます。新聞もプレイリストと言えます。雑誌にせよ、新聞にせよ、紙のメディアは範囲(大きさやページ数)が物理的に決まっており、それに合った編集ノウハウが確立しています。テレビの各チャンネルもプレイリストだと言っていいでしょう。1日24時間という放送時間という範囲が限られています。これらは、出版社や新聞社、放送局という限られた組織が組織内の少数のプロに編集をまかせていたという構図でした。
◇デジタル化がプレイリストづくりを促進
その秩序を崩したのが、多数登場してきているキュレーションメディアです。ニュースメディアの例で言えばヤフーニュースやスマートニュースなどたくさん登場して競っています。キュレーションとは、図書館司書や美術館の学芸員のことをキュレーターということからわかるように、目利きが作品を選んで並べる行為を言います。これらのネットメディアはプレイリストの性格を持っています。それを可能にしたのがデジタル化です。
デジタル化によってコンテンツ(記事)をバラバラに扱うことが可能になり、好きなものだけを選んで編集することが容易になりました。ヤフーニュースなどのキュレーションメディアは、新聞社や雑誌出版社から記事の配信を受けて、自分たちの編集方針にもとづいてニュースを選んで並べて見せています。
数多く登場しているまとめサイトもプレイリストと呼べます。プロではないアマチュアの“編集長”がそれらを担っています。デジタルの時代は、ある意味で誰でも編集長になれる時代です。もちろん、その質を見ると玉石混交ですが。
◇新聞、テレビは個人向けに乗り遅れたプレイリスト
やや誇張して言えば、紙の新聞とテレビ(特に地上波キー局のチャンネル)は、少々古くなり陳腐化したプレイリストです。新聞は「あなたに」でなく「お宅に」届けてきました。つまり、個人メディアではなく世帯メディアとして、家族相乗りを想定した編集でした。従来のテレビも「あなたに」という編集(テレビでは編成と言いますが)ではありませんでした。
ところが、パソコンやスマホという個人メディアが、情報に接するツールとしてあたりまえになると、ニュースメディアに限らず「あなたに」というコンテンツの方に雪崩を打って流れています。
◇オンデマンドカルチャーから編集者の時代へ
インターネットの普及初期の頃は、まだ自分で検索ワードを思い浮かべて、オンデマンドで情報を得るという主体的なユーザーが想定されていました。しかし、たとえば「何かおもしろいことないかなあ」という漠然としたレベルの欲求にもとづいて検索のためのキーワードを思いうかべるというのは、実はけっこう高度な知的行為です。それで、アマゾンのように、「これどうですか?」という決め打ち型のオススメサービスが発達するようになりました。
人は、自分の得意分野を除いては、何が欲しいのかを必ずしも言葉に出して言えません。洪水のようにあふれる情報の海の上でオンデマンドはつらいです。ですから、ずばりこれ!というオススメもありがたいのですが、ひとつに決めつけられるよりも、限られた数の中からとはいえ、自分で選んだという感覚が満足感をもたらします。提示されたものをいくつか見てから「ああ、これが私の欲しかったもの!」という欲求の“発見”があります。
以上のように、デジタル化がプレイリストの時代を開きました。これは、編集者の時代だとも言えます。オンデマンドカルチャーは、別の言い方をすれば「中抜き」の風潮でした。それは編集者受難の時代でした。これから新しい編集者の時代がやってきます。
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刺激的なコラムでした。わが身に引き付けて考えてみたら、私にも「マイ プレイリスト」がありました。山形市内にあるユニークな酒屋さんです。ここは普通の酒屋さんとは違って、店主が「この酒はいい。売りたい」という商品を並べているお店です。普通の酒屋さんにはない日本酒や焼酎が置いてあるので、「いい酒が飲みたい」と思い立つと、この店に出かけます。外れがないのが嬉しい。固定客も多く、経営は堅調のようです。デジタル化とはまったく無縁な分野ですが、「編集者の時代」を「目利きの時代」と読み替えれば、重なるものがあるように感じます。