映画 邦題「マルクス・エンゲルス」を鑑賞して
映画 邦題「マルクス・エンゲルス」を鑑賞して
平成30年5月
仲津 真治
1) カール・マルクス生誕二百年記念作品
今年は、「カール・マルクス生誕二百年」と言い、この映画は、その記念作品」と言います。 順次日本国内各地で公開と記されていますが、現在のところ、全国で東京の神保町の「岩波ホール」一箇所での上映となっています。
2) 使用言語は独仏英三カ国語で、物語の場ごとに変わった
原題は、英語で「THE YOUNG KARL MARX」ですが、使用言語は
独仏英三カ国語で、そのウエィトは大体同等のものでした。各場面毎に、其処に合った言語に変わり、その上に全編、日本語の字幕が入っていました。
例えば、映画の初めの方で、英国のマンチェスターの紡績工場のシーンが在りましたが、其処で経営者の父エンゲルスと、その代理の息子フリードリッヒ・エンゲルス(当人)に、アイルランド出身の女工達が加わって、英語で遣り取りするところがありました。 其処が英語となるのは、場所が英国だからと思われます。斯く、此の作品は物語で、脚本があるのですが、セミドキュメンタリー風になっているのです。
ところが、その工場内で最後にエンゲルス親子だけが会話を交わすところでは、ドイツ語に変わっていました。 エンゲルス親子がともにドイツ人だからでしょう。 つまり、かように実話のような感じなのです。
こうした言葉の切り替わりが頻度多く起きるので、登場する役者も大変だなと思いましたね。
3) フランス、ドイツ、ベルギーの三か国の合作で、監督は何とハイチ出身のラウル・ペックとのこと
制作は、フランス、ドイツ、ベルギーの三か国の合作で、監督は何とハイチ出身のラウル・ペックと言い、スペイン系の名前でした。同監督は、パスカル・ボニツェールと二人で脚本も担当しており、本作が「西欧諸国制作で、初めてマルクスを主人公とした長編映画」なのに、「ハイチ出身の自分が脚本と監督を手懸けることになったのは、ある意味で皮肉だ。」と語っています。
この認識には考えさせられるところがあります。何せ、マルクスは西欧出身なのに、合作当事国はいずれも現自由社会であり、また、英国もそうですから、それにもともと批判的なマルクスは取り上げにくかったのでしょう。 その点、ハイチは現発展途上国ですから、反西側の立場を踏まえやすかったと思えます。
因みに、ペック監督は、ハイチの文化大臣経験者でもあり、なかなか才人のようです。
4) 岩波ホールは将に満員で、入れずに次回や次々回上映に廻る人が
続出
此の入りの凄さには驚きました。 時代が変わりつつあるとはいえ、マルクス主義が此の国に与えてきた影響の大きさに今更ながら驚きます。 実に、その場は大勢の老若男女の集うところとなっていました。年配者が多い一方、学生や若い集団、カップルも結構いました。
5) 「万国のプロレタリヤ、団結せよ」というスローガンと組織の
変遷
是が、この映画で最初に出てくる政治的スローガンでした。
それは、正義者同盟と言われるドイツ初の共産主義者の集まりで掲げられたようです。 あらましの記録によれば、この集まりは1837年頃結成された由です。
ただ、意見の対立がすぐに表面化し、決裂した由、この時にマルクスとエンゲルスは状況として孤立していたと申します。
しかし、この正義者同盟内部の分裂が利用され、主流派はマルクス派との連携に踏み切った模様です。 されど、この正義者同盟のパリ本部は組織が混乱をきたしていて、指導部としての機能を持ち得ず、同年10月から11月にかけて中央本部はロンドンに移転した由です。 当局の弾圧を受けつつ、斯く様々な動きがあった由です。
この正義者同盟が元となって、その組織改編で出来たのが、共産主義者同盟です。
その場は、思想面、運動面などの激しい論争や対立が生ずるところで、後々まで続くマルクス主義陣営の性格や言動の特徴が既に出ていました。 それでも、この同盟の綱領のようなものが形作られ、執筆されていきます。手続きとしては、この同盟大会での決定をもとに、改めてマルクスとエンゲルスに宣言形式での綱領案の起草が依頼されます。以上のようなプロセスを経て、完成したのが1848年2月出版の「共産党宣言」の由です。 この過程で次第にマルクスやエンゲルスの理論的影響力が強まって行ったと考えられています。
6) 「共産党宣言」の骨子
「共産党宣言」はこれ以降共産主義運動の綱領的文書であり、謂わば、その核心を表出していると思われます。
この作品でも、この「共産党宣言」の執筆・作成の様子が劇的に描かれており、迫力があります。
『宣言』の冒頭には有名な一文「ヨーロッパに妖怪が出る― 共産主義という妖怪である 」があります。之は執筆者自ら、共産主義=妖怪」と断言しているわけではない様ですが、しかし、この『宣言』には、この理論の影響を受けた共産主義者同盟幹部の職業革命家たちの政治的な意識や見地が反映されている事が分かります。
そして、本文に入ると、始まりの章は、「これまでの社会のすべての歴史は階級闘争の歴史である」という有名な章句で始まり、ブルジョワジーの時代が生産と社会をどう変えてしまったかを述べ、現代は生産力と生産関係の矛盾が激化した社会革命の時代であるとして、プロレタリアートという勢力がその革命を担う、という内容を述べています。
ペック監督の作品は、「若きカール・マルクス」と言う原英題に象徴される如く、こうした主張を強く打ち出して、現代世界や社会への挑戦、改革を呼びかけている様です。 即ち、思想が固まって、「型にはまり、定式化したような晩年のマルクス」を描くのではなく、若い発展途上の、人間味のあるマルクスやエンゲルスを描写することに主眼を置いているようです。
7) 斯くて、悩む若きエンゲルスも生きてくる
父がドイツと英国に跨がる大工場の経営者であり、自らは、その代理人として高給を食む立場にあるエンゲルスは、共産党宣言を出すに至った立場との矛盾を大いに感じ、悩みます。 そうしたシーンが何度も出てきます。 ここは私には、学生時代以来、書物を読んでいただけでは分からない疑問でした。 この辺りは、物語であるにせよ、真相を語るに適した映画の味なのかも知れません。
実際、エンゲルスが経済的に行き詰まるマルクスに資金援助する場面も
ありました。
8) 「全権力をプロレタリアートに委譲せよ」と言うが。
この作品に登場して来る革命家等は、こうした主張をし、叫びます。 しかし、この考え方は、実は危険で、過ちを犯しがちです。 私どもが学んだ、また、経験に裏打ちされた思想と制度の実践からすれば、民主主義と自由主義こそ優れた知恵のようです。
此の内、民主主場は政治的自同制の原理であって、国民が国民自身を統治すると言う仕組みです。 具体的には国民は代表者を選び、その代表者が政治権限を行使すると言う事になります。 そして、これら代表者は、任期末期までに国民の信任を得る必要があります。得られなければ代表で無くなります。此処に、国民意思によるチェックが働きます。
他方、自由主義の原理から三権分立が導かれます。 幾ら、国民の
代表機関であっても、其処にだけ権限が集中すれば、その乱用が起きます。それを防ぎ、国民の自由を守るため、敢えて、国の権力を三分し、
相互に抑制が働くようにします。 即ち、立法、司法、行政の分立です。これは民主より自由主義から出た仕組みです。
然るに、マルクスやエンゲルスの主張した如く、もし「全権力をプロレタリアートに委譲した」ならば、権力の其処への集中が起き、プロレタリアートの代表である者、即ち、党に権限が集中し、実際旧ソ連で起きた、また中国で起きているような党の指導的役割の体制が現出するでしょう。 即ち、共産党独裁制の誕生です。
権力の集中への然るべき考慮を欠いたことが、マルクスやエンゲルスの思想の大きな問題点だったと考えます。 人類の歴史が教える「権力の本質」にマルクスやエンゲルスなどは想いを致さなかったのでしょうか。
9) 革命はどうしたら起きるか。
マルクスやエンゲルスは、生産関係と生産力の矛盾が沸騰点に達すれば、熟柿の落ちる如く、より大きな生産力に相応しい新たな衣、即ち、生産関係を求めて、社会は変革されると説いた由です。即ち、革命が起きると言う分けですが、その具体的な熟し方、成し方については記すところが無いと言われます。
実際、世界最初の社会主義革命が起きたとされる、1917年11月のロシア革命については、こうした諸条件の成熟もほとんど無く、経済水準も低く、工場労働者もほとんど育っていないままに、レーニン派が一種のクーデターにより、権力を奪取したのが真相と言われるようになり
ました。
これは、ソ連の体制が1991年に崩壊したからこそ、その中から出てきた見方、捉え方かも知れませんが、もともと自由世界では真実として指摘されて来た事のように思えます。
この映画の発展系として、何れ、この辺りを取り上げる映画作品が出てきて良いように思われます。
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