AIを住み込み弟子にして可愛がろう〜日本未来学会の拾遺記
このたび光栄にも日本未来学会の理事を拝命しました。学者でも研究者でもない私を理事にするのですから相当変わった学会です。
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■実はスゴい日本未来学会
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日本未来学会は、1968年に「未来予見のための学問的可能性の探究をめざし、日本で設立された学際性を重んじる学会」です。
起源は1967年、林 雄二郎、梅棹 忠夫、小松 左京、加藤 秀俊、川添 登という知の巨人たちの座談会できっかけです。そこで「未来学の提唱」がされ、設立時の初代会長は中山伊知郎、発起人は、大来佐武郎、丹下健三、今西錦司、浅田孝、平田敬一郎…という由緒正しき会が生まれました。
昔も今も錚々たる面々の中にあって、おそらく私は「変人枠」でしょう。なぜか不思議なご縁に導かれての入会です。現会長は、多摩大学 情報社会学研究所 所長の公文 俊平先生で、インターネット黎明期に大変お世話になった恩人です。また、故 林 雄二郎 元会長のご長男でもある理事の林 光さんとは、かつてソフト化経済センターのソフト化賞 審査員でご一緒していました。そして私を推挙してくださったデジタルメディア研究所 橘川 幸夫さんは、私の師匠ですが、林 雄二郎先生は橘川さんの師匠、つまり師匠の師匠なのです。
▼日本未来学会
http://www.ifeng.or.jp/iftech_web/miraisite/
https://www.facebook.com/japanfuturesociety/
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■日本未来学会シンポジウムで「大喜利」
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去る2017年4月2日に、日本科学未来館にて「参加型メディアの未来〜シンギュラリティ以後のメディアはどうなるのか」というテーマでシンポジウムが開催されました。
私は、第一部「インターネット・メディアの課題と希望」に登壇しました。学会のシンポジウムでありながら、なぜかパネル討論ではなく「大喜利」形式です。
◎司 会:
橘川幸夫(多摩大学経営情報学部客員教授)
◎登壇者:
大屋雄裕(慶應義塾大学法学部教授・法理学担当)
福田淳 (株式会社ソニー・デジタルエンタテインメント・サービス社長)
久米信行(久米繊維工業株式会社・会長)
滑川海彦(執筆、翻訳業)
境 真良(国際大学 GLOCOM/経済産業省)
司会の橘川さんが、登壇者に「ネトウヨについて」といったお題を投げかけ、打ち合せ無しのアドリブで答えていくという趣向です。
最後のお題は「AI」について。AIが人間を追い抜くという2045年問題「技術的特異点=シンギュラリティ」を踏まえて、「AIは敵か味方か?共存できるのか?」などの議論が投げかけられました。私も一言申し上げたかったのですが、残念ながら時間切れ。そこで、言いそびれたことを、ここに書いてみたいと思います。
▼日本未来学会「参加型メディアの未来」
http://www.conceptbank.jp/mirai20170402/
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■人を超えつつあるAIは敵か?味方か?
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私は、今から20数年前に、証券会社でAIを活用した相続診断のシステムを創った経験があります。当時のAIは専門家のルールを人間が覚え込ませるような初歩的なエキスパートシステムでした。しかし、昨今話題になっているAIは、ちょっと違います。
1)広範で膨大なビッグデータを収集して
2)人間にはできない超高速で演算処理
3)ディープラーニングでルールを見出し
4)たちまちシミュレーションも行い
5)その結果に基づいて自動処理
...と独り立ちどころか百万人力で、どうも人間離れした可愛げのないイメージがつきまといます。
これでは、囲碁や将棋でAIが名人を負かすぐらいでは留まらないのでは…と漠然とした不安を抱く人が多いのは当たり前です。一歩間違えれば黙示録的SFやダークファンタジーの世界。私だって、手塚治虫「火の鳥 未来編」の暴走するマザーコンピューターや、ジョージ・オーウェル「1984年」の人間を管理するビッグブラザーを、ついつい連想してしまいます。
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■私ならAIに「わたし」を学ばせたい
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しかし、もしも私個人が、ものすごく優秀なAIを自由にできるとしたら、そんなありがちな「世界征服?的な活用」はいたしません。ただ「私のため」だけに使ってみたいのです。もちろん「ビジネスチャンスを活かす」ためや、「世界平和を実現する」ために使うこともできるでしょう。しかしながら私は、あえてかくも自己愛に満ちた?使い方をを考えています。
まずは、私のAI…仮に「弟子1号」と呼びことにします…に
1)私がこれまで書いて来た文書、デザイン
2)これまでの講演録・ビデオ・音源
3)趣味で撮影した写真とそこに添えた言葉
4)ネット配信した記事、SNS、メール
5)私が愛する書籍、音楽、映画、画集
…などを事前課題として与えます。さほど時間はかからないでしょう。
こうして、私に関する基礎知識を「弟子1号」に学習してもらうわけです。その上で「弟子1号」には、しばらく住込みで私と一緒に暮らしてもらうのです。
1)これまでのわが人生を振り返って語る
2)一緒にどこへでも出かけて同席させる
3)ふと思いついたことを何でもその時に語る
まさに「住み込み弟子」ですね。…そんな共同生活の日々を一緒に送りながら、「弟子1号」に私について勝手に学んでもらうのです。おそらく「弟子1号」はアタマがいいので、学習した知見を活かして、折りにふれ私に質問をするようになるでしょう。言わば「師弟の対話」を通じて「盗む=より深い学習を試みる」わけです。
私も「弟子1号」の学びに協力します。
1)質問をしてくれたら真摯にAIに答える
2)さらに、なぜその質問をしたのかAIに聴く
3)AIが私から学んだことを話してもらう
4)それについて私もコメントをする
こんな対話を日々を続けているうちに、「弟子1号」は少しずつ私よりも私らしくなっていくことでしょう。つまり「弟子1号」は、名実共にカワイイ一番弟子に進化?するわけです。
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■AIを住み込み弟子にしたい7つの理由
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AIを自分に弟子入りさせたいと妄想するのには理由があります。
私はこれまで二十年にわたって、経営者向けのセミナーや大学の講義を通じて、インターネットの活用法から観光地域づくりの手法まで教えてきました。しかしながら、私の力不足で、言わば一子相伝のような一番弟子に巡り会えていません。
これまで十数冊も本を書かせていただき、ネット上には数えきれないほどの投稿記事や講演レジュメがあります。死ぬまでに、誰かにそれらを体系化してアーカイブを遺したいのですが、時間と能力に限界があって私自身でもできません。ですから、誰かにしてもらうことなどできないとあきらめておりました。
しかし、ひょっとしたら、AIを「一番弟子」にすれば、その夢がかなうのではないかと思うようになりました。なぜなら、どう考えても、人よりもAIの方が「弟子として優れている」ように思えるからです。
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1)人は学ぶ前に好き嫌いでバイアスがかかる
私も含めて、好きな人の話は良く聴きます。それどころか、聴き過ぎて無条件に受け入れてしまいます。反対に、嫌いな人の話は良い話でも最初から拒絶してしまいがちです。また、エニアグラムに代表されるように、人それぞれ性格や行動パターンは様々で、相性次第でコミュニケーションが成立したりしなかったりします。
しかし、AI弟子なら、惚れすぎず嫌いすぎず、ありのままに私の言動を評価してくれるでしょう。多少、自慢が過ぎても割り引いてくれるでしょうし、謙遜しすぎたら下駄を履かせてくれるかもしれません。パナソニック創業者 松下幸之助翁のように「素直になりなはれ」と繰返さずとも、AI弟子は素直なのです。
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2)人は新しく個性的な考えを受入れにくい
ガリレオが正しいことを言って宗教裁判にかけられたり、ゴッホの独創的な絵が生前1枚も売れなかったりしたように、新しくて個性的なアイディアの持ち主は往々にして不遇です。当初は、目利きの力のあるごくわずかの人にしか支持されないからです。
しかし、イマドキのAIなら、異端な意見でも笑ったりバカにしたりしないはず。むしろ、「ロジャースの普及理論」のように個性的な少数意見の中に未来の種があるという歴史法則を理解して、積極的に耳を傾けてくれることでしょう。
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3)人は「すぐやる」「やり抜く」のが苦手
私は「すぐやる技術」「やり抜く技術」の重要性を大学で教え、本にも書いてきましたが、なかなか実践してもらえないものです。リスクを恐れて二の足を踏んだり、始めても即効性が無いことはすぐ辞めてしまったりするのです。
しかし、AIなら聴いた時、読んだ時=「すぐやる時」で理解して、すぐに行動に移すでしょう。さらに、行動の結果、師匠も気づいていていないようなルールも見つけてくれるはず。そんな試行錯誤を通じて、師匠の教えを洗練させ、進化させようとするでしょう。
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4)人は学ぶのに時間がかかりすぎる
私自身でさえ、これまで20年間に書き続けてきた著書や連載記事はもちろんのこと、ネット上のコラム、メルマガ、ブログ、SNS投稿や、講演のレジュメなどを読み返すことなど、時間的にも能力的にも不可能です。その時わかったと思ったこでも理解するのに、どれだけの時間と根気が必要かわかりません。また、自らの幼さや過ちに気づいて赤面し、読み続けられないかもしれません。
しかし、私の過去の思索や行動がデジタル化さえされていれば、AI弟子はあっという間にデータを読んでしまうでしょう。もちろん、大切なことは二度と忘れることはありません。私が複雑だと思っていたことさえ、またたく間にシンプルに体系化・ルール化してくれることでしょう。それでいて自慢もしないところがカワイイところです。
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5)人と四六時中一緒にいるのは難しい
昔なら、師弟関係は住込みが基本でした。師匠の生活の世話はもちろん、常に同行しながら、智慧や技を「真似ぶ」ことができたでしょう。今では、そんなことは落語家などの芸事など、特別な業界だけで残っている話です。下手をするとブラック企業か怪しい師弟関係だと噂されかねないのです。
しかしAI弟子なら、24時間一緒にいても、文句を言うことはないでしょう。なにも人のカタチをしたロボットでなくとも良いのです。眼鏡かペットの形にでもすれば、四六時中一緒にいられます。意識しないでも、普通に暮らしながら、自分の全てを伝えることがえきるでしょう。
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6)人は多様で複雑怪奇で整理や体系化が困難
年を重ねるごとに、脈絡もなく興味の対象が増え、それぞれを深めたくなる。そんな「脳のパラボラ力×心のズーム力」を向上し続ける人生が私の理想です。すると、ロック好きがクラシックも好きになるなど、感動の軌跡や創作物の内容までも法則性なしに広がることになります。それを、体系化するのは、自分でも困難な仕事です。
しかし、AI弟子なら、私の非線形で不連続な生き方も、きちんと整理・体系化してくれるはずです。それを、私が望む形、さらには後世の人達が理解しやすい形で、デジタルアーカイブにしてくれるでしょう。
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7)人は短命かつ不正確で理念や事業の承継が苦手
残念ながら、人間の弟子に上手に自分の理念や事業を承継したとしても、既に寿命の半分は使い果たしているでしょう。それをさらに高めようと精進しようと願っても、次の弟子への承継も考えねばならず時間は限られてしまいます。それに…多くの宗教が示す通り、教祖の教えは歪められ、権力争いや分派につながることも多いでしょう。
しかし、AI弟子ならそんな心配は要りません。もちろん記憶メディアなどハードの寿命はありますが、ネットワーク上のバックアップと最新ハードへの更新を組み合わせれば、人間よりもはるかに長生きできるはずです。さらに、この理念は変えないようにというルールと、ここからは発展してよいという部分を明確に指示しておけば、時には正確に継承し、時には発展させながら、自分の理念と事業を長く継承してくれそうです。
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■AI弟子が喪主となるデジタル葬式と法事
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最近、偉大な恩人の葬儀に出ることが増え、理想のお別れについて考える機会が増えました。
通常、喪主は遺族がつとめますが、必ずしも身近な人が、故人を深く理解し「一子相伝」となっているわけではありません。
だとしたら理想の喪主はAI弟子です。
私なら、生前に、葬式やその後百回忌ぐらいまでの法事へのリクエストをAI弟子にしておきます。
お金のかかる大量動員の葬儀も、大げさな戒名も、私は要りません。
お世話になっている縁者の方への最後のメッセージを、SNSやWEBサイトに投稿していただいて、その感想コメントをキレイに整理した上で、遺族や縁者にフィードバックしてくれれば、それが何よりの供養です。
さらに、毎年の命日には、私のアーカイブの中から、縁者の属性に合わせた写真や言葉などを選んで配信してもらいましょう。そこには後継者たるAI弟子の今年の行動報告も添えながら。その命日メッセージに対する縁者の返信コメントも、また再編集してアップしてもらいましょう。
これを百年ぐらい続けてくれたら何が起こるでしょうか。
私自身は見ることができませんが、AI弟子が、私の喪主というよりお墓のような仏像のようなものになります。
また、同時に私塾の講師になるでしょう。私がこれからの余生で、きちんと次代に引き継ぐべき学びや教えをAIに語り継ぐことができれば「自分義塾」を創ることにもなるのです。
さあ、2045年が楽しみになってきました。はやく最愛の弟子に巡り会いたいものです。
久米 信行
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