新聞のインクの香り
◇新聞のインク
元アイドルで女優の菊池桃子さんは、新聞のにおいを嗅ぐとお父さんのことを思い出すそうです。土曜の朝7時半から放送の「サワコの朝」の中で先日そう語っていました。インクの発達のせいか、最近の新聞はかつてほどにおわないのですが、私も新聞のインクの香りには郷愁を誘われます。子供の頃、郵便受けに新聞を取りに行くと、真新しい新聞のインクの香りがプーンと伝わってきました。今でも、新聞のインクのかすかな香りを嗅ぐと、あのなんとも言えない瞬間が思い出されます。
◇初の日刊新聞
ふと思うのは、もっと昔の新聞はどんな香りがしたのだろうということです。私の書架には『太陽コレクション』というムックの付録で原寸大の「横浜毎日新聞」の創刊号復刻版があります。もちろん「香り」はしません。横浜毎日新聞は日本ではじめての日刊新聞で、その創刊号(明治3年12月8日)は長らく存在が確認できず「幻の創刊号」と呼ばれていたのですが、東京オリンピックの年1964年(昭和39年)に群馬県の旧家の長持ちの中から突然姿を現しました。横浜毎日は現在の毎日新聞とは関係がありません。経営主体や題号が変わったりしつつ昭和10年代まで何とか続いたものの廃刊となりました。(十勝毎日新聞や宮崎日日新聞など、題号に今でも「毎日」とか「日日」という言葉が入っている新聞があります。これは、英語圏の新聞で言えばDaily Newsことだと言えばわかりやすいでしょう。)
◇経済紙が先行
おもしろいのは、横浜毎日の性格です。今日だと一般紙のほか経済紙やスポーツ紙があって、一般紙が中心というイメージですが、日本で最初の日刊紙は実は「経済紙」だったのです。
横浜毎日の創刊のことばにはこうあります。「新聞紙の専務は、四民中外貿易の基本を立て皆自商法の活眼を開かしめんが為……(中略)…所謂商事の根元は全世界の動静を計り遠近之物価を参述し…」と、モノの値段の情報を掲載するなど、貿易港横浜を基盤に商業発展を計ることを目標に掲げています。
◇毎夕摺立て
さて、インクの香りの話に戻りましょう。この横浜毎日の創刊号に「毎夕摺立て(すりたて)翌朝売出し」とあります。この毎夕というのは何時頃をさすのでしょう。今の新聞(朝刊)の最終版は午前一時過ぎに輪転機にかかるのですが、そこまで遅いということはおそらくないにせよ、「夕」ということばで明るいうちと断定してしまうのは早計かもしれません。
とはいえ、もし前日の陽があるうちに印刷したとしたら、その新聞は翌朝までインクの香りが残っていたのでしょうか。新聞の歴史について私がこれまでに読んだ文献の中では、インクのにおいに関する記述には出会いませんでした。活字や紙についてだったら、横浜毎日は鉛活字による活版印刷で洋紙に印刷されたというような記述があるのですが、何時頃に何をどうしたというような、現場の光景が具体的に浮かぶ記録は残念ながら知りません。
◇活字と輪転機
先日見た映画「ペンタゴンペーパーズ」の中で、スクープ記事を印刷するために活字を組むシーンがありました。そのあとの輪転機が回るシーン、そして、トラックに積んで町の各所で投げ下ろしていくシーンは、とても印象的で懐かしささえ覚えました。70年代はじめといえば、アメリカでも日本でも、新聞社で見られた典型的な光景でしょう。テレビの「事件記者」のようなドラマにも出てきましたが、私は、高校生の頃、輪転機が回る光景が好きで何度か見に行きました。今は、東京都心の新聞社の社屋内に輪転機はありませんが、当時はまだあったのですね。
◇電子版(デジタル版)の時代の新聞
さて、いまやインターネット時代となって、紙の新聞は部数低下の一途で、新聞は電子版(デジタル版)を出したり、新興ニュースメディアに記事配信をしたりして活路を見いだそうとしています。新聞によっては「紙面ビューア」で、紙の新聞と見た目が同じ紙面を見ることができますが、もちろんインクのにおいはしません。そもそもインクを使う必要がないのですから。
インターネット上の新聞について、私は2つのことを気にかけています。
①デジタルパッケージとしての新聞
ひとつは、まとまった編集物(デジタルパッケージ)としての新聞というものの価値についてです。紙の新聞は通常最大40ページ建てのひとまとまりの編集物として作られています。その日その日のニュースはもちろんのこと、解説、論説、読者の投書、記者や社外の人のコラム、囲碁将棋、身の上相談、俳壇歌壇、書評、小説、テレビ番組表・・・など実に多種多彩な記事が載っています。(日経は最大48ページまでの一連印刷が可能です。)
インターネット上の新聞電子版(デジタル版)もそのようなひとまとまりに編集されたコンテンツとして提供する価値が認められるようになるのか。しかもお金が取れるのかどうか・・・。ニュースは無料のニュースサイト(Yahoo!ニュースなどのキュレーションメディア)で見られるし、前述のようなニュース以外の記事の類似のものは検索すれば無料サイトで代替できることが多いでしょう。それでもデジタルパッケージの価値を持ちうるかどうかです。
②面の文化を継承する新技術
いまの新聞は大きな紙に、大小さまざまな記事が割り付けられています。パッと見て一覧できる上に、記事の大小や掲載位置によるメリハリが付けられています。紙面と呼ばれてきているように、このような「面の文化」は150年かかって築き上げてきたものです。読者とこのようなインファーフェースを持つメディアはいまのところほかにありません。
これからのインターネット上のニュースメディアを新聞と呼ぶかどうかは別として、従来の新聞の面の文化とその価値を新しい形で実現することを私は期待しています。そのために、以前の私は30インチ級の大きなディスプレイが望ましいと考えていましたが、技術進歩、たとえばVR(ヴァーチャルリアリティ)の技術を使って、大きな紙面やディスプレイがなくても、目の前に大画面を見せることが可能になってきています。また、紙面は2次元ですが、3次元空間のインターフェースでニュースを見ることも想定できます。
現在の、スマホの小さな画面でメリハリなく並んでいるニュースを見るというスタイルは過渡期だと私は考えています。
(参考文献)
『太陽コレクション かわら版 新聞 江戸・明治三百事件3』(1978年、平凡社)
『新聞事始め』(杉浦正、1971年、毎日新聞社)
『日本新聞通史』(春原昭彦、1987年、新泉社)
『日本新聞百年史』(岡本光三、1961年、日本新聞研究連盟)
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新聞もテレビもない時代は身の回りや周囲のことだけ考えていれば、日々が安心して過ごせた。
それが今や、はるか遠くの方で目にも耳にもすることが出来ない事件が次々に伝わってくる時代になった。
こうなると、だまされるな! 人を信用してはダメ!
と言われても防ぎようがない。
世の中が進歩すればするほど、「悪人が栄えて 正直者がバカを見る」ということが盛んになってきましたね。
その証拠に、日本政治も戦後70年経つけど悪事がますます盛んになってきました。