ドイツから来た、躍動の女流指揮者「クービッツ」の事
暮れの第九と言えば、・・・・
年の暮れとなりますと、知人の中には「いよいよ第九ですね」と声を掛けてくる方が結構いらっしゃいます。其処には、ご本人に関心があるからか、私が合唱をしていて、これまで何度もの第九参加経験があることを御存知だからか、色々在ると想像するのですが、やはり、ベートーベンの第九が年末に日本各地で数多く演奏され、みんなが味わうと言う世相が、戦後この列島にすっかり広まっている事が背景に在ると思います。そう言えば、かなり前から、この頃の歳時記に「暮れの第九」が現れるようになっていますし、俳句の「冬」ないし「年末」の季語に「第九」が入って随分経つとも聞きます。そして、日本の暮れの第九の事は、海外でも良く知られるようになりました。
さて、文頭に戻りますと、今年は、始めの問いに「実は終わりました。」と答えております。
と言うのも、私どもが住む茨城県の取手では、今年が五年に一度の慣行で続けて来ている第九の当たり年でして、しかも前から御縁のある日独交流の機会として、この11月29日(日)に演奏会を行い、私もそれに参加したからです。
取手第九の歴史のあらまし
この折りに、取手第九の来し方を簡単に記します。
取手の第九は、昭和61年(1986)12月に、東京芸大の新キャンパス立地決定を記念して開催されたのが最初です。私ども家族が其処に住むようになって何年か過ぎた頃でしたが、私はかねてより「一度は」と思っていましたので、仕事で多忙な日々であるものの、思い切って参加しました。それは初めて直に体験する大曲でして、一所懸命練習して、みんなと歌いきり、大いなる感動を覚えたものです。
その後、この感動の炎は消えず、一度切りの演奏に留まらずに、紆余曲折あるも、次なる企画を生み出して行きました。そして、私も縁あって、二回目の演奏会(平成3年3月(1991年))の企画の途中から役員として加わることとなりました。それは取手市制二十周年記念として実施され、成功を納めまして、成果として「以後も続けよう、それも五年毎に。」と言う流れが出来て参りました。そのため、第九合唱団をその度に立ち上げるのも大変なので、普段からの親睦と音楽交流の場を持とうと、母体となる「第九親睦会」を結成しました。同年の6月初めの事です。
第三回目の第九の企画は、当初から国内のみならず、「ドイツへ行って、日独親善の演奏を」という思いが在り、暗中模索の取組みが始まりました。そのとき、私がその企画の責任者となり、それこそ多方面且つ必死の開拓と努力を行ったものです。その中で、仲津の職場(当時は国土庁で防災の任に在りました。)の御縁が繋がり、ドイツのバーデン・バーデンと一本の糸が出来たのです。その糸は始めの内、細かったものの、私自身が国際会議出席のため訪独する機会を活用できるなどの好運に恵まれたこともあり、幸い、太く手堅いものとなって、遂に実るに至りました。かくて、平成7年(1995)年には、10月に市制二十五周年の国内演奏を行った上、年末に訪独、初の日独親善演奏をバーデン・バーデンなど二箇所で成功させたのです。音楽監督シュティーフェル指揮の下、同地のフィルハーモニーやドイツ人ソリストとの共演でした。この時、ドイツ人聴衆による七分間の感激のスタンディング・オーベイションが起き、私どもも感動しましたね。それはしっかりとCDに残っています。
斯くて、この年の国内と訪独の両演奏の成功により、取手第九は内外ともに、しっかりと取手の音楽文化の大きな一角として定着したと思います。
以来、今年の分まで含めて通算しますと、国内演奏は七回、内二回はドイツ側からの訪日であり、また、取手からの訪独演奏は三回になりました。この中で、前回の訪独演奏は、曲目を代え「ハイドンの四季」とし、ドイツ側ではルードヴィッヒスハーフェンのベートーベン合唱団も加わっています。懸かる合流は初のことで在り、また第九でない曲も取り上げた、初めての経験ともなりました。
他方、今回の11月29日の演奏は、取手第九合唱団の側のみならず、取手合唱連盟も加わって、大合唱団を編成、合同の体制を組んで、二部から成る演奏会にしたと言う特徴があります。即ち一部は、「ふるさとの四季」と「合唱組曲 水のいのち」の日本の歌曲二つとし、全体を見る音楽監督の山田茂さんが指揮、オーケストラは「東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽楽団」でした。次ぎに二部が第九で、今回交流の趣旨で来日した「バーデン・バーデン・フィルハーモニー」の指揮者「ユーディット クービッツ」が客演指揮を行いました。オーケストラは同じです。
諸準備、諸手配が結実し、お互いの努力と練習などが実って、この合同演奏会は大成功を納めました。取り分け、クービッツの指揮する第九が実に素晴らしく、将に会場全体に感動の渦を生みだし、みんな一体となって盛り上がったのです。
私も歌う一人としてその中に居たのですが、その充実と感激の一端を、この場にあらためて記しておきたいと思います。
4 指揮者ユーディット・クービッツのもたらしてくれたもの
先ず、私が実感した「クービッツ指揮」の特徴は、メリハリが効いていた事でした。例えば、フォルティッシモ(ff) では盛んに大きく、対してピアニッシモ(pp)は弱くなくて
ぐっと絞り、小さくすると言う感じなのです。斯くて、両者の対比で実に美しく響き、心地よく感じられたと言います。同様の感想を持つ人が何人もいましたから、それは私どもが共通して体験した事と思われます。
次ぎに、「クービッツ指揮」は実に躍動的でして、指揮台の上に、まるで妖精が踊っているような印象を生み出したと言います。神様が乗り移った様だとそのイメージを語る人も居ました。家内は社交ダンスの心得がありますが、この華麗な「指揮者の踊り」が実に見事であったと言っています。クービッツ自身、乗りに乗ったのでしょう。
総じて言えば、「クービッツ指揮」は、指揮者による演奏の違いを体感させてくれたと思います。私の様な者からすると、指揮者の違いが正直なところ余り良く分からないのですが、この「クービッツ指揮」はそれを良く味合わさせてくれました。
この違いに関連して、今回驚いたことが一つあります。それは事前の打ち合わせで、クービッツが「ソリストと揃ってリハーサルをやりたい」と要請して来たことです。そのためには、ソリストの中に、英語かドイツ語で遣り取りが出来る人が欠かせないと言う事になり、アルトの伊原直子さんがドイツ留学経験が在ることが確認されて、このリハーサルは実行されました。でも、通常、指揮者には、ソリストへの遠慮などがあって、こうした事は行われない由です。けれどクービッツは「それを是非」と言い、実現させたのです。後刻、伊原さん自身に確かめたところ、「それは良いこと。本来やるべきです。」との事でした。この大御所の言は実に重いと思います。
斯く、私どもはクービィッツから、感動的な演奏体験とともに、指揮者の貴重な実際を
見せてもらったことになります。現第九親睦会会長で、今回合同実行委員長を務めた小野氏始め各位御一緒に、私どもは佳日を共有・享受出来たと思います。
ここで、一つ申し上げておきたいことが在ります。それは簡明ながら極めて重要な、英語の効用の事です。クービッツは御夫妻ともども日本語が出来ないし、私どものドイツ語は甚だ乏しいものですから、結局、両者間の意思疎通は英語で行われました。通訳は有償で在り、いつも居る分けではないのです。英語は将に共通語で在り、国際語ですね。
末筆ながら、斯くて、いろいろな事に心より深謝したいと思います。
有り難うございました。
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仲津さん今日は、私も取手混声から今回の第九に参加しておりましたが、クービッツさんの指揮の表現を比喩する言葉を思い着かず、ずっとそのまま考えてましたが「妖精」という言葉に安堵しました。練習の合間にお願いして楽譜にサインを頂きましたが、ドイツ人のわりには小柄な方だと思いました。私は取手第九と隅田第九の合計で5度の出演経験がありますが、クービッツさんの指揮は群を抜いて素晴らしく、次回の2020年も是非来日して頂けますようご尽力をお願いします。