「漢字は日本語である」とは至言なり
「漢字は日本語である」とは至言なり
平成29年(2017)4月
歴史に関わる本を紐解くうち、「漢字は日本語である」との標題の新潮新書が在
ることを知り、早速手にして、この程読了しました。
著者の「小駒 勝美」氏がこの書の第一章の書き出しで記すとおり、漢字は
中国生まれのものですから、「漢字は日本語である。」といきなり言われると
「えっ。?」と変に思います。 しかし、本書を読み進むうち、成る程と思わせ
ます。
即ち、著者は「現在、日本で使われている漢字は、長い歳月を経て、
さまざまな日本式改良を施された、わが国独自のものである事が分って来る」
と言っています。
将に、日本語は漢字を十二分に使いこなし、自らの文化としました。
因みに、著者は昭和29年生まれ、新潮社に勤務、「新潮日本語漢字辞典」の
企画、執筆、編纂者で、国語と漢字に精通・研究し、実務もこなしている人です。
1) 漢字の発祥と秦による統一
ここで先ず、古く時代を取ると、紀元前千五百年頃の昔に、今日のチャイナの華
北辺りに殷と言う王朝が在り、その遺跡から「甲骨文字」が発掘されていて、そ
れが漢字の発祥と言われています。
ただ、今日に伝わる漢字が編成され、まとめられたのは、後年の秦の始皇帝の時
(BC221 中国初の統一王朝誕生 初の帝政創始)でした。 始皇帝は戦乱の時代が
続いた春秋の世に、春秋五覇と言われた各国の中で傑出した力を発揮して、終止
符を打ちます。
そして、始皇帝は、五覇の各国(都市国家のようなもの)ばらばらに生まれていた
文字を秦の文字に一本化、他を廃止させます。そのため、それらを記した書籍・
文献などを焼却させました。これを本当の焚書と言う由です。文字の秦への一本
化は、秦帝国創建の一大事業だったのです。 付言しますと、他に度量衡も統一、
また、各覇国ごとの境界に築いてあった城壁を破壊、北の匈奴への備えの分だけ
残しました。この最後に残った壁が繋がってみると、万里の長城と言われるもの
になった由です。(後年「明」の代に、修築、増補されています。)
斯くて、振り返ってみれば、こうして出来た文字ならば「秦字」と読んで良さそ
うなものですが、何故か、次代の漢字との言い方になりました。 秦が始皇帝
一代限りで終焉、あとに出来た漢が、統治の実を挙げ、前後約四百年の長きに
亘って続いたからかも知れません。
2) やがて日本に入ってきた漢字への、日本独自の工夫とは?
ー 千数百年に亘る創意工夫の連続と蓄積 ー
「漢委奴国王印」が日本人が漢字に接した最初と言われます。
前漢AD57の事です。 受け取った側は、やがてそれが読め、意味を理解する
ようになります。次はまだ発見されていませんが、邪馬台国の「親魏倭王」
(三国志 AD235の頃)でしょうか。
斯く長い歳月を経るに連れ、漢字は徐々に使われ、普及するようになります。
そして、日本人の優れた才覚が発揮されて、独自の読み方・使い方を工夫
するようになります。
先ず、「漢」の地には無かった訓読みが登場します。
日本には、当然のことながら、当初伝来した漢字の音読みしか無かったのですが、
其処へ日本の言葉の意味を当てはめるようになったのです。 斯くして一漢字へ
の音訓二種の読み方の登場は、日本語の漢字の世界を一挙に豊かにしました。
これらを可能にしたのは、漢字から派生した仮名を創意・工夫したからです。
その元は万葉仮名が始まりと申しますが、結果として出現したした仮名、それも
「平かな」と「カタカナ」二種の工夫と導入は、日本語の文章表現を素晴らしい
ものにしました。
その中で最大の英知は、送り仮名の工夫でしょう。この発明は、見事に漢字を
和文とともに使いこなせるようにしました。漢字仮名交じり文の導入発展です。
この間、時代は、平安を過ぎ、鎌倉へと入り、室町に至って完成したと言われ
ます。
将に長期千数百年に亘る創意工夫の連続、蓄積、継承です。
更に、同じ漢字の訓読みでも、「熟字訓」まで出て参ります。
典型例を記しますと、「明日」には「あす」という訓が当てられていますが、
単字の「明」や「日」に「あす」の要素は無く、読みの「あす」は「あ」と「す」
に分けられません。 漢語として見ると、「明」と「日」は修飾や被修飾の関係
で組み合わせられ、新たな意味を作り出しているのです。 要は二字まとめて
一訓を当てたものなのです。 なお、これを各単字の訓で読めば「あくるひ」にな
るでしょう。
外来語でも例があり、「煙草」は「たばこ」と訓読みします。
また、熟字訓と音読みで意味が異なる場合すらあります。 例えば、「今日」は、
「きょう」と読む場合には、ある特定の日(本日)を指し、「こんにち」と読む場
合には特定の長い期間(最近)を指しますね。
加えて、地名や人名には熟字訓であるものが少なからず存在します。典型例を
記せば、「大和(やまと)」や「飛鳥(あすか)」がそうです。
こうした諸例をみれば、長い歴史の間に、日本語が如何に漢字を使いこなし、
自家薬籠中のものとして行ったかが認識できます。
3) 和製熟語・漢語の工夫と創造
幕末から明治に掛けて、欧米の文化文明が怒濤の如く日本に入ってきました。
すると多くの日本人の英才諸生が、幕府側であれ、官軍側であれ、その他の立場
であれ、欧米各国語の翻訳に取り組み、果敢に新漢語・熟語の作成や導入に寄与
したのです。
文化、文明、政治、制度、政策、科学、技術、機械、物理、化学などなど皆
そうです。こうした夥しい和製漢語が日本人の手で創造され、導入されました。
その数、約一千と言われます。 それは、日本の体制一新、文明開化、殖産興業、
近代化、諸制度改革に大きく寄与しました。 斯く、明治維新は大成功を
納めたのです。
その後、こうした和製漢語は、日本への清国などからの留学生などによって
同国に逆輸入され、その後の中国語の文書・文献や実務などに多大の
影響を与え、寄与します。 近年の調査に依れば、現代中国語の資料や文献など
の七割が和製漢語・熟語で占めていると申します。端的に言うと、これらの和製
漢語・熟語が無ければ、近代・現代の中国語はほとんど成り立たないのです。
つまり、古典を読解するのが中国語・漢文の意義の精髄とされた時代は去ったの
でしょうか。
4) 漢字を使う国は今や少なし
漢字を発明した国は、今日で言うと中国になります。国としては、中華
人民共和国と言う事になります。しかし、同国は1955年に大規模な漢字改革を
実施、所謂「簡体字」を導入しました。
斯くて、例えば機械の機は机と書かれます。これは矢張り過激な簡略化・改革と
言うべきでしょう。 この根底には、漢字ではラテン文字をベースとする欧米語
に勝てない、いずれ廃止をと言う考えがあったと云います。
その後、第二次の漢字改革も計画・実施された由、しかし余りにひどいと云うの
で、抵抗が大きく、遂に失敗、断念したと聞きます。斯くて、中国は簡体字
ながら、引き続き漢字使用国です。日本とは、かろうじて筆談が可能な程度の
乖離でしょうか。
他方、中華民国・台湾は簡体字改革などは行わず、もともとの正字、所謂繁体字
を用いています。そして、近年のワープロ次いでパソコンの普及は、漢字を書か
ずととも打てば良くなっており、事態・文字環境は大きく変化してきました。
漢字・ローマ字変換が可能・簡単・当然となってきたのですから、漢字の難しさ
は問題で無くなって来たのです。 繁体字といえども、ハンディキャップはもは
や在りません。斯くて、デジタル化の進む現代、中国や台湾で何が起きてくる
でしょう。
更に、韓国はほとんど漢字を使用しない国となりました。新聞などを見ても
漢字の使用はどんどん減り、ほぼハングル一本です。なお、北朝鮮は建国以来、
漢字の使用を全面的に止めています。
もうひとつ、かつての漢字使用国で、戦後廃止したのは、ベトナムです。
あと、シンガポールは実質、英語一本の国となっています。
以上見てきて分るように、日本は、所謂漢字文化圏の中で、実に良く漢字を
使いこなし、仮名を始め、発展活用しています。戦後漢字制限を或る程度
行ったものの、また、所謂略字などを当用漢字や常用漢字とするなどの改革を
実施したものの、簡体字導入のような無茶ないし過激なことはしていません。
漢字仮名交じり文の効用は大きく、欧米語のような単語ごとの分かち書きも
避けられています。句読点さえ、きちんと打てば、文章は続けられるのです。
著者によれば、いよいよ漢字活用の時代に入り、常用漢字もいずれ、
規制型で無くなるのではないかとことです。
パソコンの普及やデジタル化の進展、更にAIの利活用による発展・変化が
期待されます。 その中で、漢字と仮名を有用とする日本語は大事な地歩を
占めていくことでしょう。
仲津 真治
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